プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

 

 

夢と夢解釈 (講談社学術文庫)

夢と夢解釈 (講談社学術文庫)

 

 

身体的な事情があって、一昨夜より、熟睡が出来ない。

そのためか明け方にものすごく印象的な夢を見たのだが、

起きてみるとくすんだ印象ばかりが強く残って
具体的なシークエンスがすっかり散逸してしまっていた。

切れ切れになった夢の破片を拾い集めてみると、

「ブルボン王朝風の広間で開催されている同窓会」

「雪が本降りになる前に山からクルマで降りようとしたら山頂に迷い込んだ」

「ここは埼玉県狭山市らしい」

「好きだったあの娘と再会。額に汗が滲む」

「すべてがうまくいっているような気分」
ウクレレ弾き語り

 

.....さて、いったい何の夢だったのであろうか。

 

「川と対話する」近所のフライフィッシング

 

ザ・フライフィッシング

ザ・フライフィッシング

 

 

暗闇でせんべいをを音もたてずに食べるのと、光のもとでバリッとやってはその表面の醤油の焼けぐあい、割れ口から中味のキメの状態などをみながら食べるのとでは、目で食べた方がはるかにうまいのと同じで、魚が釣れたにしてもフライに食いつく決定的瞬間がみえるのとみえないのとでは、釣り味に格段の相違がある、と私は思う。せっかくみえる釣りができるのに、それをしないのはもったいない話である。

それにしても、ドライに魚がでるあの瞬間は、何度あじわっても、その新鮮さが衰えない。

(『ザ・フライフィッシング』所収 中沢孝「スウィッシャーよ、さようなら」)

 

 川でのフライフィッシングは大きく分けると水面の釣りと水面下の釣りに分けることができる。水面の釣りはドライフライフィッシングといい、浮かせる構造の毛鉤=ドライフライを使って、魚が毛鉤に食いつく瞬間を見て合わせを入れる釣りだ(ちなみに言えば、沈める釣りにはウエットフライフィシングとニンフフライフィッシングがある。しかし、現代のフライフィッシングにおいてはいずれもそれほど厳密なカテゴリー分けではないと思う)。

上の引用文は、私が毎号読んでいるフライフィッシング専門誌「フライの雑誌」を創刊した編集者(故人)が書いた文章で、ドライ(フライフィッシング)の楽しみの核心をとても的確かつユーモラスに言い表している。

キャストした毛鉤が水面を流れ魚がいるであろう地点を通過するまでの高揚した気分。そのまま何事も起きなかったときの落胆。気を入れ直して再度毛鉤を投げる。執念深く何度も投げる。そしてついに水面に現れた魚の口が毛鉤を吸い込んだ(あるいは水面上に躍り上がって食いついた)瞬間の心の爆発! ….しかし昂揚しすぎで合わせ損なった時の泣きたい気持ち。釣り人にとっては異性に振られるよりキツイ局面だ。ドライフライフィッシングはことほど左様に人生そのものに比肩するドラマだと思う。だから私のような享楽的な釣り人はそこからどうしても抜け出せない。

 

 最近あまり渓流釣りをしていないので胸を張れないのだが、私はフライフィッシャーマンである。フライフィッシャーマンとは、フライフィッシングの釣りを愛好する人のことで、単に「フライフィッシャー」とか「フライマン」とか呼ぶ人もいる。年配者に「フライマン」を好む人が多いが、それはおそらく日本のフライフィッシング興隆に貢献された諸先輩の一人である沢田賢一郎氏の著書『フライマンの世界』(つり人社/1978年)の影響下にある人々であろう。しかしフライマン、というのは、なにか間の抜けた響きがする。私などは「釣りキチ三平」に出てきたフライマンこと風来満(ふうらい・みつる)を思い浮かべてしまうのだが、この釣りを知らない人が聞いたら、エビフライやカキフライを揚げるプロと誤解されかねない。

 

閑話休題

まもなく渓流釣りシーズンが終結するが、ここ数年来の仕事や日常のさまざまな変化があって、今年はついに一度もヤマメ釣りに行けずに終わりそうだ。33歳でフライフィッシングを始めて初めてのことである。

釣り人人生的には暗雲が立ちこめているのであるが、一つの光明は、近所の川でのオイカワやマルタ、コイ釣りの楽しみだ。

 

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外来種としての稲

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生物とその環境は共進化を、生物の一つひとつの変化が環境の変化をひき起こす原因であると同時に結果でもあったというのが正しい進化観である。内と外とは確かに互いに浸透しあっており、生物はその相互作用の場であると同時に、その産物なのである。

(中略)

人類は世界を変えるのを止めるべきだという不可能な要求をしたところでむだである。世界を作り変えることは生きとし生けるものに普遍的な特質であり、ほとんどその本質なのだ。むしろわれわれは、どのような世界に暮らしたいのかということをはっきりさせるべきなのである。そして、その目標に近づくための最良の変化をもたらすよう努めるべきなのである。

