プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

ウイークエンド銭湯

 

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2019年11月末で廃業した清瀬市最後の銭湯「峰の湯」

昨年は清瀬市内の銭湯3店が廃業し、とうとう市内で営業する銭湯がゼロになってしまった。
もともと市内の銭湯の多くは5カ所あった大規模な都営アパートの近くにあった。昭和30年代後半、前回の東京オリンピック前に造成されたそれらアパート群は平屋で風呂無しだったのだ。都営アパートの住民は基本的に銭湯に通った。風呂はなかったが3〜4坪ほどの小さな庭が付いていたので各世帯は庭に花壇をつくったり、コンクリを引いて車庫にしたりしていたが、そのうち庭に浴室を増設する世帯が増えてきた。僕が中学生だった昭和50年前後には半数以上の世帯が浴室を増設していたと思う。それでも多くの住民が銭湯に通った。中1の時にわが家を改築した際、しばらくの間僕は銭湯に通った。銭湯の浴槽の中には都営に住んでいる級友がいて「おっす!」と挨拶した。出入り口で湯上がりの女子と鉢合わせしてドキドキしたりもした。都営アパートは21世紀に入ると再開発が進み、次々と高層化された。住民は増えたが銭湯に通う客は激減した。経営者も高齢となり、跡継ぎもいない。結局、市内最後の銭湯が昨年11月末に廃業してしまった。昨年後半「峰の湯」というその銭湯に意識して通った。おじさんが一人で何から何までやっている銭湯で、毎回、見事な刺青の兄さんたちと浴室で一緒になって思わぬ芸術鑑賞を楽しんだ。

市内に銭湯はなくなったが、隣の東久留米市にはまだある。わが家から自転車で10分少々のところに2軒もだ。そのうち1軒の「第二喜多乃湯」に初めて行った。瓦屋根に煙突の昔ながらの風情の建物。お湯は熱め。追加料金無しでサウナを利用できるのがうれしい。浴室のタイル絵は少々変わっていて、黄色と紺色を基調にした太陽に向かって羽ばたいているフェニックスの絵。抽象度が高く南米テイストの現代アートといった感じ。ロビーにはマッサージチェア、清涼飲料水とビール類の自販機、そしてアイスクリームの冷蔵庫がある。

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東久留米市の「第二喜多乃湯」。サウナ無料がポイント高い。

 

「第二喜多乃湯」ということで「第一」があるわけだが、実はそれは清瀬駅前にあった。昨年3月で閉業。いまは「喜多乃湯」はここしかないが「第二」の名称はそのまま残っている。次回はもう1軒の「源の湯」に行ってみたい。こちらは鉄筋コンクリートの店舗ビル兼用の銭湯。煙突はないのでガスで沸かしているのだろう。

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清瀬市中里、柳瀬川のほとりにあった銭湯「伸光湯」。近くにあった都営アパートが数年前に高層化されてから週3日営業となっていたが、2019年秋、いつのまにか閉業していた。



「ヒカシュー 天然のクリスマス」最高でした!

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ヒカシュー 天然のクリスマス

 

今年結成40周年を迎えたヒカシューのクリスマスイベントに二年ぶりの参戦。オリジナルメンバーの井上、山下両氏のイノヤマランドをオープニングアクトに、大槻ケンヂ小川美潮がゲストという豪華ラインナップ。ちなみにイノヤマランドは、今年のグラミー賞にノミネートされているそうです。

ヒカシューをバックに歌われる筋少「日本インド化計画」、チャクラ「福の種」は眼福ならぬ耳福でした!もちろんメインアクトであるヒカシューの変幻自在で強靭な演奏は今回も盛大に炸裂。アンコール最終曲は全出演者総出の「幼虫の危機」。クリスマス間際、冬至の夜に「楽しいな~、幼虫が死ぬなんて~!」の大合唱が響き渡りました。

ヒカシューのインストの迫力はほんとに圧倒的で、今だったらクリムゾンよりヒカシューに一票投じるな俺は。物販で出たばかりの巻上さんの詩集を買ったら、サインをもらいがてらご本人とちょっとお話できて良かった良かった。40年の思い、伝わったかなあ…

来年も楽しみだ!

日経に「星空楽しむ「宙ガール」急増中」のコラム書きました。

12/7付日経夕刊に掲載された「宙(そら)ガール」の記事が、誰でも読めるNikkei Styleに転載されました。見出しは本紙よりこっちの方がマトモになって良かった(^^;) ちなみに一昨夜は「ふたご座流星群」がピークだったようですが、具合が悪くて観測できず...。

 

style.nikkei.com

 

『花の命はノー・フューチャー ─DELUXE EDITION 』(ちくま文庫)を読んだよ。

 

花の命はノー・フューチャー: DELUXE EDITION (ちくま文庫)

花の命はノー・フューチャー: DELUXE EDITION (ちくま文庫)

昨夜〜今日のお昼までは風邪?で寝たきりに近かったので長らく積ん読しておいた本書を読んでいた。たまには風邪をひくのもいいものだ。
英国ブライトンの貧民街に住む鬼才コラムニストの著者のデビュー作で、単行本は発売直後に版元が倒産するという不幸に見舞われた。

僕と同世代かちょっと上のロック好きは80年代に「このクソったれの日本を逃れてロンドンで夢を掴もう」みたいな発想をする人がけっこういて、何を隠そう僕も20代後半にちょっとそんなことを考えていた。結局、安定志向の女性と結婚してしまったのでその目論見は頓挫したが、とりあえず新婚旅行はロンドンに行った。

セックス・ピストルズに傾倒した福岡の女子校生だった著者は、すべてを振り切って単身渡英した。旅立ちの空港でろくでなしの父親に渡された手紙に書かれていた「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」という林芙美子が好んだ短詩が本書の題名の由来だ。

