プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

『歩くひと 完全版 』(谷口ジロー)を読んだよ。

歩くひと 完全版

 

最近、NHKでTVドラマ化された亡くなった谷口ジロー氏の名作が、全エピソード収録&カラーページ再現の完全版として出版されたので、さっそく購入して読んでみた。いや読むと言うより、観た、といった方がふさわしい読書体験だった。

 

マンガとしては大判のB5サイズ。ページの喉元まで水平に近く開く美術書などで採用されている「コデックス装」の製本なので、見開きページの絵の緻密な描き込みまで堪能できる。作者と読者、双方への愛情に溢れた出版社の良心を感じる本となっている。カラーページの淡い味わいのために色校正にも相当な手間をかけているのだろう。
 

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作者は長年、東京都清瀬市に住んでいたので、ぼくがふだん見慣れた風景が、作品の背景としてふんだんに描き込まれている。いや、正確に言えば「見慣れていた」風景だ。既に存在しない店舗や建物がある風景、その逆にあるはずの建物がない風景。30年前の清瀬がここに描かれている。10年以上前に取り壊されてしまった清瀬市民プールで、主人公が誰もいない夜に素っ裸で泳ぐ姿に過ぎる歳月を思った。これは谷口氏の実体験なのだろうか?

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ちなみに作品によっては清瀬以外に隣の東村山や吉祥寺・井の頭公園、さら三浦半島の海岸も作品の背景、舞台となっている。いずれも20〜30年前の風景だろう。

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巻末には映画監督の是枝裕和氏が「カタクリの花」というエッセイを寄せている。是枝監督も子どもの頃から20代まで清瀬で暮らした。カタクリ清瀬でよく見られる野草で、近年は開花時期に市のイベントも行われている。そんな地味な花は、地味な多摩地区の町にピッタリであり、谷口氏や是枝監督の表現の核にある、とるにたらないもの・人に対する深い愛情に通底する。二人の表現者によるカタクリの花的表現は、文化と言語を超えてヨーロッパの人々をも魅了している。

 

是枝監督の文章を読んでいると、ある時期、谷口氏、是枝監督、そして不肖私が清瀬という狭い土地で、それぞれの思いを秘めて雌伏の時を過ごしていたという事実が胸に迫ってきた。あの時、すれ違った兄ちゃんが、おっさんが、彼らだったのかもしれない。そして雌伏のまま満足してしまっている自分も悪くないな、と思いながら、最後のページを閉じるのだ。