プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

「ヨシュア・ツリー」をめぐるもやもやと納得。

THE JOSHUA TREE

 

 先日、U2の13年ぶりの来日が決定した。しかも名盤「ヨシュア・ツリー」ツアーだという。

 話題はそのチケット代の高さだ。もちろんU2はいまやレジェンド級の大物ロックミュージシャンであることは確かで、それなりのチケット料金が発生するのは仕方ない。だが、スタンディングで60000円〜15800円、実質的に標準クラスの座席であるSS席が(グッズ付とはいえ)38800円という価格設定はどうしたもんだろう?

 

 ちなみに僕は1989年の「LOVE COMES TO TOWN TOUR WITH B.B. KING」ツアーを東京ドームで見ている。「ヨシュア・ツリー」の曲も多く演奏されたこのコンサートはめちゃくちゃ良かった。

 80年代を締めくくるにふさわしいこのコンサートが行われた頃、東欧革命や中国・天安門広場民主化運動の最中だった。ステージ上のボノは"Love Rescue Me"の演奏前に「ロックンロールは世の中を変えることはできないが、人は世の中を変えられるよね。俺たち次の曲を東ベルリン、チェコスロバキア鉄のカーテンの後ろにいる人たちに、そして中国の人たちに捧げたい。北京の広場を埋め尽くした勇気ある人たちに(ぼんやり記憶の意訳)」と言っておもむろに歌い始めたのだ。
 U2単体でも大盛り上がりしたのだが、最初と最後に登場するB.B.KINGはまた別次元に観客を連れ去った。 

 

 さて21世紀のU2
 チケット料金は大物級だが、彼らの音楽に対する姿勢はそれほど変わっていなかったように思う。80年代後半にルーツ回帰傾向が強かった彼らは90年代になると一転してテクノロジーを積極的に活用したグラマラスなサウンドに変化していく。ここらへんの決して守りの姿勢に入らないU2はバンドとして信頼できた。近作にも耳を通しているが、若い世代の音楽を積極的に吸収しながら、おっさんなりの挑戦を続けるスタンスは崩していない。立派なことである。

 

 だから2年前に「ヨシュア・ツリー」30周年ツアーを始めたときは、「う〜ん」と首をかしげた。「U2よ、お前もか?」である。僕の周囲ではチケットがクッソ高くことへの反発が聞かれるが、過去の遺産を消費するツアーコンセプトそのものへの疑問はあまり聞かれない。もちろん名盤を本物のミュージシャンが再現するというコンセプトはファンには魅力的なのだろう。しかしそれは引退同然のミュージシャンがやることで、コンスタントに新作を発表しているバンドの仕事としてはいかがなものだろうと思うのだ。

  そんなもやもやした気持ちを抱いて、先日、近所の中古屋を覗いたところ、『ヨシュア・ツリー』の製作行程を関係者の証言で再構成したドキュメンタリーDVD「クラシック・アルバムズ:ヨシュア・ツリー」をなんと500円で売っていたので、即決レジに持って行った。

  プロデューサーを務めたブライアン・イーノやダニエル・ラノワが語るメンバーの素顔とスタジオの雰囲気は真に迫って、レコーディング時の関係者の息遣いさえ感じられる。ボノとダニエル・ラノアがミキサーの前でスイッチングしながらオリジナルマスターを聞き、録音の模様を詳細に話し合うシーンは純粋に楽しい。

 

 レコーディング総時間の半分ぐらいをエッジがカセットテープに録音したデモで持ち込んだ"Where the Street Has No Name"に費やしたこと、なかなか完成像が見えず業を煮やしたイーノがそれまでにレコーディングしたテープを消去しそうになったエピソード、同曲のアポなしで撮ったPVなど、1曲だけを取ってもレコーディング中のドラマに事欠かない。

 本来のタイトルの発音は「ジョシュア・ツリー」。しかし、アルバムジャケットアート担当のスタッフがオランダ人で「ヨシュア・ツリー」としか発音できず、メンバーたちがそれを面白がって「ヨシュア・ツリー」と呼ぶようになった話も面白い。邦題は「ヨシュア・ツリー」で定着している。

