プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

“頑張らなくていいよ”とジョージは言った。

 


George Harrison - Cheer Down

「無条件で涙を流せる曲を何曲持てるかが、その人の人生の価値を決める」

 

などと、有名な人の言葉のように太字「 」付きで書いてみたが、たった今の思いつきである。

今日はジョージ・ハリスンの命日で、僕はジョージの曲に「無条件で涙を流せる曲」が3曲ある。そのうち1曲が映画『リーサル・ウェポン2 〜炎の約束』のエンディングテーマである「Cheer Down」だ。作詞でトラヴェリング・ウィルベリーズの同僚であるトム・ペティ(2017年没)が協力しているそうで、生きているといろいろなことがあるけれど「まあ、Cheer Downだよ」という大意が繰り返し英国人らしいユーモアを込めて歌われている。

 

しかし「Cheer Down」とはなんだろう? 「Cheer Up」という言葉ならある。“頑張れ”とか“元気を出せ” “弱音を吐くな”という意味で使われる慣用表現だ。しかし辞書をひいても、翻訳ソフトに入れても「Cheer Down」は出てこない。ググってみると「ジョージの造語」という見解が多数でおそらくその通りなのだろう。ビートルズ時代の「Rubber Soul」「Norwegian Wood」的なセンスなのかもしれない。意味としては“頑張れ”とか“元気を出せ”“弱音を吐くな”の反対だろうから、“頑張らなくていいよ” “無理するなよ” “泣いても良いぞ”みたいなことだろう。実にジョージらしいな。エンディングのスライドギターソロは、まるで山あり谷ありながらあくまでマイペースを貫くジョージの人生絵巻を“スライド”させて見せてくれるような深い味わいがある。歌の部分より僕はこのギタープレイで目頭が熱くなるのだ。

 

没後10年である2011年にマーティン・スコセッシ監督によるドキュメンタリー『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』が公開された。スコセッシが監督を務めたのはオリヴィエ夫人たっての希望だったそうで、『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』(2005) 、『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』(2008)などの音楽ドキュメンタリーを見て「夫の遺志を受け継いだ映画を作ってくれるのはスコセッシ監督しかいないと思った」と公開時の記者会見で夫人自身が話していた。

 

その目論見は大正解。ポール、リンゴ、クラプトン、トム・ペティ、オリヴィエ夫人ら多数の関係者の証言を積み上げながらジョージの人生を丁寧に紡ぎ上げた好作品で、もちろん僕も公開されてすぐ映画館に見に行った。上映時間約3時間半で途中10分程度の休憩時間が入る大長編。でも冗長さは感じなかった。終盤になってジョージについて淡々と語りながらも自ずと涙があふれるリンゴの姿を見て、僕の視界も次第に霞んでくる。本編終了後のエンドロールに入ると、あちこちから嗚咽の声が聞こえた。ドキュメンタリーとしての出来の良さは、ジョージが作る音楽に対する深い理解と愛情に裏打ちされているものと感じた。

 

後にこの映画作品のブルーレイを買ったのだが、泣きそうなので家では見ていない。子供たちが二人とも独立して、奥さんと死別したら一人でじっくり見てやろうと思っている。

 

 

ほんとうに「クイーンは日本の少女たちが発見した」のか? 

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大島弓子『ほうせんか・ぱん』(1974年)より

 

 世間ではクイーンの伝記映画が盛り上がっていて、その語られる文脈の中で「クイーンは日本の少女たちが発見した」というものがある。ほんとうだろうか? 確かにデビューアルバムは本国で不評だったようだが、セカンドアルバム前に発売した「輝ける7つの海(Seven Seas of Rhye)」は全英チャート上位とヒットした。次のシングル「キラー・クイーン(Killer Queen)」は米国でもヒットしており、日本でクイーン人気が高まってきたのは、私の体感的にはその前後の時期だ。故に日本女の子たちの盛り上がりがなくても、彼らは早晩世界的なロックミュージシャンにのし上がっただろう。クイーンの成功のために日本女子が果たした役割というのはイマイチよくわからないが、初来日の大成功で彼らが自信を付けたというのはあるかもしれない。


 ほんとうに日本の女の子の力が世界に押し上げたロックバンドといえば何といっても今も現役バリバリのチープ・トリックである。先頃の来日公演も素晴らしかったようで、彼らの出世作が「武道館ライブ」であることと併せて下積みのライブバンドを発見した日本女子の眼力は誇って良いだろう(デヴィッド・シルビアンのジャパンもビッグ・イン・ジャパン的な立ち位置だったが、「世界的」になる前にバンドは瓦解した)。


