カズオ・イシグロ、翻訳、J・D・サリンジャー
カズオ・イシグロさんがノーベル文学賞を受賞して、ファンとしては喜ばしい。で、昨日、イシグロ作品の原文について、海外生活が長く英語に堪能な二人の知り合いの方がそれぞれ「読みやすい」と「読みにくい」と正反対のことを言ってたのが面白かった。原作原文と翻訳作品の差は私などには生涯乗り越えられない障壁となるだろうが、その〝誤読〟を楽しめれば、それもまた文学と考えることにしている。ちなみにイシグロ作品は翻訳者に恵まれていると思う。特に多くの長編を訳している土屋政雄さんがいい。
で、先日、J・D・サリンジャーの研究者の話をちらっとうかがったことを思い出した。
サリンジャーの短編集「ナイン・ストーリーズ」の一編「エズミに捧ぐ- 愛と汚辱のうちに/原題:For Esm・with Love and Squalor」」は、日本語訳の文庫本で30ページに満たない作品。戦場で傷ついた元兵士の心をエズミという少女の無垢な愛情が癒す…という心温まる作品として読むこともできるが、読後感は決してほんわかしたものではない。何か不思議な澱のようなものが心に沈んでいく。不安といってもいいかもしれない。長年その正体がよくわからなかった。それが研究者の方の話をうかがって氷解しかけている。
「エズミに捧ぐ」は大まかに1944年、1945年、1950年の3つの時代から構成されている。時間軸的に最後の1950年のシーンは作品冒頭に置かれ、1ページほどの分量しかない。僕も単なるイントロとしてなんとなく読み飛ばしていた。しかし、研究者の方は近年の研究成果でこの部分がこの作品を読み解く核心になっていることがわかったという。一読すると、元兵士の主人公がニューヨークで妻と落ち着いた生活を送っているハッピーエンドのようだ。しかし、原文を精読すると、実は主人公が正常ではないことが読み取れる。戦場経験によるPTSD的な狂気がそこに隠されており、そこに作者のメッセージが込められていることがわかるという。そういわれて翻訳を読み返すとナルホドと思う部分もある。しかし言われてみないとそのニュアンスは翻訳文から読み取りにくい。名訳として誉れ高い野崎孝訳、数年前に出た柴田元幸訳でもそれは変わりない。
それでも僕が最初感じた「不安」みたいなものは、翻訳されたこの作品にも通奏低音のように流れており、多くの読者がそれを感じ取れるようになっている。逐語的な意味付けではなく、作品の構造としてテーマが表現されているということだろう。まあ、文学作品だから当たり前のことなんだが。
「ナイン・ストーリーズ」は他の作品も構造の後ろに隠れているものが多い。
「バナナフィッシュにうってつけの日」を最初に読んだときの衝撃は忘れられない。おそらくマンガ「BANANA FISH」を描いた吉田秋生もそうだったのだろう。また、「笑い男」はご存じ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』のライトモチーフとなっている。アニメの「笑い男」マークに同じ作者の「ライ麦畑でつかまえて」の引用文が書かれているのはご愛敬だ。
いろいろ思い出してきたので、これを機会に9作品通して再読してみようか。
脳内遊戯
おれたち一緒に、こんな脳内遊戯にふけっている。
バリアを押しやり、種を蒔いてる。
やっているのは脳内ゲリラ。
マントラとなえりゃ、この世は平和さ。
ジョン・レノンの凄さは、たとえ心の遊戯=妄想さえも、聞き手の脳内にリアリティーを持って現出させてしまう歌の上手さにある。たとえ自作の未完成品の曲(たとえばビートルズ『ホワイトアルバム』やソロの『ミルク&ハニー』収録の諸作)でさえ、そうとは聞こえない。完成度の高い他人の曲(「ツイスト&シャウト」「プリーズ・ミスター・ポストマン」「スタンド・バイ・ミー」など)をレノンが歌うと、気の毒なほど元歌を凌駕してしまう。
こういう圧倒的な才能を持っている気分というのは、どうなのだろうか? レノンは自分の才能に自覚的だったはず。そしてその圧倒的さゆえに、それに寄りかかるとともに、反発もしていたと思われる。ビートルズ時代に声をエフェクトで変えたりしたこと、ヨーコの口車に乗って、愛と平和思想の人のフリをしたことなどが、その反発の現れと言える。
才能とは親のようなものなのかもしれない。どちらも、利用しつくすために存在する。そして、捨て去るためには、かなりの精神的努力が必要。
9・11とボブ・ディラン
今日は9月11日である。昨夜の地震を、すわ仮想敵国のミサイルか….と飛び起きた私であるが、それがどうした、である。
2001年の今日、ボブ・ディランが新作「ラブ・アンド・セフト」を発売し、それが暢気な純音楽的作品であり、ニール・ヤングとか他のミュージシャンがテロについての真面目なコメントを次々に発する中、ひとり沈黙を守ったため、左右両陣営から「あいつはもうダメ」的な見方をされていた。約5年経って、米上院でイラク戦争の非正当性が議論されるなど、アメリカ人がようやく冷静さを取り戻す中、ディランは続編的な「モダンタイムズ」を発表し、全米チャート1位に輝いた。「欲望」(1976年)以来30年ぶりの首位返り咲きだ。