 

 このドキュメンタリーの白眉はU2サウンドの要が実はラリーのドラムであることを明らかにしたことかもしれない。もちろんU2サウンドの特色はボノの熱いヴォーカルとエッジの空間的なギターワークだが、核はあくまでドラムス(とそこに安定感をもたらすベース)なのだ。長年U2を聞き続けている人なら、そこは大いに賛同できると思う。

 

 ラリーは自分にとって“初めてのプロデューサー”がイーノだったと述懐する。もちろんバンドをブレークに導いたスティーブ・リリーホワイトの手腕を認めた上でのことだ。ラリーによると一般的なイメージとは異なり「スティーブはメロディ重視。イーノはリズム重視」のプロデューサーなのだという。イーノの共同プロデューサーのダニエル・ラノワは「ラリーに厳しい注文を出すと、彼はそれに確実に応えてくれる。大好きなドラマーだ」と微笑んで語る。また、ボノはラリーのドラミングを「ジョン・ボーナムみたい」と例え、「僕たちはダブリンでレッド・ツェッペリンを聴いて育ったんだ」と述懐する。ハードロックやヘヴィメタル以外のレッド・ツェッペリンの余波についてはなにか研究書みたいなものが出ると面白いんだけど、日本の音楽評論家じゃムリだろうな。

 

 映像の中のイーノは「U2は優れたライブバンドだけど、僕たちはライブで再現できないような曲ばかり作ってしまったね」と苦笑いしながら話していた。これまでステージで散々演奏してきた「WHERE THE STREETS HAVE NO NAME」「I STILL HAVEN’T FOUND WHAT I’M LOOKING FOR」「WITH OR WITHOUT YOU」以外の『ヨシュア・ツリー』収録曲に新しい光を当てる試みがあるのであれば、2年遅れの日本での30周年ツアーもいくばくかの意味を持つのかもしれない。知らんけど。

 

クラシック・アルバムズ:ヨシュア・ツリー [DVD]

クラシック・アルバムズ:ヨシュア・ツリー [DVD]

 

 ※僕が入手したのは最初に出た日本コロムビア版だが、現在は上記のヤマハ再発版のほうが入手しやすいかも。

「二十歳の原点」の高野悦子さん(と村上春樹)が今年70歳になったことに気付く

二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)

 

ふと、「二十歳の原点」の高野悦子さんが今年70歳になったことに気付く。

1969年に20歳で(おそらく)鉄道自殺をした立命館大学生・高野悦子さんの日記をまとめた二十歳の原点」。いわゆる政治の季節における煩悶と挫折、そして自死への道のりを未熟ささえ魅力となる清冽な筆致で記した女子学生の日記。二十歳の原点・ノート」「二十歳の原点・序章」との三部作として発表され、当時、大ベストセラーになり、映画化もされた。

僕の年齢以上だと10代後半で通過儀礼のように読む本だった。10代の僕も貪り読んでもはやこの世にいない高野悦子さんに心のいくばくかを奪われた。

いまでも新潮文庫版として流通しているし、新装版の単行本も出ている。現在の読者層とこの本の読まれ方はどうなのだろう。Amazonのレビューを見てみると、ほとんど僕より年上の人たちによって懐古調で書かれており、あまり参考にならない。ウチの子どもたちも読んでいないが、勧めて読ませるようなものでもないだろう。だいたい娘などもうとっくに20歳を過ぎてしまった。

 

高野悦子は1949年の生まれなので、生きていれば、今年70歳になる。同じ年に生まれたのが村上春樹だ(どちらも1月生まれ)。高野悦子は栃木県から京都の大学へ、村上春樹兵庫県から東京の大学へ、二人の人生は東海道でクロスした。村上作品に登場するある種の女性に高野悦子の影を読み取る読者は少なくないと思う。『風の歌を聴け』の大学の図書館で知り合った仏文科の学生とか、『羊をめぐる冒険』の誰とでも寝る女の子とか、『ノルウエィの森』の直子とか、主人公の僕と結ばれながら死を選ぶ女性たちだ(誰とでも寝る女の子は事故死だが)。あるいは『海辺のカフカ』の佐伯さんは死を選ばなかった高野悦子かもしれない(そのかわり恋人を学生運動で亡くした)。