 「クイーンは日本の少女たちが発見した」への違和感は、先頃西城秀樹が亡くなった際に「ヒデキが歌謡曲とロックの垣根を初めて越えた」という言説に感じた違和感に似ている。ヒデキの前史としてロカビリーがあり、グループサウンズがあった。それを全部すっ飛ばしてどうするの?である。

  70年代の日本女子のロック趣味を牽引していたのは『ミュージックライフ』誌の女性編集者たちだが、少女漫画家の先生方の存在も無視できないだろう。まず青池保子の「エロイカより愛をこめて」「イブの息子たち」などが思い浮かぶが、それ以前から一条ゆかりや大矢ちきなども作品中で自らのロック趣味をしきりに開陳し、あの山岸涼子くらもちふさこだってストーリーにロックバンドを取り入れていた。

 クイーン人気の前史といえばもちろん70年代前半のグラムロックである。デビューは遅いがクイーンのメンバーはデヴィッド・ボウイらと同世代だ。そのボウイをたびたび作品のモチーフにしていたのが、偉大なる大島弓子先生。デヴィッド・ボウイは「レッツ・ダンス」以前はそれなりの大物ではあったが、いわゆるカルトヒーロー的な存在だった。そんなカルトヒーローを愛するマンガ家からインスパイアされた日本女子は世界でも早い時期にクイーンの魅力を発見できた。それはグラムロックブームと重なり合った少女漫画家たちのロック啓蒙運動の成果の一つと私は考えている。その中心にいたのがボウイであり、マーク・ボランである。日本の少女文化にこの二人が与えた影響はとてつもなく大きい。だって当時はもちろん、現在も少女マンガ・アニメの美青年・美少年キャラといえば、グラム・ロック期のボウイやボランの影響下から脱しきれていないではないか。

《参考》

日本の少女漫画の美少年は何故みんなボウイに似ているのか?|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

 
 では最後に、冒頭にも一つ掲げたが、大島弓子大先生の作品に見られる微笑ましいボウイ・オマージュの具体例をいくつか見てみよう。

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ミモザ館でつかまえて』(1973年)より。登場人物が熱唱する英語の歌詞はボウイの「君の意思のままに(Hang On To Yourself)」だ。

 

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F式蘭丸』(1975年)より。バイセクシャル美少年の象徴としてボウイの名が。

 

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バナナブレッドのプディング」(1977年)より。この台詞は「ロックンロールの自殺者(Rock n Roll Suicide )」の冒頭の歌詞そのまま。ボウイファンなら思わずニヤリである。

 

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ヒー・ヒズ・ヒム(1978年)より。英国の歌手〝ピーター・ピンクコートさまのお姿。ストーリーもジギー時代のボウイの苦難を思わせる。

 

 

四月怪談 (白泉社文庫)

四月怪談 (白泉社文庫)

 

 

バナナブレッドのプディング (白泉社文庫)

バナナブレッドのプディング (白泉社文庫)

 

 

F式蘭丸 (サンコミックス 416)

F式蘭丸 (サンコミックス 416)

 

 

ミモザ館でつかまえて (サンコミックス)
 

 

ほうせんか・ぱん (白泉社文庫)

ほうせんか・ぱん (白泉社文庫)

 

 

アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会3』を読んだよ。

 

 

黒後家蜘蛛の会3【新版】 (創元推理文庫)

黒後家蜘蛛の会3【新版】 (創元推理文庫)

 

 

SF作家であるアイザック・アシモフによる本格ミステリ連作短編の3巻目。特許弁護士、画家、数学者、暗号専門家など多士済々の秘密クラブ「黒後家蜘蛛の会」で繰り広げられる推理ゲームという設定で書かれた連作短編シリーズという体裁で、設定を含めて極めて作為的である。メタ本格推理といってもいいだろう。

昔からその存在は知っていたけど、なんとなく読まずにおいたのだが、参加している書評サイトで献本ということで新装版の第3巻をいただいたので読んでみた。早く読んでおけば良かった。

黒後家蜘蛛の会」のメンバーは職業も興味もキャラクターもバラバラで、親睦の集まりのわりに互いに嫌みや当てつけを言い合ったりしている。推理のネタを持ち込むのは、メンバーの一人が毎回招待するゲストで、それも殺人事件やら凶悪犯罪というわけではなく、ミステリアスではあるが日常の疑問に過ぎないものである。しかし「事件」の種類がなかなかバリエーション豊富で飽きることなく読み継げる。この3巻には宇宙科学に関する「謎」も含まれており、アシモフの本領発揮である

