プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

類型的な人間 〜11月の呟き

 

 

世界の十大小説〈上〉 (岩波文庫)

 

彼もまた、大抵の私たちと同様、罪──果して罪と言えるかどうか分からぬが──を犯すと、一旦は後悔しても、機会が与えられると、再び同じ罪を犯すのだった。気は短かったが、心はやさしく、寛大で、腐敗堕落した時代の人でありながら、人柄は誠実だった。夫としても父親としても情愛が深く、勇敢で、正直で、友人に対してつねに忠実だったが、友人のほうでも終生彼を裏切ることはなかった。他人の過ちに対しては寛大であったが、残忍な行為や裏表のある言行は心から憎んだ。成功したからといって得意になるようなこともなければ、逆境に出会っても、しゃこ一つがいと赤葡萄酒一びんの助けを借りて、毅然として耐えて行った。人生の浮沈に対してつねに元気よく上機嫌に身を処し、心ゆくまで人生を楽しんだ。つまり、彼自身が描き出したトム・ジョーンズによく似てもいれば、同じく彼が描き出したビリー・ブースにも似ていないではない。まさに彼は人間らしい人間だった。

(W・S・モーム『世界の十大小説』~ヘンリー・フィールディングと『トム・ジョーンズ』~ 西川正身訳)

放蕩と矛盾の人生を送ったフィールディングに対してモームはとても寛大である。

モームという小説家は類型に人間を落とし込むのが得意だが、類型に抗することの徒労とともに類型の限界、すなわち矛盾する複数の類型が一人の人間の中に同居することが自然であるということも心得ていた。他人のことを語っていても、自ずと自分自身の輪郭を描いてしまうのは言語表現の宿命ともいえるが、それを受け入れ、類型の囁きに耳をすますことから、言語の機能性を補う手立ての糸口が見つかる。別に小説に限った話ではない。

そしてまた、この世には自ら描いた、あるいは自ら信じた類型にとらわれ身動きできなくなっている人間も少なくない。そういう人は言葉が浮いており、その人自身しか知らない暗闇にひたすら泥の塊を投げかける如しである。これはおしゃべりや文章の上手下手とは関係ない話である。いわゆるプロでもその類いはしばしば目にする。しかし、暗闇マニアの仲間というものは、世を探索すれば少なからず存在するものなので、幸いにも自分がマニアやヘンタイであることに気づかず、なにか変だなと思いながら人生を全うすることも可能であろう。

 

まあ、人間らしく生きたいね。

『魔太郎がくる!! 』の正義?



f:id:indoorffm:20161020133508j:plain

近頃、またしても「いじめ」問題で世間が喧しい。しかし、これはきわめて根深い、人類文明の古典的な問題であり、現代特有の問題としてクローズアップされている構図に少々違和感を覚える。

 

写真賞を受賞した作品に笑顔で写った数日後に自ら命を絶った青森の少女。写真をめぐる大人たちのゴタゴタがなんとも言えず無様であった。

 

news.livedoor.com

いじめられていることを親にも言えず、最終的にはナイフでいじめた相手を斬りつけた暁星高校の少年。ネットで彼が自殺せずに相手に仕返ししたことを賞賛する声も聞かれ、まあ、なんというかもにょんとした気分になった。

 

自殺でなく復讐を選択する弱者。

 

ということから、子供の頃に読んだ藤子不二雄の『魔太郎がくる!! 』を思い出した。当時私のクラスにも容貌&雰囲気から「魔太郎」と呼ばれていじめられているヤツがいた。本人はひどく傷ついていたはずだが、それはそれで小学校の風物詩となっていた気がする。また、いじめる側も弱い人間の追いつめられた時の怖さをある程度認識して手加減もしていた。そこらへんが今の子供と違う部分でもあるのかもしれない。

 

