プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

今週のStayhome宅録 : アジるプラウド・メアリー(Agitation of Proud Mary)

お一人様宅録1テイクセッション。またもやクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのヒット曲でやってみました。合計5トラックで録音時間合計約30分。GrageBandのヴォーカルエフェクトにMegaphone(メガホン)というのがあって、これをかけると歌が新左翼のアジ演説みたいになって面白いので「アジるプラウド・メアリー」というわけ。各パート1テイク録音なので盛大に間違えてリズムもよれてますが、まあいいじゃないですか。。

 

 

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『歩くひと 完全版 』(谷口ジロー)を読んだよ。

歩くひと 完全版

 

最近、NHKでTVドラマ化された亡くなった谷口ジロー氏の名作が、全エピソード収録&カラーページ再現の完全版として出版されたので、さっそく購入して読んでみた。いや読むと言うより、観た、といった方がふさわしい読書体験だった。

 

マンガとしては大判のB5サイズ。ページの喉元まで水平に近く開く美術書などで採用されている「コデックス装」の製本なので、見開きページの絵の緻密な描き込みまで堪能できる。作者と読者、双方への愛情に溢れた出版社の良心を感じる本となっている。カラーページの淡い味わいのために色校正にも相当な手間をかけているのだろう。
 

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作者は長年、東京都清瀬市に住んでいたので、ぼくがふだん見慣れた風景が、作品の背景としてふんだんに描き込まれている。いや、正確に言えば「見慣れていた」風景だ。既に存在しない店舗や建物がある風景、その逆にあるはずの建物がない風景。30年前の清瀬がここに描かれている。10年以上前に取り壊されてしまった清瀬市民プールで、主人公が誰もいない夜に素っ裸で泳ぐ姿に過ぎる歳月を思った。これは谷口氏の実体験なのだろうか?

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ちなみに作品によっては清瀬以外に隣の東村山や吉祥寺・井の頭公園、さら三浦半島の海岸も作品の背景、舞台となっている。いずれも20〜30年前の風景だろう。

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巻末には映画監督の是枝裕和氏が「カタクリの花」というエッセイを寄せている。是枝監督も子どもの頃から20代まで清瀬で暮らした。カタクリ清瀬でよく見られる野草で、近年は開花時期に市のイベントも行われている。そんな地味な花は、地味な多摩地区の町にピッタリであり、谷口氏や是枝監督の表現の核にある、とるにたらないもの・人に対する深い愛情に通底する。二人の表現者によるカタクリの花的表現は、文化と言語を超えてヨーロッパの人々をも魅了している。

 

是枝監督の文章を読んでいると、ある時期、谷口氏、是枝監督、そして不肖私が清瀬という狭い土地で、それぞれの思いを秘めて雌伏の時を過ごしていたという事実が胸に迫ってきた。あの時、すれ違った兄ちゃんが、おっさんが、彼らだったのかもしれない。そして雌伏のまま満足してしまっている自分も悪くないな、と思いながら、最後のページを閉じるのだ。

 

「サイケデリックな雨を見たかい?(Have you ever seen the psychedelic rain ? )

 

 

#stayhomeの娯楽として、人の曲に合わせてベースを弾くのも飽きてきたので、自分で全部やってしまおう…ということで昔コピーバンドでやっていたC.C.Rの「雨を見たかい」をMacの音楽制作ソフトであるGarageBandを使って宅録してみました。
演奏は割と普通にコピーしましたが、ヴォーカルはオリジナルキーで「脱力風」、オクターブ下で「ムード歌謡調」で歌い、いずれにもGarageBandのヴォーカルエフェクトをいろいろかまして原型をとどめないヘロヘロなサイケヴォーカルに仕上げました。なので「サイケデリックな雨を見たかい?(Have You Ever Seen The Psychedelic Rain ?」。
演奏はギター2本(ノンエフェクトとフランジャーギター)、ベース(コンプのみ)、ストリングス(GarageBandプリセット音源をマウスで演奏)、ドラム(Zoomのベースマルチのリズムマシン)。ハードオフのジャンク品で入手したZoomのベースマルチには、USB出力があるのでギター類はすべてそれを通し、しかしエフェクトはかけずバイパスさせてDI的に利用しました。エフェクトはすべてGarageBandに内蔵されているものです。演奏や歌のやり直しはめんどくさいのですべて1テイク。ミスもしてますが勢いで押し切っています。ロックンロール!!