 ゲストの提示した謎を聞くやメンバー各人が推理を披露するが、謎を解いてしまうのは最後まで黙っているクラブの給仕ヘンリー。つまりこの寡黙なヘンリーがホームズで、自己主張が強い「黒後家蜘蛛の会」の錚々たるメンバーたちがワトソンなのだ。

 物語は単なる決して謎解きに終始しているわけではなく、各自の推理は時事ネタや社会批評、人間観察に及び、一話が短い割に懐が深い読み味だ。話の末尾に作者アシモフによる注釈のような文章が付されており、そこでヘンリーの推理以外にも「答」があることも示唆され、楽しみながらこのシリーズを書いている作者の余裕がうかがわれる。

 

さっそく他の巻も読んでみよう。付け加えると長さといい、読み味といい、電車など細切れの短い移動時間で読むのにうってつけの作品集だ。

『サカナとヤクザ』(鈴木智彦・小学館)雑感

 

 

 

話題の一冊『サカナとヤクザ』(鈴木智彦・小学館)を仕事の合間に読み進めた。
東北、築地市場、北海道、千葉、そして九州・台湾・香港ルートなど、漁業の裏側への体当たり潜入ルポだ。

作者が北海道出身のせいか、北海道に2章に分けて全体の半分弱のページ数が割かれており、特に後編のレポ船の話は読み応えがあった。レポ船というのはソ連時代にソ連海域での漁を黙認してもらう代わりに日本の情報をソ連に渡すスパイ船のことだ。話には聴いていたが実際にレポ船に乗り組んでいる人たちの証言を交えてのリアルな話には圧倒される。

戦後の銚子港のヤクザ支配、そして共産党暴力団の暗闘も興味深かった。通称「高寅」という銚子を牛耳るヤクザの元締めは昭和20年代に警察の手に落ちるが、ヤクザ支配の気風はその後も残り、銚子の歓楽街で生まれ育った昭和38年生まれのジャズミュージシャン菊地成孔の証言も出てくる。

最終章のウナギをめぐる話もえぐいえぐい。九州・台湾・香港と文字通り命がけのルポルタージュと言えよう。これを読むとおちょぼ口で高級店のウナギを食す老若男女が心底バカに思えてくる。

実に興味深い本だが、読みやすくはない。文章が荒っぽい。言いたいことの気持ちだけが先行して、往々にして前後関係や主述関係が混乱を来している。読みながらもう少し叙述法を練り上げたほうがいいと思ったことが何度もあった。が、内容の凄まじさと勢いに押されて読み進めることはできる。奇書と言えよう。

日本経済新聞10/27夕刊オフナビに「中高年『エレキ愛』沸騰」を書いたよ。

 

先週土曜日の日本経済新聞夕刊に「中高年のエレキ愛」をテーマにしたコラム記事を書きました。

 

www.nikkei.com

 

「原子力の日」あるいは「反原子力デー」に思い出すLPレコード。

 

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No Nukes by Various Artists (1997-05-03)


10月26日は「反原発デー」だそうです。いや、もともとは「原子力の日」だったのですが、その日にぶつけた反原発デモなどが開催されるためにそういうことになったらしい。

1979年、米国でスリーマイル島原発事故が発生。この「NO NUKES」と題されたアルバムは、事故後に西海岸を中心としたミュージシャンたちが集い、反原発を訴えるためNYマジソンスクエアガーデンで開催したコンサートのライブ盤です。参加したのはドゥービー・ブラザース、POCO、ジャクソン・ブラウン、CS&N、ジェームス・テイラーカーリー・サイモン、B.スプリングスティーン&Eストリート・バンド、ライ・クーダーチャカ・カーンボニー・レイットニコレット・ラーソンなどなど....アナログで3枚組のボリュームでした。ブックレットにはミュージシャンの写真や紹介とともに、米国の原発マップや放射生物質の危険性についての解説などが書かれており、なかなか読み応えがあります。

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じつはこのレコード、僕のものではありません。20代の頃に、当時の同僚に借りてそのままになっているのです(ちなみに僕はその際、彼には『801 LIVE』を貸してそのままになっています)。

