プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

どうでもいいこと。

孤独の発明 (新潮文庫)

すべてはどうでもよいことだったゆえに、父はどこへ行っても好き勝手にふるまう(テニスクラブにもぐり込む、レストラン評論家のふりをして無料で食事にありつく)ことができた。それを可能にするために、父は自分の持つ魅力を精いっぱい活用した。だからこそ、目的を達したところで、何の意味もありはしなかった。(ポール・オースター『孤独の発明』~見えない人間の肖像~ 柴田元幸訳/新潮文庫

 

10代半ばから20代半ばまでの10年間以上、しばしば見た夢がある。

ふと気づくと、自分が歌とダンスのアイドルグループ(あるいは演劇集団)の一員になっており、ショー開幕の時間まであと5分しかない。しかし、何の歌とどういうダンス(あるいは台詞と役柄)を披露すればいいのか、まったく記憶にない。第一、自分は単なる学生(もしくはサラリーマン)だったはずだ…。時間はたちまち過ぎ去り、ステージの幕があがる。他のメンバーの歌声と振り付けをみながら、必死でステージをこなす自分。観客は私の無様な姿に気づいていない様に、ステージに熱い声援を送り続ける。そこで私は気づく。「これはどうでもいいことなんだ」

ばかげた夢で、見るたびに失笑してしまったが、当時、私が社会と自分との関係をどのように捉えていたかがよくわかる。18歳の頃、この夢を題材とした短編小説を書いたこともあった。小説の設定は、アイドルのステージではなく、突然見ず知らずの人々に囲まれたパーティー会場に立っている自分に気付く、というものであった。そのパーティーにおける”マナー“を、最後まで理解できない主人公は、宴の終わり近くになって給仕の扮装をした2人の屠殺人に両腕をつかまれ、パーティーの余興として首を切断される。切断された首はそれでも目を凝らして”マナー”の存在を確かめようとするが、それは刻々と変化しているようでもあり、なかなか判別することはできない。胴体がないのにそんなことをしているのは「まったく無意味なことだ」と思いいたった時点で、あらゆる知覚が薄れ、消え去っていく…。

フランツ・カフカの影響ありありの、若気の至りである。あの原稿はもはや手元にない。よかった。

Der Steppenwolf(荒野のおおかみ)

 

荒野のおおかみ (新潮文庫)

荒野のおおかみ (新潮文庫)

 

 


街がフレッシャーズであふれるこの季節に、若干の屈託とともに思い出す文学作品がある。

 

その日は、いつもの日々が過ぎるように、過ぎ去った。私は自分流の単純小心な生活技術で一日を口説き落とし、じわじわと絞め殺した。数時間仕事をし、古い本をひっくりかえしてみ、二時間にわたって、老境に入る人間につきものの苦痛を味わった。(ヘルマン・ヘッセ荒野のおおかみ』より)

 

数時間仕事をし、古い本をひっくりかえしていたら、このような一節にであってどきりとする。文庫本の奥付を見ると、昭和52年とあった。当時私は16歳。今、16歳くらいのオトコを見ると、なんて他愛がないのだろうと思うが、一方で闇雲な情熱のようなものがすっかり自分から消え去っていることに愕然とする。ところが16歳くらいのオンナを見ると、そこには未来のオバサンの光景が二重写しとなり、彼女らがそんな年齢で、そんなに年老いてしまった理由について考え、実はオバサンは開き直った少女なのだと思いつく(のと同時に実は16歳男子の他愛のなさは初老となった今でも温存されていることを自分で誤魔化しきれなくなる)。だが、16歳当時はピンと来なかったヘッセの作品の機微がまるで呼吸をするように理解できるようにもなってもいるのだ。60年代後半のカウンターカルチャー世代の若者のバイブルとしてもてはやされたこの小説が、実は定年諦念に満ちた中高年のヒーリング本だったとは!

年を重ねることはたしかに痛みや喪失をともなうものだが、一方でまた、解けないと思い込んでいたパズルがいつのまにか解けていたという妙な達成感のようなものも味わうことができるようである。

 とりあえず、命ある限りワイルドで行こう。

ワイルドでいこう! ステッペンウルフ・ファースト・アルバム+4

 

『騎士団長殺し』をめぐる冒険

 

f:id:indoorffm:20170323162832j:plain

 

「歴史の中には、そのまま暗闇の中に置いておった方がよろしいこともうんとある。正しい知識が人を豊かにするとは限らんぜ。客観が主観を凌駕するとは限らんぜ。事実が妄想を吹き消すとは限らんぜ」