日記の最後に題名がない詩(下記)が記されていて、この詩が自死を暗示するものと読まれた。今読むと彼女が死を選んだのは、政治運動の挫折が主原因ではなく、時代の雰囲気と男女関係の裂け目に嵌ってしまったという印象を持つ。若い頃は逆の印象だったのだが。

旅に出よう

テントとシュラフの入ったザックをしょい

ポケットには1箱の煙草と笛をもち

旅に出よう 

 

出発の日は雨がよい

霧のようにやわらかい春の雨の日がよい

萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら

 

そして富士の山にあるという

原始林の中にゆこう

ゆっくりとあせることなく 

 

大きな杉の古木にきたら 一層暗いその根本に腰をおろして休もう

そして独占の機械工場で作られた1箱の煙草を取り出して

暗い古樹の下で1本の煙草を喫おう 

 

近代社会の臭いのする その煙を 古木よ おまえは何と感じるか

 

原始林の中にあるという湖をさがそう

そしてその岸辺にたたずんで

1本の煙草を喫おう

煙をすべて吐き出して

ザックのかたわらで静かに休もう

原始林を暗やみが包みこむ頃になったら

湖に小舟をうかべよう 

 

衣服を脱ぎすて

すべらかな肌をやみにつつみ

左手に笛をもって

湖の水面を暗やみの中に漂いながら

笛をふこう 

 

小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中

中天より涼風を肌に流させながら

静かに眠ろう

 

そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう

 

 

ちなみに映画化された「二十歳の原点」のサウンドトラックを担当したのが若き日の四人囃子だ。サントラ盤には「四人囃子から高野悦子さん江」というメッセージソング(?)が収録されており、短いながらもこれがなかなか良い曲だった。メンバーはまだ高校卒業して間もない頃だと思うが、随分成熟したサウンドで驚かされる。以前はネットに音源がアップされていたのだが、既に削除されているようだ。Amazonの下記ページで30秒だけ試聴できる(他の収録曲も)。

 

二十歳の原点(+2)(紙ジャケット仕様)

二十歳の原点(+2)(紙ジャケット仕様)

 

 

 

待望の1冊『身近で楽しい! オイカワ/カワムツのフライフィッシング ハンドブック 』届く

身近で楽しい! オイカワ/カワムツのフライフィッシング ハンドブック: 初めての釣り、身近なレジャーにも最適! 最初の一匹との出会いからこだわりの楽しみ方まで。

身近で楽しい! オイカワ/カワムツのフライフィッシング ハンドブック: 初めての釣り、身近なレジャーにも最適! 最初の一匹との出会いからこだわりの楽しみ方まで。

フライフィッシングを始めた頃、何気に洋書(米国)の入門書を買ってみた。案の定、テクニカルな説明は、日本の入門書に比べて、ひじょうに丁寧に書かれており、輪っかになったナイロンリーダーを絡みなく解く方法までも図解入りで書かれていて唸った(米国人が不器用だから、ともいえるわけだが)。

日本のその類いの本の多くは、技術を技術として書き表すことにテレがあり、文化・思想的なニュアンスを漂わすことに腐心している風でもあり、それはそれで気持ちはわからなくはないのだが、目的をはき違えていることは確かだろう。そもそも文化とは、細かい技術的なディティールの集積であり、それをしっかり書きとめない限り、文化としての意味をなさない。日本の入門書・解説書で納得いったのは、故西山徹さんのものだった。この人にもテレはあるのだが、それを処理するプロ根性があった。

フライフィッシング―100の戦術

フライフィッシング―100の戦術

 

これは素晴らしい1冊だ。フライフィッシングに関わる普遍的な技術を網羅しようという意気込みで書かれた解説書で、その熱意に応えるべく暗記するぐらい読み込んだ。

 