お互い転職してからも年に一度ほど会っていた彼は2010年1月に癌により急逝。彼の遺族に返却することも考えましたが、あれこれ思い悩んだまま現在に至っています。
彼が亡くなった翌年の3月11日、東日本大震災及び福島第一原発事故が勃発。僕は錯綜する報道の中、呆然としながらあらためてこのレコードを取り出しました。亡くなった友人とは音楽(特にビートルズ)の話をすれば、それこそ際限がありませんでしたが、このレコードを肴に、このとんでもない事態=メルトダウンについて語り合いたいと切実に思いました。

ご遺族のご希望があれば話は別ですが、僕はこのレコードを自分の墓まで持っていくような気がしています。

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NHKスペシャル「“樹木希林”を生きる」を見たよ。

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NHKスペシャル | “樹木希林”を生きる

 

 さる9月26日に放送されたこの番組を予約録画して、見るタイミングを考えていた。

それなりに心の状態を整えてから見たほうがいいような気がしたからだ。

  でも、結局、先週の仕事の締切に追われる慌ただしさの合間を縫って見た。

 圧倒された。何がすごいのか? 番組の作り手か? それとも樹木希林その人か? そのどちらでもあり、どちらでもない。人が生きることの不可思議というか、困難さというか、とにかくすごいモノが映っていた。

 地方局で樹木希林と一緒にドラマを制作したNHKのディレクターが、東京の本局に転勤となり、全身ガンに冒されながらも旺盛に仕事こなす彼女に再会して密着取材を敢行するというのがそもそもの番組の発端だ。映画4本を立て続けに撮影するというハードスケジュールの樹木さんを、ディレクターは撮影現場にハンディカメラを持ち込んで一人で取材・撮影を行う。「一人で」というのが樹木さんが取材を許可する条件だったのだ。


 ドキュメンタリーの撮影は順調に進んでいるかに見える。樹木希林は撮影現場でも樹木希林らしさを放ち、共演者や制作スタッフを鼓舞する。やかましいババアのように見えるが彼女が言わんとすることは「アンタ、ホントにそれが自分でやりたいことなの?」ということなのだ。


 その言葉の刃は映画監督にも向かう。カンヌでパルムドールを獲得した『万引き家族』の撮影現場。脚本を読んだ樹木さんは是枝監督に「赤の他人を自分の家で棲まわせるなんて、不自然きわまりない」と映画の根本的な設定に異議を唱える。しかしさすが樹木さんと何本も映画を撮っている是枝さん、こんなちゃぶ台返しを落ち着いて受け止め「話し合いましょう」と時間を取る。結局、是枝監督は新たな設定を盛り込むことで樹木さんの疑念を晴らすることに成功する。『万引き家族』を見た人なら、あそこの設定は樹木さんが異議を唱えなければなかったのか!?と驚くことになるだろう。

 そしてこの『万引き家族』のエピソードは、このドキュメンタリーそのものへの刃となってNHKのディレクターに襲いかかることになる。樹木さんはディレクターに対して、「あんた、ず〜っと長いこと密着取材してきたけど、ほんとうに自分が撮りたいものが撮れてるの?私はそうは思えないけど」と言い放つ。自分も病気で辛いのをこらえながらあなたに付き合っているのに、あなた自分がやりたいことがぜんぜん出来ていないなんて、どうするのこれ?

 移動中のクルマ(運転しているのは樹木さん)の中で、本番撮影後の楽屋で、この詰問は続く。最初は軽く流したり、ごまかしていたディレクターは、樹木さんのストレートに繰り出される鋭い言葉にしどろもどろになり、最後に涙を流す。家庭や仕事がうまく言っていないことを吐露しながら、嗚咽をもらす姿を自分が持ったカメラが楽屋の鏡越しに映す。こんなすごいシーンを公共放送で流していいのか? 


 このシーンを転機として、淡々と樹木さんを追っていたこのドキュメンタリーのムードは一変することになる。映画の撮影が終わりしばらく疎遠になっていた二人だったが、樹木さんからディレクターに連絡が入った。慌てて駆け付けると「余命宣告が出た」と樹木さんは言う。あなた私の余命宣告という絶好の素材を使って、このドキュメンタリーの決着をちゃんと付けなさいよ!

で、どうなったか? 泣き虫のディレクターは見事にやり遂げたと思う。ただ、死を目前にした樹木さんの最後の一踏ん張りがなければ、彼は頓挫しただろう。樹木さんは最後に素晴らしい舞台を用意した。うるさくて、きびしくて、つっけんどんだけど、こんなに優しい人は滅多にいない。私はそこで泣きました。

明日10月20日(土)午後4時00分~5時13分に再放送があるそうなので、見逃した方はぜひ見ていただきたい。