村上春樹騎士団長殺し』〜 騎士団長の台詞より)

 

 先日、大河ドラマ小林薫が演じる戦国領主井伊家縁戚の僧侶を見ていて、ああ、この人が80年代に映画化された『風の歌を聴け』で主人公の〝僕〟を演じたのだったと思い出した。〝僕〟の相棒である〝鼠〟をヒカシュー巻上公一、「ジェイズ・バー」のマスターをジャズサックス奏者の坂田明が演じていた。いかにも低予算なつくりだったが、なかなか面白い映画だったと思う。

 先日読了した『騎士団長殺し』は、長年、村上春樹の長編作品のことになると奥歯に物が挟まったような物言いしかできなかった僕にとって、久々に手放しで「面白い!」と言えた小説だった。それは『風の歌を聴け』からはるばるここまで来たのだなあ…という感慨を伴うものであったし、それまでのイマイチだった長編小説群の存在意義を再考させるものでもあった。

今回も他の村上作品同様、「中年男の自分探し」という揶揄もあるかと思うが、実はそれこそ作者の狙いであって、村上はデビュー直後にレイモンド・チャンドラーを論じた文章の中でハードボイルド小説の基本スタイルである〝Seek and Find〟を自らの小説作法としているという宣言をしていた。探偵小説で探すのは犯人や証拠だが、文学作品で探すのは自分もしくは自分に関わる人もしくは事象(恋愛含む)と相場は決まっている。ナチズム、南京事件東日本大震災などリアリスティックな歴史事象も作品中に登場するが、事件そのものは深くは追求されない。あくまでもそこに追い込まれた人間の内面こそが作者の関心事だろう。


そもそも村上が『風の歌を聴け』でデビューした際は、全共闘世代(団塊の世代)が抱く悔恨の新しい表現という側面があったと思う。体制や社会、あるいは家族や世間への熱い反抗ではなく、自らの心の内(主観)へのクールな内観を作品の骨格とすることでより広範な一般性、すなわち同時代的なポップさを獲得したのが『風の歌を聴け』からの三部作(もしくは『ダンス・ダンス・ダンス』を含む四部作)であった。

そういう作品世界で、〝現実〟は心象風景の中に存在するので、リアリティの方向性は必然的に抽象的というか、ファンタジックなものにならざるを得ない。2作目『1973年のピンボール』と3作目『羊をめぐる冒険』でファンタジー方面に拡張した自意識を、村上は『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』でリアルな世界と対置し、さらに『ノルウェイの森』でファンタジーの創意を反転させ、リアルな文脈へ〝翻訳〟することを試みた(ヒントになったのは『ガープの世界」のジョン・アーヴィングだろう)。作品世界でリアルとファンタジーの仲立ちをするのはセックスであり、『ノルウェイの森』からその描写に力が入るようになっていく。セックスを内面探訪のテコにするこうした感性は、いかにも全共闘世代だなあという感想を僕は持つ。


しかし幸福な70〜80年代は風のように過ぎ去り、我が国が経済後退の時代に入ると、セックス表現を含めた村上の表現のカタチは、次第に時代感覚からずれ始めてきたと僕は考える。村上のセックス描写が揶揄されるのは、不景気の時代に苦悶する30〜50代が抱く、勝ち逃げ組の団塊世代への反感と呼応しているように思える。

余談だが、90年代は逆に中国や韓国といった儒教倫理が息づく国における村上作品の評価と人気は高まっていき、英語を始め西欧語に翻訳された村上作品も各国で好評のうちに迎えられる。そして現在、村上春樹ノーベル文学賞候補の常連の国際作家だ。レディオヘッドトム・ヨークが熱心な村上作品の読者であることはよく知られているが、歌詞から読み取れるトムの内省はきわめて80年代的であり、どこか東洋的でもある。

それはさておき、バブル崩壊以降、村上の「自分探し」のストーリーテリングや奇妙なメタファー、そして直截なセックス描写は次第に揶揄の対象ともなり、どこにもたどり着かない物語展開と伏線を残し釈然としないまま終わるエンディングなど、村上自身の創作者としての試行錯誤は、あたかも踏み絵のように熱烈なファンとアンチを腑分けしていく。初期は熱烈なファンだった僕もこの時期から村上作品に対して冷ややかな姿勢を取るようになった。それでも離れなかったのは、短編作品が秀逸だったからだ。村上春樹は本質的に短編作家ではないか? そんな思いをこの頃から抱き始めた。実は今でもそう思っている。また、ノンフィクション作品『アンダーグラウンド』で地下鉄サリン事件被害者を描く筆致に作家のまだ顕在化していないポテンシャルを強く感じた。でも、長編作品はどうにも楽しめなかったのも事実である。そのいくつかは積極的に駄作だと思っている。