オリヴァーサックス・スティーヴン・ジェイ・グールド他『消された科学史渡辺政隆・大木奈保子訳)

引用は上掲書の著者のひとりであるルーウォンティンによるダーウィニズムにおける「適応」のメタファーの通俗的解釈への警句というか直球ど真ん中の正論。下段は「ちきゅうにやさしい」的な牧歌的環境保護論への皮肉でもあろう。同じ温帯域の原産であるブラックバスニジマスごときに大騒ぎしながら、元々熱帯性の植物である稲が、古代人によって

日本列島に持ち込まれ東北地方北海道にまで生息していることを問題視しないどころか、自国文化のシンボルのように扱っているのはなぜか? なになに、主食だって!?
水田文化ほど大規模な環境破壊は珍しい。天皇はその守り神。そろそろ稲刈りの季節だろうか。

 

生物が滅びたところで地球は痛くも痒くもない。かえってさっぱりして気分がいいのではないか。

 

消された科学史 (みすずライブラリー)

消された科学史 (みすずライブラリー)

 

 

The Beach Boys -- TODAY!

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夏の終わりの一枚を選べと言ったら、僕はやはり『The Beach Boys - TODAY!』なのである。

 

学校で6時間も授業を受けたんだから、今日はもう十分さ。

ラジオのダイヤルをちょっと回して、いろいろとチューニングしてみる。

踊りたいんだ、今の気分にぴったりの曲で!

踊ろう。踊ろう、踊ろうよ。ばっちりな曲でさ!

ビーチボーイズダンス・ダンス・ダンス』)

www.youtube.com



 

輝きの横に静かに佇むメランコリー。それがビーチボーイズのサウンドの本質。1990年代以降に名作アルバム「Pet Sounds』の評価が高まり、能天気なサーフィンバンドの汚名が雪がれつつはあるが、個人的に「Pet Sounds』偏重気味のBB評価はちょっと気に入らない。それ以前のカリフォリニア〜ンなビーチボーイズにこそ、ポップミュージックのマジックがたくさん詰まっている。上記のアホっぽい歌詞が、あのコーラスとサウンドに包まれた時、ブライアン・ウィルソンの魔術がいつのまにか傷ついた私の心をぎゅっと鷲掴みにするのだ。

 
僕が大人になったとき 子供みたいなことをまだやっているかな? 

あんなことしなきゃ良かったなんて 後悔したりするのかな

同じ音楽を聴いたり ジョークを飛ばしたりするのかな

僕はどんな大人になるんだろう

子供たちの自慢の父親になれるのかな?

それとも石頭の頑固オヤジと思われちゃうかな

遊びに行く仲間に混ぜてくれたりするかな

人生のおわりまでずっと奥さんを愛し続けることが出来るかな 

僕はどんな大人になるんだろう

いつまでも続くことなんて ないのさ

悲しいけれど
 
((ビーチボーイズ『パンチで行こう』)

www.youtube.com

 

 
原題の「When I Grow Up(To Be A Man)」がなぜ「パンチで行こう」なんていう意味不明な邦題になったのか?...その経緯はわからないけれど、激動の音楽ビジネス業界に揉まれ、ライバル・ビートルズの影に翻弄され、「ボクはこのまま大人になってしまって良いのだろうか?」という焦りと不安の独白と思えるブライアンの歌詞は素晴らしい。その内省的な歌詞が口当たりの良さの中にメランコリーの影が濃厚に浮かぶコーラス&メロディーに乗せて歌われている。社会で忙しくしていると誰しもしばしば自分の立ち位置が見えなくなるときがあるかと思うが、そんな時、この曲の持つ独特な瑞々しい光輝がすっと心に差し込んでくる。50代のおっさんが思わずホロリとしてしまう、まさに「永遠の青春のメロディー」という言葉にふさわしい曲ではないだろうか。
 
♪ Won't Last Forever
  It's Kind Of Sad...

 

嗚呼。とにかく夏の終わりに聞く、『The Beach Boys  TODAY!』は格別なのである。

Today! (Mono & Stereo Remastered)

Today! (Mono & Stereo Remastered)

 

 



 

『コンビニ人間』を読んだよ。

 

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『コンビニ人間』が掲載された文藝春秋2016年9月特別号。読書のBGMはKISS「DESTROYER」だ!


