プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

僕らの街に(またも)モスバーガーがやってきた。

 

 

 



西武池袋線清瀬駅」北口にある西友清瀬店1階にモスバーガーが6月10日オープン!

 僕はこのように看板が掲げられる前、外装工事が始まってすぐに気付いていたので、FBの地域コミュニティページに投稿したら「これでモスを食べるために秋津や東所沢まで足を伸ばす必要がなくなった!」「うそみたい!清瀬にモスが来るなんて!!」など、150を超えるものすごい反響でした。みんな、ほんとにモスが好きなんだね! ちなみにこのスペースには昨年秋までコージーコーナーがありました。これで清瀬駅北口にはハンバーガーショップの「マック」「モス」、コーヒーショップの「ドトール」「スタバ」が揃った。あとは「サイゼリア」が開店すれば言うことないのだが。

実は清瀬の地にモスバーガーができたのは今回が初めてではありません。私がまだ高校生だった1978年頃に南口商店街にひっそりと開店していました。当時はまだモスバーガーなんて誰も知りませんでした。しかし清瀬にはハンバーガー店ができたのはこれが初めてで、「注文を受けて作る本格的なハンバーガー」というチラシの惹句に釣られて私は学校帰りに寄ってみました。たしかに注文後なかなか出てこない。ほんとに一つひとつ作っているのかと感心しているうちに運ばれてきたモスバーガーは、分厚いトマトが挟まって、ソースがたっぷりかかったこれもマクドナルドよりずっと厚めのパテがバンズからびろんとはみ出していかにも美味しそう。かぶりつくと確かにジューシーで美味しい。しかしなんて食べにくいんだろう。手がソースとトマトの汁でベタベタだ。でも美味しい。がぶり…ああ、手が…その繰り返し。紙ナプキンを7~8枚消費しました。

その後清瀬駅前にサンテオレ、ロッテリア(いずれもすでに閉店)、そして真打ちマクドナルド(駅の南北に2店舗あったが現在は北口の1店舗)が登場し、いつの間にかモスバーガーは、ひっそりとなくなっていました。前述の地域コミュニティFBページで、「70年代末頃にあった清瀬モスバーガーをご存じの方いますか?」と期待せずに投稿してみたら、おそらく同年配以上と思しき方から「覚えてます」との返信があった。40年以上ぶりに復活した「清瀬モス」。今度こそ長続きして欲しいものです。

『ZAPPA』観てきたよ。

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フランク・ザッパのドキュメンタリー『ZAPPA』を観た。オープニングはビロード革命後、ソ連軍が撤退したチェコで大観衆に迎えられたライブのシーン、なんてタイムリーなんだろう。当時のチェコではザッパとはロックそのものであり、自由の象徴的存在であったらしい。最後の方で再びこのチェコのコンサートが出てくるが、ザッパは新しい民主化チェコの建国を祝福し、期待を寄せながらも「チェコらしさ」は決して失わないようにしてほしいとメッセージを飛ばす。


ロックの時代の最大の異端者であるザッパは、しかし単なる変わり者、変態ではない。「音楽業界のほとんどが〈音楽〉ではない」「自分の作曲がしたいのなら、作曲以外で収入を得なければならない」「多くのミュージシャンは搾取されている」「要求する基準を下げたら薄っぺらなものになる」「芸術的な判断は収益に左右されない」。こうした発言は驚くほど正しく、まっとうだ。しかし、この言葉通り「生きる」ことはたいへん難しい。まして60~70年代のクレージーなポピュラー音楽の世界での話なのだ。すべて見終えた今、映画の中にちらりと登場するやはりロックの時代のアイコンであり、異端者だったあのジョン&ヨーコ夫妻でさえ、ザッパに比べるとてんで小物に思えてくる。

この映画が語っているのは、ザッパが本質的に「作曲家」だったということだ。私たちはザッパを漠然と「ロックミュージシャン」のカテゴリーに入れているが、その生涯を見渡せる今、それは適切なことではないと彼の言動や行動から気付かされる

「自分が作った曲を聴くためにはバンドをつくるしかなかった」「「俺の願いは単純だ。作った曲全てのいい演奏といい録音をする、そしてそれを家で聴く。 聴きたい人がいたらすばらしい」。いわゆる「作曲家」とザッパの違いは、演奏して自分で聞いて、納得するところまでが彼にとっての「作曲」だということだろう。そして自分自身が一番の自分の曲のファンであることだ。なかなかそこまで言い切れるミュージシャンはいないだろう。