そして僕が長編では『ダンス・ダンス・ダンス』以来、初めてなんの屈託もなく読めた長編作品が『騎士団長殺し』だった。いろんな書評に目を通すと、良くも悪くも〝村上作品の総ざらえ〟という意見が目に付くが、僕が気になったのは作者が初めて「父(の死)」と「グレート・ギャツビー」を正面から扱っていることである。おそらくこの二つは、長年にわたって村上春樹が逡巡してきたテーマだろう。しかし、村上作品中でこの二つが重要なモチーフとして扱われたことはなかったのだ。

 

村上が彼の人生でもっとも重要な小説だと言うフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』に関しては、2006年に自身の新訳を出版している。また2009年のエルサレム賞受賞時のスピーチで、村上は前年に亡くなった父親が兵士として中国での戦闘に従事したことを明かした。おそらくこれで準備は整った。今作が久しぶりに一人称「僕」への回帰であることにも留意したい。

 

今回は大きな設定として免色という人物が「ギャツビー」的世界を体現し、痴呆症になった(友人の)父の死を描ききることで、それまでの長編作品で周回する人工衛星のようだった作者の筆致が成層圏を突き破り、ようやく着陸地点を見定めたように感じられた。作品のライトモチーフであるオペラ『ドン・ジョバンニ』はずばり父親殺しとその顛末の物語である。読者に対するおためごかし的な描写・設定や脇筋が最小限に抑えられ、全体的にこれまでになく引き締まった小説になっているように思え、特に屈託を挟む余地はなかった。エンディングは、いくつかの伏線が回収されぬまま擱筆されているが、変な消化不良感はない。むしろ『1Q84』のように蛇足的な続編(3巻目)が書かれないことを祈りたいぐらいだ。

 

「絵に語らせておけばよろしいじゃないか」と騎士団長は静かな声で言った。「もしその絵が何かを語りたがっておるのであれば、 絵にそのまま語らせておけばよろしい。隠喩は隠喩のままに、暗号は暗号のままに、ザルはザルのままにしておけばよろしい。 それで何の不都合があるだろうか?」
村上春樹騎士団長殺し』〜 騎士団長の台詞より)

まったくおっしゃる通り。主人公を(一人なのに)「諸君」と複数形で呼ぶ、イデアの形象化だというこの騎士団長こそが不特定多数に語りかける作者の分身ではないかと思った。

 村上春樹の『騎士団長殺し』に至る30数年と並行して、映画『風の歌を聴け』でクールで繊細、不器用そうな〝僕〟を演じた小林薫は、戦国期を逞しく生きる海千山千の僧侶を演じるようになり、ヘタウマ・テクノの巻上公一ジャズロックまがいの超絶リズムセクションを従え、達者なヴォーカルとホーミーとテルミンを駆使したテクニカルかつスケール感あふれる音楽をパフォームしている。坂田明だけは、容姿を含めて30年間微動だにしていないように思えるが、もともと彼は融通無碍な人物なのだから何ら問題はない。

 

騎士団長殺し』のクライマックスには「風の音に耳を澄ませて」というフレーズが出てくる。もちろんデビュー作『風の歌を聴け』を想起させ、長年の読者をニヤリとさせるためだろう。その余裕がこの作品に対する作家の充足感を表しているように思える

 

僕?  もちろんニヤリとしたよ。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

 

3・20の思い出

www.jiji.com



22年前の本日、僕は有給休暇をとって早朝から妻と河口湖にボートを浮かべて、ルアーでニジマスを釣っていた。午後、すっかり冷えた体をほうとうと温泉で暖めて、帰りのクルマで聴いていたラジオで地下鉄サリン事件を知った。

 

帰宅して当時の職場近くが地獄絵図になっているのをテレビで見た。2カ月前の阪神淡路大震災の惨状をテレビで見た衝撃がまだ去らない頃だ。

東日本大震災の時も、帰宅してテレビをつけて驚愕させられたが、その時の記憶がフラッシュバックしてdéjà-vuのような感覚にとらわれたものである。

 

自分が携帯電話を持ち始めたのも阪神淡路大震災サリン事件がきっかけだった。翌年娘が生まれた。実は3年前からまたその当時のオフィスで働いているが、町並みも、地下鉄駅構内も、東京メトロ職員の制服もすっかり変わってしまい、すべてが過去に押しやられていくように感じている。