一方、そのアメリカの入門書は釣り人同士のマナー・礼儀にまるまる一章を割いており、日本人の場合だと、たとえば「同じ趣味の人間同士、仲良くやろう。挨拶をしよう」程度で判断停止状態になる訳だが、こう来る──釣り場で遭う人にはそれぞれ事情がある。ひとりになりたくて釣りにくる人も多いのだ。挨拶をして無視されても不愉快になるな──その通りである。そのアメリカの入門書だが、どこにいったのか見つからない。もう一度、初心に戻りたいので読み直したいのだが。

 

で、昨日、アマゾンから届いたのが『身近で楽しい! オイカワ/カワムツフライフィッシング ハンドブック』。以前、専門誌である「フライの雑誌」での2回(2015年・2017年)にわたる「オイカワ/カワムツ」特集に掲載された記事の再編集と編集部渾身の新規の原稿による、現場に持って行きたくなる文字通り「ハンドブック」的な川の匂いがぷんぷんする本である。「釣りがしたい。死ぬほど楽しみたい」。それ以外の邪心は一切ない。日本の釣り本もここまで来たのだ。そんな感慨を持ってページをめくっている。

 

 

 

 

『だれがコマドリを殺したのか? 』を読んで、大阪万博の年にイーデン・フィルポッツと出会ったことを思い出す。

だれがコマドリを殺したのか? (創元推理文庫)

だれがコマドリを殺したのか? (創元推理文庫)

 

 イーデン・フィルポッツの名を知ったのは、1970年、大阪万博の年だった。僕は8月上旬に兵庫県伊丹市にある祖父母が同居する伯父の家に泊まって、一緒に来た父と大阪・吹田市千里丘陵にあった万博会場に3日間ほど通った。
 朝早くで掛けて夕方には伯父の家に戻り、晩ご飯とお風呂に入った後、NHK総合の「銀河ドラマ」という連続テレビドラマ枠を見ていた。で、ちょうど僕が滞在していた期間に放映していたのがフィルポッツ原作の『闇からの声』だったのだ。
 古いホテルに滞在中の老探偵が聞いた闇の中から響く子どもの悲鳴。しかしその声の主はすでに亡くなっていた……おどろおどろしいムードにたちまち惹かれた。老探偵を演じていたのは当時水戸黄門役者でもあった東野英治郎。彼の重厚な演技も印象的だった。僕がフィルポッツの原作を手に取るのは、その後5年以上を経てからだったと思う。

 僕はいわゆる専業の推理作家ではない、純文学や劇作家などの文学者の手になる推理小説が好物である。日本人作家だと坂口安吾福永武彦加田伶太郎)、戸板康二、そして「半七捕物帳」の岡本綺堂などである。

 推理小説、ミステリというモノはフィクションとしてはなはだ奇形である。それがいけないというのではない。その奇形を批評的にとらえられるかどうかで、小説作品としての面白さが定まると僕は考えている。「推理小説」「ミステリ」「SF」というジャンルを自明のモノとして書かれている小説作品はすぐ飽きる。その自明さに読者として付き合うのも2度3度で十分だからだ。その点、江戸川乱歩は、ミステリ実作者でありながら意識的に日本の推理小説と言うジャンルを批評家的な視点から構築していった。戦後の推理作家としての不振は、あまりにも批評家的なそのスタンスのせいだったかもしれないが。


 フィルポッツも英文壇の大家だが、『闇からの声』『赤毛のレドメイン家』といったミステリー史に残る作品を残している。彼は若きアガサ・クリスティーの隣人でもあり、才能を認めた彼女にミステリー執筆の手ほどきをしていたそうだ。
 『だれがコマドリを殺したのか?』は作品名こそ知っていたが未読だった。長らく品切れ状態だったらしい。先日、新訳が出ていたことに気付いて読んでみた。マザーグースの”Who Killed Cock Robin?”に因んだミステリーといえばヴァン・ダインの名作『僧正殺人事件』が有名だが、こちらの作品もなかなかのモノだ。一目惚れの純粋さを貫いた結果の悲劇という恋愛ドラマの構図で、英国人らしい底意地悪さが通底しているが、不思議と嫌みな感じはない。トリックはなかなか大胆なのだが、ある程度ミステリーを読み慣れた人なら、終盤種明かしの直前でそのからくりに気付くだろう。しかし、そうであってもストーリーを追う興味は減退しない。そこらへんはさすが小説のプロだ。全体として陰惨な事件で、苦い皮肉に満ちた話なのに読後感が爽やかなのも素晴らしい。フィルポッツを読んだことがないという読者には、著名な『赤毛のレドメイン家』よりこの作品をおすすめしたい。でも僕が一番好きなのはやはり『闇からの声』だ。