しかもジュリアード音楽院で学んだ音楽エリートのルース・アンダーウッドが驚くように、ギターに関しても、作曲に関してもすべて独学。最初にギターを手にしたときはフレットの役割さえ知らなかったというのが驚異的だ。長年パーカッショニストとしてザッパの信頼を得ていたルースはザッパの作品を「ロックでもないしジャズでもない、ポップでもない。じゃあ一体なんなの?…… “ザッパよ”」と喝破する。あるシーンではザッパ作品をピアノでうっとりと演奏する。バンマスとしてのザッパの素っ気なさにむかついた経験を語りながらも、ミュージシャンとして巨大さにひれ伏すルースの表情は恋する少女のそれだ。亡くなる前年「会うのはこれが最後」と悟ったルースはザッパに対する感謝の気持ちをしたためた手紙を渡す。それを読んだザッパは「いい手紙だ」と素っ気なく言って、ルースを(おそらく初めて)抱きしめた。僕は最終的に、この映画は音楽を介した二人のラブストーリーではないかと感じた。映画には奥さんのゲイル・ザッパもたくさん登場していて、ザッパの良き理解者であったことが表現されているのだが……。また映画にはたびたびザッパ宅の倉庫、すべての録音・録画を保管した場所が映し出される。どのテープがどのアルバム作品やいつのライブのものかを説明するザッパは「これがオレの人生そのものなんだよ」と言っているように思えた。

 

日本経済新聞/NIKKEI STYLEにドライアイに関する健康コラムが掲載されました。

新聞紙面では2月26日(土)付けで別刷りNIKKEプラスワンに掲載。NIKKEISTYLEは本日早朝より公開されました。

style.nikkei.com

春来たりなば…

フライの雑誌 124(2022春号): 特集◉3、4、5月は春祭り 北海道から沖縄まで、毎年楽しみな春の釣りとそのとき使うフライ|『イワナをもっと増やしたい!』から15年 中村智幸さんインタビュー|島崎憲司郎さんのスタジオから 3、4、5月に欠かせない釣りと、その時使うフライパターン一挙掲載!

フライの雑誌 124(2022春号): 特集◉3、4、5月は春祭り 北海道から沖縄まで、毎年楽しみな春の釣りとそのとき使うフライ|『イワナをもっと増やしたい!』から15年 中村智幸さんインタビュー|島崎憲司郎さんのスタジオから 3、4、5月に欠かせない釣りと、その時使うフライパターン一挙掲載!

 

 

 冬来りなば春遠からじ…私たちはコロナ禍という長い長い冬を耐えてきた。愛読している『フライの雑誌』最新号は、「3,4,5月は春祭り」という特集で、全国の釣り人たちが、春を満喫できる自分たちの釣り場と魚、そして使う毛鉤などがカラー写真を交えて紹介されている。なかなか釣りに行けない日々を過ごしているが、読んで、見ているだけで気持ちだけは爆上がりである。ちなみに私のメールアドレスに使われている「indoorffm」という謎の文字列は 「Indoor FlyFisher Man」、すなわち家で妄想を膨らませている釣り人という自嘲から付けたものだ。


 解禁となるヤマメ、イワナなどの渓流はもちろん、湖、海と春の訪れを満喫するフィールドは人それぞれ。フライフィッシングというと、こじゃれたトラウトフィッシングの釣りというイメージであるが、もはや日本各地域に即した足が地に着いたフライフィッシングが根付きつつあることを実感させられる特集であり、この雑誌がそのために果たしてきた役割の大きさをあらためて感じた。かくいう私も近所の川の四季をフライロッド(時にはルアーロッド)によって実感しているのだ。
 そんなウキウキする誌面の中に釣り仲間の突然の事故死に関する長いエッセイが掲載されていることも、この雑誌の侮れないところだ。写真も何もなく文字だけで10ページにも及ぶ。仲間の死への悔恨と「こういう釣り仲間がいたんだ」という記憶を誌面に焼き付けておきたいという筆者の気持ちが溢れだしそうな読みごたえがある文章だった。
 釣りは楽しい。しかし自然が相手だけにつねに危険と隣り合わせであることも否定できない。うちの近所の川ですら時には牙をむく。2年前には公団団地の前を流れる淵になった部分で小学生が深みにはまって溺死した。4年前には同じ川の下流で高齢の釣り人が大雨の中釣りをしていて流され、7~8km下流で土座衛門となって上がった。さすがに近所の川ではないが、私も谷が深い渓流単独釣行の際に、「ここで足を滑らしたら、一巻の終わりだな」と肝を冷やした経験が数回ある。
 それでも釣り人は川へ向かう。もちろん死に出会うためではない。いま、ここで、自分が生きている実感を確かめるように水辺を歩き、釣竿を振る。釣り糸を通して伝わる魚のアタリと躍動感を自分の心臓の鼓動のように聞き、恋人を寝室にいざなうように慎重に釣竿を操るのだ。

 

 結局、何が言いたいかといえば、「春来たりなば、釣り遠からじ」。ようやくの春なんだから、一刻も早く釣りに行きたいでござるよ。カモーン、ヤマメちゃーん!