 

 

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『文学こそ最高の教養である』 (光文社新書) を読んだ。

 

文学こそ最高の教養である (光文社新書)

 

光文社古典新訳文庫』がスタートした時、「光文社が古典? どうせ続かないだろうな....」なんて舐めていました。その後続々と刊行される素晴らしい新訳の数々に圧倒され、いまはとても申し訳なく思います。

この新訳シリーズを立ち上げた編集者である駒井稔氏が、紀伊国屋書店主催の公開講演会で、各作品の翻訳者14名の方々にそれぞれの作品の魅力や味わい方、翻訳の工夫と苦労などをインタビューしたのをまとめたのが本書です。あまりに面白くって今週は仕事の合間の頭休めとしても読んでいました。全体が「フランス文学の扉」「ドイツ文学の扉」「英米文学の扉」「ロシア文学の扉」「日本文学・アフリカ文学・ギリシア哲学の扉」にわかれているので、リージョナルな文学傾向みたいなものも胸に落ちる感じがあります。

8月21日、19時から『光文社新書『文学こそ最高の教養である』出版記念Zoom講演会  ゲスト:野崎歓×著者:駒井稔』が開催されたので参加した。野崎さんの口から駒井さんの新訳文庫に賭ける執念が語られ、駒井さんは役者の方々のキャラの濃さを楽しそうに語る。一読だけではない豊かな読書体験ができてとても楽しかった。

store.kinokuniya.co.jp




小物釣り、都会でも楽しく ハゼやオイカワ…近くの川へ(日本経済新聞7/25夕刊掲載)

 

もう1ヶ月経ってしまいましたが、日本経済新聞に都市近郊の釣りについて書きました。

r.nikkei.com

小野田さんの「子育て本」を読む。

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子どもは風の子、自然の子―『ジャングルおじさん』の自然流子育て

 

《ぼくは、いつまでも子どもっぽいと母にいつもしかられていたほど、本能的で、よくいえば天衣無縫で、自分の好きなことしか見向きもしない自然児でした。

幼少のときはそんなふうだったぼくでも、年とともに社会のルール、大人として心得るべきことなどをそれなりに理解し、従えるようになってきました。そこで、子どもたちとは十分仲間になれると感じて、子どもたちに体当たりしていこうと決心したのです。》小野田寛郎著『子どもは風の子、自然の子』(第一章 キャンプで会った子どもたちp147)より

 

小野田寛郎さんによる「子育て」本だ。昭和62年刊。内容は、キャンプを通して子どもの成長を支援する「自然塾」を立ち上げた経緯とそこでの子どもたちとも関わり、母親に「こんな子を産んだ覚えはない」と嘆かれた自分自身の少年時代の思い出、ブラジルでの開拓やルバング島でのサバイバルを通して見えてくる現代の子育ての陥穽など。おそらく口述筆記だろう。語り口は意外と柔らく、問題児だった自分の少年時代への言及にはそこはかとないユーモアもある。

すでに議論の構図がややアウト・オブ・デイトになっている箇所も少なからずあるが、ご本人はそんなことは先刻承知で言っている。

 

《戦後の日本は大きく変わりました。ぼくは大正末期生まれです。現代の子どもたちには「化石」と呼ばれるのだそうでs、まったく笑ってしまいます。そんな子どもたちの言動を腹立たしく思われる方もいらっしゃるようですが、ぼくは、そんな少年たちを愉快だ、よくそこまで自由に想像をめぐらせるものだと、感心しています》
小野田寛郎著『子どもは風の子、自然の子』(第三章 もう一度考えてみませんか p189)より

 

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前にも書いたことがあるが小野田寛郎さんは、和歌山県海南市がルーツのわが家の縁戚で、父方の祖父は子どもの頃のいたずら仲間、幼なじみであった。そんなこともあり、ルバング島からの帰国時、朝日新聞大阪本社にいた伯父が会社の命で独占手記の契約を結ぶために動いた。ところが小野田さんが選んだのは「講談社」だった。自分をルバング島から救い出した恩人の鈴木紀夫氏が同社を仲介したからだった。そこらへんの筋の通し方はいかにも小野田さんらしい。この本も講談社から出ている。写真の「謹呈」サインは伯父の弟である父へのもの。繊細さと力強さを兼ね備えたいい字だと思う。