『はじまりのゼルダ 最初期音源集 1980-1982』雑感

はじまりのゼルダ 最初期音源集1980-1982

はじまりのゼルダ 最初期音源集1980-1982



なぜか突然発売されたゼルダ草創期の貴重な音源集。

 

 僕がもっとも好きなゼルダは、ギターのフキエさんとドラムのアコさん加入後の3枚『カルナヴァル』『空色帽子の日』そして個人的には最高傑作の『C‐ROCK WORK』。

 

なのでこの「最初期」と銘打たれたコンピレーション発売に大きく心動かされはしたが、購入するかどうかはすこし考えた。読みたい本や見たい映画もあるし、釣りにも行きたい。2枚組CDをじっくり聞く時間もなかなか取れるものではない

 

 と思っていたら、この改元のタイミング。多少仕事はやらねばならないが、逆算しても時間の余裕はわりとありそうだ。ならばとポチって翌日にCDが届く。買って良かった。

 CD1はバンドの胎動期の生々しい記録。CD2は「暗黒ZELDA」「野生のZELDA」として羽化する瞬間の記録だ。ライブ音源は概ねまあまあ音のよいブートレッグ並みではあるが、それがどうした。ビートルズの初期音源と同様、団子状になった音の塊が聞き手の脳髄を直撃する。モモヨ、白井良明佐久間正英といった名うてのミュージシャンたちが彼女たちのプロデュースを買って出たのもむべなるかな。

 

 後年の「C‐ROCK WORK」収録曲「Question-1」の初期バージョン「問1」には瞠目した。「Question-1」の特徴的なベースラインはまだ聞かれない。ひたすらルートで押しまくる。その不器用に突進するパワーが愛おしい。そうかと思えば、後に『空色帽子の日』に収録される「ハベラス」はもうこの時期にほぼアレンジが完成していて驚く。

 

 プロデュースはヴォーカルのサヨコちゃん(とエンジニア)で、ライナーには彼女とリーダー&ベーシストのチホさんが文章を寄せている。チホさんの文章はごく短く顔文字入りなので、きっとスマホかなんかで作成したものじゃないかな。その短い文中に「1981年1月11日の屋根裏LIVE音源がヤバイ。。。初期ゼルダのピークかも」とあり、実際その5曲を聞いてみると確かにヤバイ。ぶっ飛んだ。当時のフリクションスターリンといったパンク系バンドに比肩する鋭さを持つ演奏を聴かせている。ああ、生で体験するべきだった。

 

 ゼルダはほぼ自分と同世代のバンドで、彼女たちがこういう音楽をやっている気持ちというのが本当によくわかる。夢中になっていた音楽、当時の東京のロックシーン、サブカルチャーシーンから受けたインパクトなど……80年代半ばに自分でも同傾向のニューウェーブ系バンドに参加していた経験があるので、バブルに向かう社会の混沌の中で自分達のピュアネスを表現しようとする彼女たちのもがき方に(今となっては気恥ずかしい)共感を覚える。また上の世代と異なり、一つのジャンルに拘泥しない雑食性としなやかさ(あるいはいい加減さ)にも親近感を覚えていた。

 

 ゼルダを聞くと音楽的な感興だけでなく、こうした若き日々のよしなしごとが脳内に沸き立ってくる。自分の音楽的原点は加山雄三ベンチャーズビートルズあたりだが、ゼルダに関してはまるで新入社員時代の同期みたいな気持ちで接しているのだ。この最初期音源集『はじまりのゼルダ』を聞いてあらためてその思いを強くした。