しかし・・とここで言いよどむのだが、実は子供のメンタリティーに今昔の本質的な違いはそれほどないようにも思える。で、何が違うかというかだが、簡単に言えば子供たちを見守る側のアティチュードじゃないかな。たとえばこの『魔太郎がくる!! 』が現在の少年向け雑誌に連載されていたら、いったい世の反応はどういうことになるだろうか? ……そういうことじゃないかと思う。

【追記 17:08】
下のAmazonのリンク先のレビューを見ると、現在流通している「魔太郎」は、かなり問題あるエピソードや場面が割愛&改変されているらしい。……そういうことじゃないかと思う。

信じる者は救われる...かも 〜『イエメンで鮭釣りを』雑感

 

イエメンで鮭釣りを (エクス・リブリス)

イエメンで鮭釣りを (エクス・リブリス)

 

 

「あなたのジョーンズ博士にはコリンと一緒に釣りに行ってもらいましたよ。道路からすべてを眺めていたんです。あれは本物の釣り師だ、科学者であるだけでなく。あなたの選択には満足していますよ、ハリエット・チェトウォド=タルボット」

(『イエメンで鮭釣りを』ポール・トーディ 白水社 P100−101より)

 

『イエメンで鮭釣りを』は4~5年前に映画にもなった英国のベストセラー小説で、予想通り抜群の面白さだった。

ストーリーは、まさにタイトル通り。砂漠に覆われたアラビア半島の先端にある国で、冷水魚である鮭の釣りを楽しめるようにしようとする無謀なプロジェクトに取り組む人々の人間模様と顛末を、ヨーロッパ文学の伝統的なスタイルの一つである書簡体小説として書き上げた作品だ。書簡体と言っても手紙だけにかぎらず、電子メール、日記、新聞・雑誌記事、未公刊の自伝原稿抜粋、議事録、インタビュー、尋問、さらにTV番組企画書など多岐にわたる「引用」から構成され、現代の読者を少しも飽きさせない。
 
 
シャイフ・ムハンマド(ほんとうはもっと長い名前)はイエメンの族長で大富豪。スコットランドに別荘を持ち、フライフィッシングによる鮭釣りを愛好する。そんな彼が母国イエメンの川で鮭釣りができないかと考える。確かに無謀なアイデアだが、釣り人なら誰でも自分の住んでいる場所の近くに魅力的な釣り場が欲しいと考える。私を含む釣り人の読者はシャイフの思いを瞬時に理解できることだろう。作者もやはり釣り人らしいが、釣り人以外の読者への配慮も忘れていない。「イエメン鮭プロジェクト」は、あくまでも無謀なプロジェクトとしてストーリーは進行していく。とはいえ、シャイフは自分が釣りをするためだけにこのプロジェクトを発案したわけではない。実は戦乱とテロリズムですっかり荒廃した母国の人心と経済の再生という崇高な目的があったのだ。
 
 
シャイフは、ロンドンの不動産会社に務めるキャリアウーマンであるハリエット・チェトウォド=タルボットを代理人に、英国国立水産研究所で働いていた優秀な水産学者アルフレッド博士をプロジェクト全体の統括者としてスカウトする。学者として優秀だけど、堅物で融通が利かないアルフレッドは、もちろんこの無謀な依頼を歯牙にもかけない。しかし、シャイフとハリエットはなんと首相官邸を動かし、公務員であるアルフレッドが断れないように追い詰める。折しもアルフレッドは20年間連れ添ってきた妻との関係に悩んでいた。妻は金融の世界でキャリアを築き上げ、一介の研究者である夫よりずっと収入が多いようだ。すれ違う夫婦模様の間にするりと入ってきたのがハリエットの存在で、最初は不愉快な気分で嫌みの一つも言うつもりで彼女に面会に行ったアルフレッドは、洒落っ気がなくクールな妻とは異なりエレガントでチャーミングな彼女に会った後、「イエメン鮭プロジェクト」の実現可能性について前向きに検討するようになる。ここらへんはゲラゲラ笑いながら読むところだろう。しかし、すぐにハリエットには軍人の婚約者がいることが明らかにされる。彼はイエメンの北にあるイラクでの危険な特殊作戦に参加しているようだ。