しかし人の記憶は決して消えることはない。生命尽き果てるまで。

 

f:id:indoorffm:20170320122105j:plain



 

卒業式だと言うけれど 何を卒業するのだろう。

f:id:indoorffm:20170310210556j:plain

 

熱い心をしばられて 夢は机で削られて

卒業式だと言うけれど 何を卒業するのだろう 

あーわかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか

ララバイ ララバイ おやすみよ   ギザギザハートの子守唄

チェッカーズギザギザハートの子守唄』作詞:康珍化

 

卒業シーズン。今月になってリクルートスーツの就活生をチラホラ見かけるようになった。僕が大学4年の春、社会に出る前に社会の裏側について見聞を広めようと思った。裏とはいっても社会は社会。社会人として知っておくべき事柄がそこにはたくさんあるように思えた。そこで就職活動卒論準備の傍ら、やくざ社会をバックとした”企業“でキャッチセールス等のアルバイトをしてみたり、その後世間を大きく騒がせた新興宗教の学生アジトに潜入したりしていた。それほど危ない目に遭わなかったのは、あくまでも傍観者であり、最終的には慎重(臆病ともいう)な性格であったためだろう。一度チンピラに組事務所に連れ込まれたこともあったが、親分が「カタギの学生さんに手出すんじゃねえ」とチンピラを一喝してくれたたおかげで無事であった。古き良き極道。その一部始終、私は小便チビリそうになりながらも、妙にわくわくしていた。キャッチセールスでは警察署にしょっぴかれそうにもなったが、”先輩“たちの根回しのおかげでうまく逃れた。アブない世界と警察は、実は仲が良いのである。潜入した新興宗教のアジトは、なかなか和やかな雰囲気だった。神の存在と真理についてディスカッションをして〝洗脳〟ビデオを見せてもらったが、そこに居る間中、笑いをかみ殺すのに苦労した。どうやったらこんな善悪二元論のシンプルかつ硬直した世界観によって、自らの生き方を選ぶことができるのであろうか? 逆に感心してしまう(すぐに企業社会だって似たようなものであることを実感するのだが)。信徒たちは全員とても性格が良さそうな人ばかりで、性格の良さが人間にとって、必ずしも好ましくないことなのではという思いが湧いてくる。だったらきっとオレはこのままでいいのだ。梅雨が開け、夏がやってくる頃、私は晴れ晴れとした気持ちで就職活動を本格化させた。30年以上前、確かにギザギザハートで生きていたが、同時に大島弓子山岸涼子のマンガを手放せなかったことを思い出す。

年度末の差し迫ったこの時期に音楽ファンとしての自分を点検する。

 

 

f:id:indoorffm:20170223185420j:plain

 

そこにあるものではなく、ないものをプレイするんだ。知っていることではなく、知らないことをやる。変化しなければいけない。それは呪いのようなものだ。

Don’t play what’s there, play what’s not there. Don’t play what you know, play what you don’t know. I have to change, It’s like a curse.

 

伝説というのは、過去の業績にしがみついている老人のことだろ。オレは今でも現役だ。

A legend is an old man with a cane known for what he used to do. I’m still doing it.

 

すべて学び、そして忘れろ。

Learn all that stuff and then forget it.

 

 (マイルズ・デイヴィス 語録)

 

 このブログでもしばしば取り上げているが、僕は60~70年代のロック音楽が大好き。人生のタイミングというものは非常に重要で、10代の時に心をふるわせた体験はその後の人生の骨肉となってしまっているのでどうしようもない。この先の音楽人生において『ホワイトアルバム』や『クリムゾン・キングの宮殿』や『レッド・ツェッペリンⅡ』や『スライダー』と同等の衝撃が待ち構えているかと考えると、あまり期待できそうにない。もちろん、昨今も刺激的な音楽は少なくない。昨年であったらイタリアの新鋭The Winstonsは大きな収穫だったし、ベテランの域に達しつつあるレディオヘッドの次の動きにも大いに注目している。また昨年はローリング・ストーンズジェフ・ベックといった超ベテランが充実した新作を発表し、きわめてレベルの高いライブパフォーマンスをみせてくれた。

 一方で完全に創作者・演者として停滞し、同窓会的なバンド再結成や昔の名前で出ています興行しかできなくなっている60~70年代の著名ミュージシャンも目立つ。日本のファンはそうした旬を過ぎたミュージシャンをも温かく迎え入れてくれるせいか、「えっ、あんな人まで?」という来日公演が実現する。 ロックファンの間ではベテラン来日のニュースが届くたび「今、見ておかないと(いつ死ぬかわからないから)これが最後のチャンスになるかもしれない」というような話が囁き交わされるようになり、確かにその通りかもしれないが、僕にそうした「死に水を取る」発想はあまり湧いてこない。