 

『コンビニ人間』読了。いやホントにこれは面白い小説だ。久々に(たぶん村上春樹羊をめぐる冒険』以来)日本人が書いた純文学小説を読んで、心から「面白い」と思えた。ある意味カフカ的とも言える作品だ。

それにしても芥川賞受賞作を読むのは『佐川君からの手紙』以来かもしれない。作品と選評が掲載された文藝春秋を買ったのも20年ぶりぐらいかも…。

 

ネットで見てみるとNewsweek冷泉彰彦さんが『コンビニ人間』の読後感を記していたので読んでみた。概ね冷泉さんと同感である。


(参考)

芥川賞『コンビニ人間』が描く、人畜無害な病理 | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 

特に下記の引用部分が『コンビニ人間』という小説のポイントになるだろう。

 

コンビニの定型業務を快感に思うのは洗脳されて搾取されているだけだとか、本当の非性愛の人間の生きづらさはそんなものではない、というような議論に「巻き込まれる」のは容易に想像ができます。そして、そのような「聞き飽きた」議論には関わりたくないという姿勢には、かなり毅然としたものも感じられます。
とにかく「どこかで聞いたことのある」ような「論点」は徹底されて排除されています。価値の相対化をやってはいるものの、それを突き詰めることはしない、そこで身体性のリアリティーの世界に立脚して居直るのでもない、例外的な人間を描いて凡庸な社会常識に一撃を加える気などもさらさらない、という「徹底したニュートラル志向」は見事と言えます。

 

僕はこの「徹底したニュートラル志向」と主人公のキャラ設定が、ふつうの人々の異常性をあぶり出す精巧な装置のように思えた。軽妙でユーモラスの文体の背後に、金属的な冷徹さをたたえたマシンの存在を感じたのだ。

この『コンビニ人間』を読みながら僕が思い浮かべたカフカの諸作品も、やはり安易なメタファーやアクチュアルな意味づけを拒む「徹底したニュートラル志向」に貫かれている。日本ではかつての翻訳によって深刻で重厚な文学作品として受容されがちなカフカ作品だが、原文で読むと乾いた独特のユーモアにあふれているらしい。だいたい『変身』といい、『審判」といい、『城』といい、ストーリー自体はナンセンスコメディといえる。ドタバタ喜劇のニュアンスさえある。池内紀による岩波文庫の新訳や光文社古典新訳文庫の翻訳ではそこらへんのニュアンスが十分意識されているようだ。

芥川賞の選評を読むと審査委員の多くが、『コンビニ人間』を推してわりとスムーズに受賞作が決定したようだ。その中で島田雅彦だけが受賞作への不満を申し立てている。曰く……

セックス忌避、婚姻拒否というこの作者にはおなじみのテーマを『コンビニ人間』というコンセプトに落とし込み、奇天烈な男女キャラを交差させれば、緩い文章もご都合主義も大目に見てもらえる。巷には思考停止状態のマニュアル人間が自民党の支持者ぐらいたくさんいるので、風俗小説としてのリアリティはあるが、主人公はいずれサイコパスになり、まともな人間を洗脳してゆくだろう。そんな脳天気なディストピアから逃れる方法を早く模索してくれ、と同業者に呼びかけたい。(文藝春秋2016年9月特別号 「不本意な結果」島田雅彦) 

 

自民党まで出していろいろ言っているが(サヨク小説でデビューした彼はシールズとかのシンパでもある)、要は小説としてのアクチュアリティというか、社会現実と切り結ばない作者の「徹底したニュートラル志向」の文学観にイライラしていると言うことだろう。引用したこの選評には彼らしくなく論理が欠落している。

審査委員でもうひとり、選評で唯一『コンビニ人間』まったく言及していないのは高樹のぶ子だ。おそらく沈黙によって『コンビニ人間』の受賞への反対を表明しているのだろう。

そして島田、高樹両氏ともに、今回の候補作中で『ジニのパズル』という在日三世の韓国人が主人公のきわめてアクチュアリティの高い小説を強く推している。さもありなん。お二人は「凡庸な社会常識に一撃を加える」ことこそ文学の役割だと考えているフシがある。ちなみにこの『ジニのパズル』という作品に関しては2人を除く審査員全員が文章技術面での難点を指摘している。つまりプロフェッショナルが書いた小説としていかがなものか?という評価である。

現実社会と文学との切り結び方は、サルトルカミュの昔から、いやゾラやフローベルの昔から大いに議論のネタとなっていたわけだが、そういう意味でこの『コンビニ人間』は、文学史上極めてまっとうな路線上に生まれた作品と言えるのではないだろうか。だが、日頃、文学にさほど興味がない人にこそオススメしたい。

 

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「シドと白昼夢」

 

www.youtube.com

 

 

昔 描いた夢で 
あたしは別の人間で
ジャニス・イアンを自らと
思い込んでいた
現実には本物が居ると
理解っていた
椎名林檎「シドと白昼夢」) 

 

