プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

西荻でル・クレジオの短編集と約40年ぶりに再会する。

 

 

 

金曜日に仕事で出かけた西荻で、駅近くの古本屋を覗いたらル・クレジオの短編集『ロンド その他の三面記事』の単行本を見つけて、懐かしさのあまり思わず買ってしまった。実はこの本、大学4年のゼミで扱った作品で、当時、ル・クレジオの最新作だったのでまだ翻訳が出ておらず、ゼミの前日はうんうん唸りながら辞書を引き引き翻訳していたのだった。左はそのゼミで使ったペーパーバック本で、本文には40年前の自分による鉛筆の書き込みがたくさんある。本書訳者の一人豊崎光一はル・クレジオの翻訳者として有名で、当時僕が通っていた大学学部の教授だった(ゼミの教授とは違う)。その時のフランス文学科の教授陣はわりとラテン気質的に気さくで庶民的な方が多かったように記憶しているが、豊崎先生は決して冷たいわけではないのだけれど独特の孤高のオーラみたいなものが漂っていた気がする(まあ、ここらへんの印象は人によるかも)。

僕が学部を卒業して4~5年ぐらいして豊崎先生は50代で亡くなられた。本書には12作品収録されているが、豊崎先生が訳したのはそのうち4作品のみで、いずれも文芸誌『海』が初出だそうだ。今、日本語で読みかえしてみると、ストーリーの細部はまったく忘れ去っているし、学生時代に原文で読んだ時とはかなり異なる印象を覚える。それは言語による違いなのか、はたまた読み手に横たわる40年という歳月のなせる技か? おそらく後者だろう。冒頭に置かれた表題作「ロンド」の若さ故の切迫と屈託は、20歳そこそこの私にとってはきわめて日常的に親しい感情だったが、今の私にとっては郷愁というフィルターなしには味わえないものだ。ル・クレジオはそうした時差を踏まえて、たとえば三人称の中に一人称が紛れ込むような神話的文体で時空を超えた三面記事的悲劇を紡ぎ出す。そう、この短編集は現代の悲劇をあぶり出す神話集なのだった。それにしても40年ってことは、当時生まれた赤ん坊がすでに不惑なのか。アタマがクラクラしてきた。