そしてアルフレッド博士はハリエットを介してシャイフとも面会する。博士はアラブの大富豪の高潔な人格にすっかり感銘を受け、また釣り人同士としての友情を覚えて「イエメン鮭プロジェクト」へますます深くのめり込んでいく。妻や周囲の人々からあきれられるほどに。上の引用文はシャイフが初めてアルフレッド博士に会った時、ハリエットに漏らした発言だ。離れた場所から釣りをする姿を見て、その人物が信頼するに足りるかどうかを品定めをする……釣り人ならば思わずニヤリと頷くシーンだ。そういえば僕の釣り仲間に「一緒に釣りをすれば、その人がどういう人かはだいたいわかるね」と豪語する男がいたな。
 
 
ルフレッド博士、ハリエット、シャイフ…この3人の人間模様の縦糸に英国の首相官邸の思惑が横糸として絡んでくるのが、この小説の趣向である。プロジェクトには官邸広報担当官のピーター・マクスウェルが介入してくる。英国の中東への軍事介入に対する国民の目をそらす手段として、さらに約400万人の釣り人票を取り込む秘策として、ピーターは首相の意図を汲みながら、プロジェクトに没頭するアルフレッド博士やハリエットを煩わす。このピーターという男がとんだ俗物で、いかにも英国的なブラックな笑いの数々を提供してくれる。ある意味、裏主人公と言えるかもしれない。また、作中にはBBC英国放送協会)のほか「タイムズ」「デイリーテレグラフ」「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」「サン」、さらに釣り雑誌の「トラウト&サーモン」など実在の新聞・雑誌がたくさん登場する。そのほかシャイフを狙うアルカイダのテロリストも登場するし、まだ政治家になる前のボリス・ジョンソン(現・英国外相)も著名ジャーナリストとして実名で登場している。読者が生きる生臭い現実社会を背景に演じられるファンタジーであることもこの小説の面白みの一つだろう。
 
小説の結末は驚くべきもので、何とも言えない皮肉に満ちたカタストロフなのだが、プロジェクト自体は「成功」する。 どのようなカタストロフで、どのような成功であるかはこの小説を読んでもらうしかないだろう。物語の終盤、アルフレッド博士が暇にあかせて読んだ本の中で見つけた「私はそれを信じる。なぜならそれが不可能だからだ」という言葉が紹介される。「信じる」とはシャイフが博士に向かって言った言葉であり、すべてのフライフィッシャーマンにとってこの「信じる」という言葉は、魅惑と畏れに満ちたマジックワードと言えるだろう。「信じる」ことなくして、あくまでも偽物でしかない毛鉤に運命を託すなんて言う事はできないからだ。この本は「信じる」ことの尊さと馬鹿馬鹿しさを両面から余すところなく描いており、こういう芸当ができるのがやはりヨーロッパ文学の懐の深さだろう。『コンビニ人間』の作者も頑張れ!
 
 

中高年男の危機を、(わが国では不倫と称する)恋愛感情と釣り人的無謀さの勢いで乗り越えようとする不器用なアルフレッド博士への共感と、フライフィッシャーマンとしての連帯。僕はその二つを感じながら僕はこの小説を読んだが、別に釣りをしなくても十分以上に面白い小説だと思う。作者はもともと会社経営者で、敵対的買収によってオーナー企業を手放したことをきっかけでこの小説を書いたらしい。処女作とは思えぬ手練手管は人生経験と深い学識に裏打ちされたものだろう。訳文もリズムがあり読みやすい日本語で素晴らしい。ただし、翻訳者の女性は釣り(特にフライフィシング)にそれほど詳しくないらしく、フライフィッシャーマン的には「Fly Line」を「釣り糸」と訳すのは誤りだと思うし、翻訳者がそのことを理解できていればクライマックスのイエメンの川でのキャスティングシーンも、さらに迫力あるものとなったに違いない(参考)。また「ウミマス」ではなく「シートラウト」と表記して欲しいなど、細かい注文はいろいろある。しかし、全体としては釣りのことを勉強した痕跡も感じられ、良い翻訳と言えるのではないか。