 

 昨年に続いて今年も一時代を築いた大物ミュージシャンの訃報が相次ぎ、そのたびに僕も厳粛な気持ちになる。ただしその気持ちにはやはり差異がある。

最期まで高いクリエイティビティを保持し、ぎらぎらとした現役感を漲らせたままあの世に行ってしまったルー・リード、プリンス、デヴィッド・ボウイらと、昔の名前で出ていますといった方々とでは、やはり喪失感や追悼する気持ちは同じとは言えない。

 

 なぜならば僕は彼らの作る&演奏する音楽のファンなのであり、必ずしも人としての彼らのファンではないからだ。ゆえにつまらない作品や不毛な同窓会的パフォーマンスに甘んじるミュージシャンは、フツーにdisるかシカトする。ミュージシャンとして見切ったかつてのアイドルは枚挙にいとまがない。              

 ロックファンにはたとえ旬を過ぎたミュージシャンでも見捨てない「人で聴く」タイプの人も多い。もともとエルビスビートルズはアイドルなのであり、音楽とともにその存在感・キャラクターで不良少年たちと女子供の心を惹きつけた。ある意味「人で聴く」はロックファンの王道なのだ。歳月を重ねると、そこにファンの個人史が重ねられ、いっそう深く信奉するようになる。なにげに「信奉」という言葉を使ってしまったが、芸能のスターシステムと宗教は模式的には同じようなものだと思う。コンサートチケットやグッズ購入費をファンの間で冗談半分に「お布施」と呼びならわすのもその表れ。いい年した大人がミュージシャンのサインだとか、一緒に写真を撮るなどのファンサービスに一喜一憂していることや、生家や録音スタジオ、ライブハウスなどアーティスト縁の地を訪ねる「聖地巡礼」もそう考えると腑に落ちる。神様の足跡には御利益があるのだ。

  僕が「人で聴く」のをやめて、徐々に「音で聴く」スタンスへ移行したのは、80年代前半のことだと思う。1980年末のジョン・レノンの死もすくなからず影響があったかもしれない。産業ロックなどとも呼ばれていたメインストリームのロック音楽にすっかり関心が薄れ、インディーズ系&ポストパンク系のレコードをあさり始めた。また、同時代の音楽に感じる不毛さから逃れるため、古いブルースやジャズにも走った。そこで出会ったのがマイルズ・デイヴィスである。

 とにかくマイルズのつくる「音」はかっこよかった。50年代のハードバップから70年代のエレクトリックジャズまで「かっこいい(Cool)」という絶対神に仕える大司教マイルズの采配に感歎するばかりだった。

 そしてそんなマイルスの音楽人生に(ヘンな言い方だが)ロックスピリットの神髄を見た思いがした。時代と切り結びながら我が道を行き、自分の音楽を追求するマイルズ。作品名を借りるとかれのIn A Silent Wayにシビれた。

 そのマイルスも90年代が始まってすぐに死んでしまった。もしかしたら彼については最後まで「人」で聴いていたのかもしれないな、と思う。それにしても遺作がヒップホップだったのにはまいった。しかもなかなかの傑作ときている。昨年のボウイの遺作にも同じことを思った。おいおい新鋭ジャズかよ。しかもオシッコちびりそうなかっこ良さかよ! もしかしたらボウイも「人」で聴いていたのかもしれない。ファンからの評判の悪いティンマシーンも愛しているからなあ。

Memento Mori.

今月が終わる前にどうしてもこの一文を記しておきたかった。


自分の人生のどんなに短い一場面でも、確かに同じ時間を並走していたと思える「人」を失うのは言うまでもないが非常につらい経験だ。好きなミュージシャンや作家、スポーツ選手、俳優などもそこに含まれるが、55歳にもなるとリアル人生でもそうしたつらさを何度も噛みしめるはめになる。リアルもバーチャルも関係なく、どんなかたちであれ、そうした喪失の哀しみというものに決して馴れることはできない。心の淵にだんだん積み重なっていく哀しみを見つめながら溜息をつくのみである。

今月初め、Facebook上で5年来の付き合いがあった方が病死され、かなり嵩の大きな哀しみがまた積み重なった。そして彼が亡くなったあとのタイムラインが、それ以前のものとまるで別物に感じられることにすっかり当惑している。

See You Again. そしてMemento ori.


〝 Wish You Were Here(Waters-Gilmour) 〟 Dedicated to Mr. K