加山雄三からマーク・ボランデビッド・ボウイジョン・レノン

さらに、芥川龍之介太宰治ボードレールカミュまで、

自分を別の人間に擬するお遊びは10代の頃にさんざんっぱらやってきた。

その中には破綻した人生を送ってきた人が多く含まれているが、
みなさんそれぞれ人を楽しませる破綻を演じる狡猾さを持った面々であり、
結果として自分が演じた役柄に殺されてしまった人もいるのだが、
それはそれで充実した、やりきった感がある良い人生といえるのではなかろうか。
だからシド・ビシャスのような、天然の破綻、を見ると
何も言葉が出なくなってしまう。あえて言うとすれば「ご愁傷様」か。

自分自身としては破綻の少ない人生を送ってきたなあと思う。
破綻の種子は常に抱えていたにもかかわらず、
しかも敢て破綻を避ける打算を図ったわけでもなかったのに。
それを幸運と呼んでいいのかもしれないし、
破綻多きヒーローたちに肩代わりしてもらったからかもしれない。

しかし、その代償として私は死ぬまでこの世のオブザーバーでしかいられない。

現実には本物の自分が、愛したり愛されたり、頼られたり頼ったり、

憎んだり憎まれたり、怖がったり怖がられたり、馬鹿にしたり馬鹿にされたり…

様々な位相で現実にコミットしているわけであるが、
それもどこかにある偽りの国から私の目が覗く白昼夢に過ぎない。
……という気分になる。

 

人間というものの思わぬ弱さに触れて、途方に暮れることが多い今日この頃。

子供の頃に「かぐや姫」を読んで、彼女は僕だ、と直感したことを思い出す。

人間50年・・・もう5年も過ぎてしまった。

そろそろ月に還らなくてはなあ。

こういうのを「中2病」と言うのだろう。

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靖国と天皇の「うれひ」

 

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忘れめや 戦の庭に たふれしは

暮らしささへし をのこなりしを

(昭和37年 昭和天皇御製)

 

忘れることができようか 戦争で死んでいったのは、家庭を支えた男たちであったことを…と詠んだ昭和天皇

今からちょうど10年前の夏、A級戦犯靖国神社に合祀されたことに関する昭和天皇の「お気持ち」が、当時の宮内庁長官だった富田朝彦によるメモとして明らかにされた

 

この「富田メモ」を巡ってその真偽を含めて大いに論議が交わされたことは未だ記憶に新しい。先日の今上天皇の「お気持ち」と同等以上のインパクトがあったと思う。というのもこちらは天皇というものの意思を、それも特定の人物へのネガティブな感情(不快感)が含まれるものがストレートに表現された肉声だったからだ。問題となったのは崩御前年の1988年の発言から以下の件である。

 

私は 或る時に A級が合祀され

その上 松岡(洋右・元外相)、白鳥(敏夫・元駐伊大使)までもが

筑波(藤麿・元靖国神社宮司)は慎重に対処してくれたと聞いたが

松平の子の今の宮司がどう考えたのか

易々と 松平は 平和に強い考えがあったと思うのに 

親の心子知らずと思っている 

だから私あれ以来、参拝していない

 

それが私の心だ

 

   ※(  )内は引用者注

 

メモ中の「松平」は終戦直後の宮内大臣であった松平慶民。「松平の子」は、その長男で1978年にA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司松平永芳のこと。永芳は富田メモ発表の前年に亡くなっている。発表のタイミングはそういう事情も考慮されたのだと思う。メモを発表した日本経済新聞は、その後、識者を集めて検証委員会を開催した。その結果、ここで述べられているのはA級戦犯合祀に対する昭和天皇の不快感以外の解釈はあり得ない」という結論になったはずだ。

 

この天皇による「放言」に、メディア、政治家とも右往左往した。女系天皇騒動の時に三笠宮発言を諌めた新聞社が、この時は掌をかえしたように天皇発言を利用しているダブルスタンダードぶりも滑稽だった。

ある意味、いちばんまっとうに対応したのは、自分の靖国参拝天皇発言の影響はないと断言した時の首相の小泉純一郎で、彼は実は天皇にも、靖国にもなんら思い入れがない男だ。彼は首相になるまで、靖国神社に参拝したことはなかった。しかし首相就任後は一転して遺族会や右寄りの人々へのアピールと、中韓に対するデモンストレーション効果で靖国に足を運ぶという、なんというかマキャアヴェリ的な振る舞いを演じた。それはそれで大したものだ。

 

この年の この日にもまた 靖国の 

みやしろのことに うれひは深し

(昭和62年8月15日 昭和天皇御製)

 

靖国参拝をやめた後に昭和天皇が詠んだ歌。死んでも先帝の「うれひ」は、深いままだ。そしてもちろん、今上天皇にもその「うれひ」は受け継がれている。
この歌では「うれひ」の解釈は、如何様にも解釈できるようになっている。それこそが天皇の意志であり、仕事であるのだろう。