プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

読後1年近くを経てフローベール『三つの物語』の感想を記す

三つの物語 (光文社古典新訳文庫)

三つの物語 (光文社古典新訳文庫)

 

フローベールの代表作と言えば誰しも『マダム・ボヴァリー』『感情教育』といった長編小説をあげるだろう。ところが本書の帯には「フローベールの最高傑作」と書かれており、昨年の今頃、思わずほうっと思って手に取った。ぼくはもともと短編小説マニアであり、大学ではフローベール研究の授業も履修していたのだが、本書はいままで未読だった。訳書が手に入りにくいという事情もあったが、なによりフローベールは長編小説に本領があると思い込んでいたからだ。

しばらく積ん読にしておいたのだが、昨夏のソロキャンプに薄いという理由で本書を持って行った。満点の星空の下、ランタンの明かりで読んだ本書は思わぬ幻想性を備え、不意打ちされたような感動に満たされた。その感想を1年近く経った今頃書こうとしている。

本書は署名の通り、蜜の短編小説から成り立っている。まず「素朴なひと」は、無学だが無垢な信仰心を持った女召使いの生涯と死が描かれている。フローベールにしてはあまりに素直な作風に面食らう。ラストの救いのイメージが印象的だ。

 

次に両親を殺すという宿命から逃れられない城主の御曹司の来歴を描いた「聖ジュリアン伝」が続く。前作とまったく作風が異なり、神話のごとく飛躍も内在しながら一気に物語が進む。血なまぐさい話だが、最後、神の化身だろう癩者とともに昇天するシーンがあまりに美しい。そして最後に置かれた「ヘロディアス」は、あのサロメ伝説をベースにした短編だ。日本人的にはこれがいちばん難解な作品かもしれない。ラストシーンは思わずぎょっとする描写で締めくくられている。

 

 

時代も、題材も、作風も異なる3作品だが、実はキリスト教というキーワードで結ばれている。「素朴なひと」=信仰、「聖ジュリアン伝」=聖性、そして「ヘロディアス」=宗教の創生。といってもこれらはキリスト教信仰の啓蒙では決してない。そもそもフローベールはむしろ反キリスト教的な作家だ。「素朴なひと」の主人公の信仰は、よく読めばキリスト者であれば眉をひそめるであろう場面が多いし、他の2作も信仰のいわば暗黒面を照射するシーンが多い。しかしそれでも人は救われるのだ……ペシミストフローベールが長編に埋め込んでいた(必ずしも報われない)希望への意志が、この3作にはピュアな形で表現されていた。そして3作揃ってのメッセージであったのだ。なるほど「最高傑作」とはそういうことか!