 

 

本作を原作とする映画『砂漠でサーモン・フィッシング』は2011年に制作されたが、その時、すでに作者ポール・トーディは死病に冒されており試写を見ることができなかったそうだ。結局、2013年に亡くなっている。映画の方はまだ見ていないが、読んでいて情景が眼前にありありと浮かぶタイプの小説だったので、見たいような見たくないような....なんとなく躊躇している。小説では男だった首相官邸の俗物広報官が映画では女性になっているというところにやや興味をひかれているのだが。

f:id:indoorffm:20161013131548j:plain

映画『砂漠でサーモン・フィッシング』のワンシーン。スコットランドで釣りをするシャイフとアルフレッド博士....やはり、ちょっと見たいなこの映画。

不毛地帯から。

 

f:id:indoorffm:20161011161153j:plain

 

 

ストーリーは難解で、テーマも稚拙な不毛な作家だったが、ヘミングウェイフィッツジェラルドなど同年代の作家の中では言葉を武器として戦うことのできる数少ない作家だった。

村上春樹風の歌を聴け』)

 

 

今年も村上春樹氏のノーベル文学賞受賞がささやかれているが、果たして結果はどうであろうか? 個人的にはボブ・ディラン氏に受賞して欲しいと願っているのだけど、あまり下馬評は高くなさそうだ。

小説に関しては日本人が日本語で書いた作品より、欧米の翻訳作品をたくさん読んでいる自分にとって、実を言うと日本人の文学賞受賞はピンと来ない。多くの作品を読んでいる数少ない(というかほぼ唯一の)日本の現代作家の一人が村上春樹であるのだけど『ノルウェイの森』以降はそれほど熱心な読者とは言えない。強いて言えば彼の短編小説の熱心なファンではある。

上の引用文は村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の冒頭で語られる架空のアメリカ人SF作家であるデレク・ハートフィールドについての言及だ。それまでジャズ喫茶のマスターだった村上春樹が、このでデビュー作によって、異世界での勝負に打って出る覚悟のようなものが、この唐突な架空作家の登場に仮託されている。

デビュー直後、ヴォネガットチャンドラーとの文体の類似が指摘されることもあったが、それは単に表現形式の問題に過ぎず、むしろそうしたものを利用して、日本語文学のじめっとした私小説的な不毛地帯を掘り起こしたことに大きな意味があった。作者自身のインタビューで『風の歌を聴け』という作品は、最初英語で書かれたものを日本語で書き直して...完成させたという。そうした言葉を武器化するプロセスを経てしか生まれ得なかった新しさが確かにその作品にはあったし、私はそこに共鳴してむさぼり読んだ。日本語でこういうこともできるのか!…という興奮と感銘がそこにあった。その後、春樹エピゴーネンっぽい小説作品が頻出したようだが、その余波があったからこそ、現在の『コンビニ人間』のような小説がオーバーグラウンドに登場できたのではないかと思う。

ちなみに『風の歌を聴け』を読んだ高校生の私はデレク・ハートフィールドの作品を求めて神保町の古本屋を彷徨ったことがある。それが架空の作家だと知ったのは、ほぼ半年を経てからだったろう。あとから聞くと、『風の歌を聴け』を読んで同じような体験をした人は少なくなかったようだ。当時はググることなどできなかったので、真実を確かめるためにはとにかく自分の足を棒にするしかなかった。馬鹿馬鹿しいけど、今から思い返すとそれはなんというか実に村上春樹的な青春彷徨だったように思え、微笑ましい。もうそんなことは二度とできないのだから。