 

 

NETFLIXのオリジナルドキュメンタリー『リマスター:ロバート・ジョンソン』雑感。あるいは私の「27クラブ」

www.youtube.com

 

 NETFLIXのオリジナルドキュメンタリー『リマスター:ロバート・ジョンソン』を見た。

 ジョンソンに関してはかなり研究も進み、私も伝記やドキュメンタリーに接しているのでこの番組にはそれほど目新しい情報はなかったが、最新の研究成果を一般向けにうまくまとめてあって感心した。NETFLIXのプログラム制作能力はもはや日本のテレビ局など及びも付かないレベルに達している。

 

 番組中で多くの人がロバート・ジョンソンの人と音楽を語っているが、その中でも孫であるスティーブン・ジョンソンの姿が印象的だった。スリムなロバートと違って、スティーブンは力士のような巨漢である。彼が歌う「クロスロード・ブルース」は祖父のようなエキセントリックな味わいはないが、迫力満点である。もう一人、ロバートと「7カ月付き合った」という老婆がワンシーンだけ登場したのは驚いた。

 

 ロバート・ジョンソンと言えば、やはりブルースギターの神髄とテクニックを手に入れるため、十字路で悪魔に魂を売り渡したという伝説が有名だ。最初、ロバートはギターが下手くそなブルース歌手だったが、1年間姿をくらました後、神業としか思えないギターテクニックを身につけて再び姿を現した。このドキュメンタリーでは、その1年の空白の間、故郷に戻って土地のギター名人に師事してギターテクニックを身につけていたという説を紹介する。ただし、その練習場所が異様だ。真夜中の墓地だという。ロバートと師匠はお互いに墓石に腰掛け、向かい合ってギターを演奏した。なぜ深夜の墓場なのか? 霊がホンモノのブルースを教えてくれるからだ、と師匠はロバートに言った。

 

 そして皆の前に再び姿を現した彼は、誰の追随も許さない卓越したブルースマンとなっていた。私としてはコチラの話の方が、十字路の悪魔の話より面白いと思う。

 それにしてもロバート・ジョンソンのエピソードにはつねに不吉な影が覆い被さっている。その不吉の影は彼の影響下にある後世のロックミュージシャンたちにも及ぶ。

 27歳でジョンソンが毒殺されてから約30年が過ぎた頃、ブライアン・ジョーンズジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンジム・モリスンらのロックスターたちが相次いで27歳で死亡した。その後もピート・ハム(ex バッドフィンガー)、ゲイリー・セイン(ユーライア・ヒープ)、ピート・デ・フレイタス(エコー&バニーメン)らが27歳で死んでおり、さらに1989年=平成元年、ニルヴァーナカート・コバーンが死亡するとこの偶然の一致は「27クラブ(The 27 Club)」という言葉を生み出した。

 医学的な調査も行われた。2011年にブリティッシュ・メディカル・ジャーナルは、27歳の時点でミュージシャンの死亡リスクが有意に高まるわけではないという調査結果を発表した。ちなみのその年にはエイミー・ワインハウスが27歳で死んでいる。これはもう十字路(もしくは墓場)の呪いとしか言えないだろう。

 私の27歳といえば、初めて転職した年齢であり、初めての改元を迎えた年でもあった。もう仕事を辞めようと思って迎えた新しい年の1月7日、徹夜で遊んで、ドライブして朝方に帰宅すると昭和天皇が死んでいた。オレと関係なく時代が変わっていくのかもしれないと思った。でもそれより自分自身と自分自身を取り巻く状況を変えることが先決だった。それが私なりの「27クラブ」だと。あそこで自分は時代を乗り越えるために一度「死んだ」のかもしれない、と今振り返って思う。

 その平成もまもなく終わる。しかし、今度は何も変えるつもりはない。じたばたしてもしょうがない。ほっとけば自然と衰え、死に向かう年齢になっているんだから。

 

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