外来種としての稲
生物とその環境は共進化を、生物の一つひとつの変化が環境の変化をひき起こす原因であると同時に結果でもあったというのが正しい進化観である。内と外とは確かに互いに浸透しあっており、生物はその相互作用の場であると同時に、その産物なのである。
(中略)
人類は世界を変えるのを止めるべきだという不可能な要求をしたところでむだである。世界を作り変えることは生きとし生けるものに普遍的な特質であり、ほとんどその本質なのだ。むしろわれわれは、どのような世界に暮らしたいのかということをはっきりさせるべきなのである。そして、その目標に近づくための最良の変化をもたらすよう努めるべきなのである。
引用は上掲書の著者のひとりであるルーウォンティンによるダーウィニズムにおける「適応」のメタファーの通俗的解釈への警句というか直球ど真ん中の正論。下段は「ちきゅうにやさしい」的な牧歌的環境保護論への皮肉でもあろう。同じ温帯域の原産であるブラックバスやニジマスごときに大騒ぎしながら、元々熱帯性の植物である稲が、古代人によって
日本列島に持ち込まれ東北地方や北海道にまで生息していることを問題視しないどころか、自国文化のシンボルのように扱っているのはなぜか? なになに、主食だって!?
水田文化ほど大規模な環境破壊は珍しい。天皇はその守り神。そろそろ稲刈りの季節だろうか。
生物が滅びたところで地球は痛くも痒くもない。かえってさっぱりして気分がいいのではないか。
- 作者: オリヴァーサックス,ダニエル・J.ケヴレス,ジョナサンミラー,スティーヴン・ジェイグールド,R.C.ルーウォンティン,Oliver Sacks,Daniel J. Kevles,Jonathan Miller,Stephen Jay Gould,R.C. Lewontin,渡辺政隆,大木奈保子
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1997/06
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (1件) を見る