1960年代、「公民権運動で揺れる若者の代弁者」として熱烈に支持されたディランだが、現在その歩みをふりかえってみると彼は必ずしもプロテストシンガー、あるいはメッセージ性主体のミュージシャンではなかった。純粋に音楽を追究してきた音楽馬鹿なのである。あまりに馬鹿すぎて、パーマネントなバンドも組織できない人である。そこがいいのだけれど。だいたい、プロテストソングの代表曲と目されている「風に吹かれて」の詞は、“深刻な問いかけ“を歌った後、こういう台詞で締めくくられるのだ。
The answer is blowin' in the wind その答えは、風に舞ってくるくると(意訳)
実は(タイトルからして)おちょくりソングだったわけなのだが、真面目なディランファンは気づかないフリをし続けている。ノーベル平和賞ではなくノーベル文学賞を贈ったノーベル財団の見識は正しい。
ところで井上陽水の「傘がない」はコード進行をグランド・ファンク・レイルロード「ハートブレイカー」からパクッていることは有名だが、歌詞の意匠は「風に吹かれて」にインスパイアされているのだと思う。
Bob Dylan - Spirit On The Water - Lucca 2015
※「モダンタイムズ」収録曲
ミカドの肖像
天皇家の戦後は、皇太子の訪欧(昭和28年3月~10月)、そして浩宮の留学と英国詣でがつづいている。欧米からみると、裕仁以来の天皇家の欧化は彼らの安全保障にとって好ましいものと判断されてきた。
ある意味では天皇家自身も、京都に閉じ籠もる方策の別の極として、アングロ・サクソンの王家と結ぶことで安全保障が得られることを知っている。
(中略)
僕は「天皇安保体制」という明文化されざる構想のようなものが潜在していると疑い始めている。
幕末、頑強に開国に抵抗し続けた孝明天皇が急死する。死因は天然痘とされているが、毒殺疑惑というものが存在する。その黒幕は岩倉具視であり、実行グループのリーダーが伊藤博文だという。五百円札と千円札、昭和高度成長期のお札コンビ。もちろん、毒殺疑惑はあくまでも疑惑に過ぎないかもしれない。英国の外交官アーネスト・サトウがその疑惑を書きのこしている。
噂によれば、天皇陛下は天然痘にかかって死んだという事だが、数年後、その間の消息によく通じているある日本人が私に確言したところによれば、天皇陛下は毒殺されたのだという。この天皇陛下は、外国人に対していかなる譲歩を行う事にも、断固として反対してきた。そこで、来るべき幕府の崩壊によって、朝廷が否応無しに西欧諸国と直接の関係に入らざるを得なくなる事を予見した人々によって、片付けられたというのである。反動的な天皇がいたのでは、恐らく戦争を引き起こすような面倒な事態以外のなにものも、期待する事は出来なかったであろう。
(アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫))
後の明治政府のリーダー達(当時は一種のテロリスト)にとって、あのタイミングでの孝明帝崩御は幕府に対する巻き返しの大きな契機となったことは事実であろう。明治の国家天皇制というのは、まさに現実に即したソフィスティケイトされた攘夷=安全保障の枠組みづくりといってもいいのではないか。その枠組みのシンボルの一つとして村田蔵六こと大村益次郎が遺品のようにこの国に遺していったのが東京招魂社、すなわち今の靖国神社であるが、百数十年を経て、それが安全保障上の瑕疵として浮上してくる。
現在も皇族の英国留学は継続しているし、近年は脱学習院的な流れから、女性皇族の国際基督教大学(長老派)への進学が続いた。今上天皇譲位を含めて、猪瀬さんの言う「天皇安保体制」はますます強固なものになっていきそうな気がする。
シンプル・マン
まだガキだった頃、ママにこう言われたのさ。
「私の横におすわり。そしてよくお聞き、かわいい坊や。
これから私が言うことをしっかり聞いて、守りさえすれば
きっと明るい明日がまっているはずよ。
自分の時間を大切にしなさい。焦ってはダメ。
トラブルは、いつか時間が解決してくれる。
さあ、自分にぴったりの女の子を見つけに行きなさい、恋をするのよ。
そしてね、天上にいる方について、けっして忘れないこと」
(レイナード・スキナード『シンプル・マン』拙訳)
シンプルなことほど難しい。「自分にぴったりな女の子」っていうところで、たいていの息子たちは、まずつまずくに違いない。わたしはかなりつまずいた。「自分の時間」を無駄にしまくったし、「天上にいる方」なんて鼻もひっかけずにここまできた。「自分にぴったりな女の子」──たしかにそれが分かれば、苦労は少ないと思うのだが。
ところでこの『シンプル・マン』という曲は、北朝鮮に拉致された蓮池薫さんが、大学時代に大好きだったと聞いたことがある。レイナードやオールマンなどサザンロックのファンだったらしい。そういえばちょうど彼が拉致された頃、ヴォーカルのヴァン・ザントらメンバーとツアークルーが乗った飛行機が墜落し、バンドは瓦解した。北朝鮮で蓮池さんがこの歌詞を思い起こしていたとしたら・・・とんでもなく悲しく、意味深い曲のように思える。
