プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

数十年も気になっていた「ハーメルンの笛吹き男」(阿部謹也著・ちくま文庫)を読んだ。

ハーメルンの笛吹き男 ――伝説とその世界 (ちくま文庫)

ハーメルンの笛吹き男 ――伝説とその世界 (ちくま文庫)

数十年読もうと思ってそのままになっている本というのが何冊かある。本書はそのうちの1冊だった。先月、最寄りの書店にNHKのラジオ英会話テキストを買いに行った時、棚に見つけて一緒に購入した。最初に本書に興味を持ったのは、文庫化された1980年代だったと思うので30年以上そのままになっていたわけだが、買うときは実にあっけないものだ。その日から毎日寝る前にゆっくり、じっくり読んで約10日間ぐらいかけて読了した。

 

得も言われぬ読後感だった。イメージ通りの本であったが、でもどこか意表を突かれた感じもある。中学生の頃、わが家を増築する大工さんたちの作業を日々見ていた経験に近いような手際を、「ハーメルンの笛吹き男」の著述に感じた。大工道具を使って精妙な作業が進んでいる。でも、それが最終的にどういう部位にはめ込まれ、どう機能するのかがわからない。でも、見ていて興味は尽きず、飽きることがない。工事の進行と共に大工さんたちの作業の意味合いが徐々に見えてくる。わくわく。さらに全体の形ができてくると共に以前の作業と作業の間の連関がわかってきて興奮した。専門家の智慧と技術とはかくもすごいものなのか。

本書では笛吹き男の伝説の原型を紹介した後、〝事件〟当時のハーメルン市と住民に関する史料の考察、中世ヨーロッパの植民者の現実と差別構造、下層民や女・子どもの現実などのファクトの煉瓦を一つ一つ積み上げるように叙述していく。なかなか全体像は見えないが、つねに向こう側に「笛吹き男」の残像がちらつき、読者にその先への期待をかき立てる。最終的に私たちが見る構造物は「ハーメルンの笛吹き男」を介した中世ヨーロッパ社会の心象風景だ。 

僕が「ハーメルンの笛吹き男」の伝説を知ったのはまだ小学生の頃だと思う。今では「子どもに置いて行かれた親」に感情移入してしまうが、当時思っていたのは「親を置いてついて行きたくなるようなメロディってどんなものなんだろう?」ということだった。当時、ビゼーアルルの女』の第2楽章「メヌエット」が大好きで、そのフルートの旋律に近いものかもしれないなどと妄想を膨らませた。その妄想の向こう側にある中世社会のリアリティを半世紀を経て取り戻したわけだが、「どんなメロディだったんだろう?」という疑問は少しも収まらない。