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

 

 

「塊」としてのビートルズ 〜映画『ザ・ビートルズ〜EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years』雑感 〜

 


 

www.youtube.com

映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』公式サイト

 

 つい最近発売された「Live at Hollywood Bowl」の余韻に引きずられるように、先週、有楽町のミニシアターで『ザ・ビートルズEIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years』を観た。 19631966年のツアー時代にフォーカスしたドキュメンタリー映画で、監督は『アポロ13』『ダ・ヴィンチ・コード』などで知られるロン・ハワードが務めている。ポールとリンゴのほか、オノ・ヨーコ、オリビア・ハリスンの各未亡人の全面的なバックアップのもと、制作されたということだ。本編終了後に、リマスターで鮮明になったシェイスタジアムのライブが上映され、個人的にはこちらに魅力を感じた。平日の映画館にはリアルタイム・ビートルズファンと思しき6070代の善男善女が集まり、看板前で記念写真を撮ったり、売店でTシャツなどをいそいそと購入していた。

 既知のバンドストーリーに、既知の楽曲。ノスタルジー以外にこの映画を観る意味が曖昧なままスクリーンに向かったが、結果的に観て良かったと思った。

 

■ 四頭獣「ビートルズ

 「(当時の)僕たちは頭が4本ついてる怪物だった」……映画に登場した現在のポールが語るこの言葉のとおり、ビートルたちはまさに一心同体で音楽業界に殴り込みをかけていたことが映画の進行と共に実感させられる。ツアーやメディアでのクレージーな騒ぎの中で、彼らが最後まで自分達のやりたい音楽=ロックンロールを見失わず、クリエーター・演奏家としての矜持を保っていられたのは、4人がひとつの「塊」として世の中と対峙していたからだろう。ビートルズとはとても仲が良いバンドだった。バンドが「塊」になれずにプレッシャーを一人で浴びて精神に異常を来したのがビーチボーイズのブライアン・ウイルソンだ。

 4人が「塊」であることにもっとも重要な役割を果たした人物が、リバプールで彼らの才能を発掘し、マネージャーを務めたブライアン・エプスタイン。紳士でありながら、異能のゲイであった彼の存在を、「塊」の造物主としてもう少しクローズアップすべきではなかったか…ということがこの映画に対するほとんど唯一の不満だ(いや、それなりにしっかり描かれている。という見方もあるとは思うが)。

 

ビートルズ公民権運動

ビートルズという「塊」は世の中のプレッシャーに対しては防御壁として働いたが、決して閉鎖的なものではない。ビートルズの音楽を愛するファンに対しては、つねに門戸が開かれていた。それはまだ人種差別が露骨に行われていた米国の黒人に対しても同様で、公民権法が成立したばかりの1964年夏の北米ツアーでのエピソードはこの映画のひとつのハイライトと言えるだろう。

 1964年の米南部フロリダ州ジャクソンビルのゲイター・ボウル(現エバーバンク・フィールド)公演において、当時まだ白人と黒人を隔離していたこのコンサート会場での演奏を4人は拒否した。その時のツアー条件には「観客が人種隔離されていたら演奏する必要はない」という項目が含まれていたといい、4人の意向を受けたエプスタインたちは会場側と改めて交渉。最終的に席の隔離はなくなり、白人と黒人が一緒になって歓喜の声を上げ、感動の涙を流し、何人かは失神してともにコンサートを心から楽しんだ。映画には少女時代のその体験を語る黒人の女流作家とコメディ女優のインタビューも含まれていて、彼女たちが当時を思い返しながら語る言葉には胸がつまる。コメディ女優のウーピー・ゴールドバーグは、9歳でビートルズのコンサートを生体験し、「ビートルズはすっごくすばらしかった。肌の色なんて関係ない、自分は自分らしくあればいいんだ、と教えてくれた」と少女に戻ったような笑顔を輝かせながら語った。