 

第2章 ジョン・ライドン編までが単行本収録分で、その後の第3〜4章のおよそ200ページ分が文庫での追加収録。だからDELUXE EDITIONというわけ。本編より追加収録の方が多いのはCDでも良くあるよね。

 中身は著者が身近なワーキングクラスのリアルな生活と人物が活写された短いエッセイ集で、クールでな視線でネガティブな現実が実に清々しく、渇いたユーモアや哀感とともに語られている。

単行本収録分の2章までの文章は荒削りだが妙な色気があり、3章以降(著者のブログ記事も含まれている)は個性的だが練れた文章で実に読ませる。ほとんどが個人的な生活感や音楽の話題だが、一編だけブレア政権でアイルランド和平に力を尽くし「ベルファスト合意」に持ち込んだ立役者である元北アイルランド担当相Mo Mowlam女史の人生を綴った一文がある。彼女の人生は英国でテレビドラマになり、高視聴率を誇ったというが、著者の一文も実に魅力的な人生を描いている。この一文を読むために本書を購ってもいいくらいだ。

著者は本書出版後、子供を産み、保育士の資格を取り、現在もブライトンの貧困家庭の子供の面倒を見る保育士として働いている。そこらへんは旧著『アナキズム・イン・ザ・UK――壊れた英国とパンク保育士奮闘記』に書かれているらしい。
近年は『子どもたちの階級闘争』『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』などで日本の出版賞を多く受賞しており、2017年に書き下ろした『いまモリッシーを聴くということ』は僕の個人的必読リストに入っている。日本のメディアで政治・経済面でのオピニオンも数多く発しており、多くの文化人から支持もされて文筆家としての名声を確立した感もある。

 

しかし名声を得た現在も、ブレイディみかこさんは保育士として貧しい子どもたちと社会の矛盾に向き合い、一方でブライトンの貧民街に癌サバイバーでトラック運転手のアイルランド系配偶者と息子さんとともに暮らし、夜中にパンクロックを大声で歌ってしっかり者の中学生の息子さんにたしなめられる……という変わらぬパンクな人生を過ごしているらしい。GOD SAVE THE みかこ!

ドルジェル泊の舞踏会を新訳で読んだよ。

ドルジェル伯の舞踏会 (光文社古典新訳文庫)

ドルジェル伯の舞踏会 (光文社古典新訳文庫)

 

フランス心理小説の極北であり終着点、小林秀雄堀辰雄三島由紀夫らに大きな衝撃を与えた『ドルジェル伯の舞踏会 』。三島の『盗賊』はこの作品のオマージュだろう。

新訳が出ていて、なんと従来の作者の死後にジャン・コクトーらが手を入れた「初版」ではなく、ラディゲが病床で校正した「批評校訂版」を底本とした初の翻訳ということなので、さっそく読んでみた。コクトーらは校正・校閲を超えた改編を行った可能性が指摘されており、本作とコクトーとラディゲの合作と言い切る研究者もいるぐらいだ。


前に新潮文庫版を読んだのは仏文科の学生だった40年近く前なので、ディティールは忘れているが、確かに「あれ?(こんな記述あったかな?)」と思う箇所がいくつかあった。今後はこちらの版が本作のスタンダードとなっていくのかもしれない。翻訳文はとても読みやすい。

光文社古典新訳文庫はどれもそうだが、解説も思い入れたっぷりで読み応えがある。次は大学の先輩である中条省平氏が訳した「肉体の悪魔」の新訳も読んでみたい。

承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書)雑感。

 

承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書)

承久の乱-真の「武者の世」を告げる大乱 (中公新書)

 

先日の新天皇即位で古代天皇制の終焉としての承久の乱に思い至り、先週から本書を読み始めたのだが、読書に集中できる時間がなかなか取れず昨夜ようやく読み終わった。乱の背景となる院政と武士の勃興から語り起こし、後鳥羽院源実朝の人となりと政権から乱の経緯、さらにその余波までを、根拠となる資料を示しながら一般にもわかりやすく解説している良書だった。

僕の歴史知識の古さも思い知った。いちばん目を開かされたのは源実朝の実像である。これまでは文弱のお飾り将軍と思い込んでいたのだが、18歳から将軍親政をスタートさせ、当初は重臣たちに侮られながらも、和田義盛の乱などでリーダーシップを発揮し、北条義時の横暴な要求をきっぱりと拒否するなど「将軍として十分な権威・権力を保ち、幕政に積極的に関与していた」(本書・はじめに)。

実朝の横死後に勃発した承久の乱は、北条政子の演説により関東武士たちが一つにまとまったわけだが、その過程ではどちらが有利か洞ヶ峠を決め込んでいた有力武将もいた。近代以降語られる妙に道徳的な武士道とは異なる、生き残るためのリアルな(ビジネスやスポーツの駆け引きにも似た)武士道がここに息づいている。

一方の後鳥羽院はオールマイティな才能を誇る名君で、武士の棟梁でありながら宮廷文化にも造詣が深い実朝に信頼を寄せ、幕府と朝廷はきわめて親密な関係にあった。それが実朝の死によって一気に暗転する。だれが愚かだったわけでも、悪いわけでもない。歴史の歯車がカチリと音を立てて進んだまで...と言うしかないだろう。

そうはいっても、文化的レベルが極めて高い後鳥羽院と将軍実朝の二人の王権=協調政治が数十年続いていたとしたらとしたら....という歴史の「if」の誘惑から逃れられそうにない。

それにしても近年の一般向けに書かれた新書の中世史本の充実ぶりはほんとうにうれしい。大河ドラマも露骨なオリンピック広報なんかやらずに、この時代の面白いドラマを作ってほしいな。