失われた名盤① 『創世記(From Genesis to Revelation)』 Genesis
個人的な名盤について語るコーナーを突発的に始めます。
第1回目は『創世記』(From Genesis to Revelation)。
夏の疲れが出てきた頃に聞きたくなるのが、このジェネシスのファーストアルバムです。しかし、彼らの歴史の中では初めてプログレ的なアプローチを行ったセカンドアルバムの「トレスパス」が、実質的なファーストアルバム扱いになっており、このアルバムは「まあ、若気の至りだよね」って語られがちな気がしています。
レコードに針を落とすと、フォークロックというか、ビージーズというか、勘違いR&Bというか…..トニー・バンクスのピアノはわりと達者だけど、アンソニー・フィリップスのエレキギターはどヘタで、リズムセクションは迫力不足でショボイ感じ。でも、ピーター・ガブリエルはすでに個性を確立しつつあり、個人的にはけっこうお気に入りの作品です。
というのも僕はジェネシスファンと言うより、ピーター・ガブリエルファンであるからで、このアルバムは彼のプログレ的な虚飾を排したR&B好きとしての素の歌が聴けるという点でポイント高いのではないかと思っています。アナログのライナーノートでも伊藤セーソク先生がその点を力説していたような…。またオリジナルジャケットは真っ黒なまったく見栄えがしないものだったが、この日本盤では後年のプログレ時代のコスプレ・ピーターの写真を使っていて、なかなかよろしい。さらにこの作品の日本盤がすごいところは全曲に邦題が付いているところ。それもなかなか味があるタイトル揃い。具体的には以下をご参照ください。上の写真を見てもらうと分かるとおり、僕が持っている日本盤LPのアルバムタイトルは『創世記 2』となっており、おそらくシングル発売の曲を追加収録(最後の4曲)したから、オリジナルと区別する意味で「2」としたのだと思います。ちなみに僕が一番好きな曲は「ここは中途半端 - In Limbo 」。
『創世記2』 ジェネシス
- なみだが蜜に変わるとき - Where the Sour Turns to Sweet
- 天地創造は今 - In the Beginning
- 暖炉のそばで - Fireside Song
- エデンの蛇 - The Serpent
- 僕はいけないことを? - Am I Very Wrong?
- 荒野に呼ばわる声 - In the Wilderness
- 孤独の征服者 - The Conqueror
- 私一人の自由 - In Hiding
- その日のために夢を持とう - One Day
- 心の窓に見えるものは - Window
- ここは中途半端 - In Limbo
- 死せる太陽 - Silent Sun
- 安息の地 - A Place to Call My Own
- 死せる太陽(シングル・ヴァージョン) - The Silent Sun
- 孤独の影 - That's Me
- 冬の物語 - A Winter's Tale
- 片眼の猟犬 - One Eyed Hound
8月15日はほんとうに〝終戦の日〟なのか?
社説|終戦記念日/英知結集して平和築く力に | 河北新報オンラインニュース
(8月17日注:最初にリンクしたNHKの世論調査記事が削除されてしまったので、その記事に言及している河北新報の記事に差し替えました)
中高年の人々は「最近の若者は終戦記念日も知らない」と嘆く。では、彼ら自身は「8月15日」がどういう日かほんとうに知っているのだろうか? この日は、連合軍による降伏勧告のポツダム宣言を受諾したと、元首がラジオを通じて国民に通知しただけで、つまり国内向けに天皇が「戦争やめます」と玉音を発したに過ぎない(ポツダム宣言受諾自体は前日14日に連合国へ通知済)。この身内にしか通じない日を終戦記念日としているところに日本人の戦争観みたいなものが現れているんじゃないかと思う。ちなみに、終戦時まで日本の領土であった韓国、北朝鮮は8月15日を日本からの「解放記念日」としている。こちらは「天皇ヒロヒトが白旗を掲げた日」ということで頷けなくもない。ただ、朝鮮総督府の統治は15日以降も続いていた。
実際は8月15日以降も日本の軍隊は大陸や南方などでは散発的な戦闘を続けていたし、「日本のいちばん長い日」で知られるように国内でも若い将校らの不穏な動きがあちこちで発生していた。マッカーサーがコーンパイプ片手に厚木に上陸したのが8月30日、ようやく連合国と実効の降伏文書に調印したのは9月2日で、米国、英国、ロシア、フランスなどの連合国ではこの「9月2日」が対日戦勝利記念日になっている。さらに沖縄を含む南西諸島の日本軍守備隊と米軍との間で降伏文書への調印が行われたのは9月7日。凄惨な地上戦が繰り広げられた沖縄のことを思うのなら、この「9月7日」をもって、わが国としての終戦記念日としたほうがいいと思うのだが、どうであろうか?