 米国の公民権運動に与えたビートルズの存在の意義を社会学的視点から考察してみたい誘惑に駆られる。

 

■岩石(ロック)の塊

 ビートルズはサウンド面でも「塊」だった。映画館でこの映画を観る意義のひとつは、大音量でビートルズのサウンドを浴びることが出来るということだろう。映画館限定のシェイ・スタジアムのライブ映像はまさに圧巻。リマスターだとか、ハイファイかどうかより、この「大音量」というのが大切で、4人の演奏が岩石(ロック)の塊のように頭上に降り注いでくる。初期のモノラルシングル盤などを聴いていても感じるが、4人が一丸となった演奏&コーラスの「塊」感がなによりビートルズマジックの正体ではないか。だから中途半端に良い音で鳴るオーディオセットより、むしろAMラジオで聴く「抱きしめたい」のほうがよほど心躍るものがある。ちなみに「抱きしめたい」はステレオミックスで聴いてはダメ。オリジナルモノラルでないとこの曲の魅力は約25%減少する(この時期までの曲の多くはだいたいそう)。
 映画には前述の黒人女性二人以外に、何人かのゲストも登場し、英国のリアルタイム・ビートルズファン代表として登場するエルビス・コステロが語った「『ラバー・ソウル』への違和感」が印象的だった。このテーマに関して、私は以前にブログ記事を書いている。最初に聞いた時は「こんなのビートルズじゃない!」と強い拒否反応を示したコステロだったが、数ヶ月後にこのアルバムを夢中になって聴いていたと告白する。確か渋谷陽一も同じようなことを語っていたと思う。やはり同時代感覚では『ラバーソウル』が分水嶺だったのだ。

 

■「塊」から「個」へ

 ラバー・ソウル』以後、『リボルバー』『サージェントペパーズ』とファンの〝ロックミュージック可聴域〟を広げていったビートルズ。それぞれの創造性が作品に色濃く表れるようになるのもこの時期からで、その代わり「塊」感は次第に失われていく。

 映画はビートルズがツアーをやめる時期までを追った後、駆け足のナレーションで解散までを語り終える。「塊」ではなくなったビートルズを語る語彙は、また別の辞書で捜せということなのだろう。映画では全く触れられていないがマネージャーのブライアン・エプスタインは、ツアーをやめ、「塊」であることをやめて一人ひとりであろうと動き出す4人のビートルたちを見届けるようにこの世を去る。自殺説もあるが詳細は未だ不明だ。
 

 「ブライアンは僕たち自身ですらまったく想像出来なかった、僕たちの将来の姿を知っているようだった」。エプスタインとの出会いを思い出しながらサー・ジェームス・ポール・マッカトニーが語る言葉だ。しかし、エプスタインに見えていたのは1966年までのビートルズだったろう。

 

☆おまけ:映画館限定: シェイ・スタジアムのライブ

本編の後には、シェイ・スタジアムのライブ映像が上映された。30分に編集したものだが当日の演奏曲はすべて収録されている。昔VHSで観たときよりも(そのころは〝シェア〟・スタジアムだったな)、画質も音質も格段に良くなっている。『涙の乗車券』と『ベイビーズ・イン・ブラック』では、ひとつのマイクに向かって歌うジョンとポールの姿。ラストの『アイム・ダウン』ではしゃいでオルガンの肱弾きを披露するジョン….ワタクシ、これだけで丼飯3杯はいけます!

f:id:indoorffm:20161002164929j:plain

 

 

夢と夢解釈 (講談社学術文庫)

夢と夢解釈 (講談社学術文庫)

 

 

