プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

カズオ・イシグロ新作の前に前作をおさらいした。

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忘れられた巨人




まもなくカズオ・イシグロの新作、ノーベル文学賞受賞第一作『クララとお日さま』が世界同時発売される。今回は子どもの遊び相手となるAIロボットが主人公だという。いやまったく、またもや読者の期待をはぐらかし、意表を突くスタンスは創作者の鏡。デビュー以来変幻自在の作風はまるでデヴィッド・ボウイを思わせる。

 前作「忘れられた巨人」は問題作とされた。なにせ小説の舞台は、6世紀頃の伝説のアーサー王死後のブリテン島。日本で言えば応神天皇とか、あるいはそれ以前の日本武尊時代の神話ファンタジーみたいなものだろう。
 年老いたアーサー王の騎士が登場し、ケルトブリトン人とサクソン人の確執が描かれる。主人公である息子の村を目指して旅する老夫婦は過去の記憶が曖昧だ。山の上に住むという雌竜の息が人の記憶を霧に包んでわからなくしてしまったからだ。息子はどこに居るのか?同行者となった少年、若き戦士は何者なのか? 老夫婦の過去にいったいどのような悲しみが隠されているのか? 「島」とはいったい何か?……「失われた記憶」をモチーフに「信頼できない語り手」というイシグロの方法論が縦横無尽に展開される。

 

当時の書評では、余りの作風の変化と、複雑で重層的な構成、曖昧な伏線回収とラストなどにより「問題作」「よくわからなかった」などといった感想が多かった。今回、さらっと再読してみたが、僕にとっては流れるようなストーリーと豊饒なイメージに満ちた魅力的な寓話=ファンタジーであった。もしかしたら現代の移民問題テロリズムのアナロジーとして読むこともできるかもしれない。

 

初読時、私は個人事業主に成りたてで、この先五里霧中の精神状態だったので余計にこのファンタジー世界は救いに思えた。発売当時の本人のインタビューではこの作風への挑戦は、文学の師であるアンジェラ・カーターと子どもの頃に読んだ「サムライが出てくる日本昔話」からのインスパイアがあったと語っていた。僕はそれに加えて盟友である村上春樹の『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』あたりの影響もあったのではないかと考えている。

 

この小説が発表される前、日本では現在も続くマンガ『進撃の巨人』がヒットした。巨人と戦いのモチーフが紡ぎ出す世界観に現代社会が抱える切実な記憶と忘却の刻印が刻まれているような気がしてならない。

 

クララとお日さま

クララとお日さま