身体的な事情があって、一昨夜より、熟睡が出来ない。

そのためか明け方にものすごく印象的な夢を見たのだが、

起きてみるとくすんだ印象ばかりが強く残って
具体的なシークエンスがすっかり散逸してしまっていた。

切れ切れになった夢の破片を拾い集めてみると、

「ブルボン王朝風の広間で開催されている同窓会」

「雪が本降りになる前に山からクルマで降りようとしたら山頂に迷い込んだ」

「ここは埼玉県狭山市らしい」

「好きだったあの娘と再会。額に汗が滲む」

「すべてがうまくいっているような気分」
ウクレレ弾き語り

 

.....さて、いったい何の夢だったのであろうか。

 

「川と対話する」近所のフライフィッシング

 

ザ・フライフィッシング

ザ・フライフィッシング

 

 

暗闇でせんべいをを音もたてずに食べるのと、光のもとでバリッとやってはその表面の醤油の焼けぐあい、割れ口から中味のキメの状態などをみながら食べるのとでは、目で食べた方がはるかにうまいのと同じで、魚が釣れたにしてもフライに食いつく決定的瞬間がみえるのとみえないのとでは、釣り味に格段の相違がある、と私は思う。せっかくみえる釣りができるのに、それをしないのはもったいない話である。

それにしても、ドライに魚がでるあの瞬間は、何度あじわっても、その新鮮さが衰えない。

(『ザ・フライフィッシング』所収 中沢孝「スウィッシャーよ、さようなら」)

 

 川でのフライフィッシングは大きく分けると水面の釣りと水面下の釣りに分けることができる。水面の釣りはドライフライフィッシングといい、浮かせる構造の毛鉤=ドライフライを使って、魚が毛鉤に食いつく瞬間を見て合わせを入れる釣りだ(ちなみに言えば、沈める釣りにはウエットフライフィシングとニンフフライフィッシングがある。しかし、現代のフライフィッシングにおいてはいずれもそれほど厳密なカテゴリー分けではないと思う)。

上の引用文は、私が毎号読んでいるフライフィッシング専門誌「フライの雑誌」を創刊した編集者(故人)が書いた文章で、ドライ(フライフィッシング)の楽しみの核心をとても的確かつユーモラスに言い表している。

キャストした毛鉤が水面を流れ魚がいるであろう地点を通過するまでの高揚した気分。そのまま何事も起きなかったときの落胆。気を入れ直して再度毛鉤を投げる。執念深く何度も投げる。そしてついに水面に現れた魚の口が毛鉤を吸い込んだ(あるいは水面上に躍り上がって食いついた)瞬間の心の爆発! ….しかし昂揚しすぎで合わせ損なった時の泣きたい気持ち。釣り人にとっては異性に振られるよりキツイ局面だ。ドライフライフィッシングはことほど左様に人生そのものに比肩するドラマだと思う。だから私のような享楽的な釣り人はそこからどうしても抜け出せない。

 

 最近あまり渓流釣りをしていないので胸を張れないのだが、私はフライフィッシャーマンである。フライフィッシャーマンとは、フライフィッシングの釣りを愛好する人のことで、単に「フライフィッシャー」とか「フライマン」とか呼ぶ人もいる。年配者に「フライマン」を好む人が多いが、それはおそらく日本のフライフィッシング興隆に貢献された諸先輩の一人である沢田賢一郎氏の著書『フライマンの世界』(つり人社/1978年)の影響下にある人々であろう。しかしフライマン、というのは、なにか間の抜けた響きがする。私などは「釣りキチ三平」に出てきたフライマンこと風来満(ふうらい・みつる)を思い浮かべてしまうのだが、この釣りを知らない人が聞いたら、エビフライやカキフライを揚げるプロと誤解されかねない。

 

閑話休題

まもなく渓流釣りシーズンが終結するが、ここ数年来の仕事や日常のさまざまな変化があって、今年はついに一度もヤマメ釣りに行けずに終わりそうだ。33歳でフライフィッシングを始めて初めてのことである。

釣り人人生的には暗雲が立ちこめているのであるが、一つの光明は、近所の川でのオイカワやマルタ、コイ釣りの楽しみだ。

 

続きを読む