プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

ついに会えなかった福永武彦教授

 

 突如として、福永武彦マイブームがやってきた。

 きっかけは、仕事で知り合った女性から自作の句集が送られてきたことである。その本の「序」を読んでみると、彼女の父親は石田波郷の信奉者で、彼女自身も波郷の句を愛好し、彼が入院した清瀬の東京療養所跡を歩いたこともあるという。私が清瀬在住だと思い出して句集を送ってくれたとのこと。なるほど。石田波郷は私が卒業した清瀬市清瀬中学校の校歌を作詞している。

 

 ついでだからと清瀬市のホームページにアクセスして、波郷について何か触れられていないかとさがしたところ、新たに「文学散歩」のコンテンツができていた。そこには石田波郷吉行淳之介と並んで、福永武彦の名があった。3人とも当時は死病だった結核療養のため、清瀬で苦しい日々をおくった文学者だ。

波郷について調べるつもりだったが、僕の目は福永武彦に吸い寄せられた。

かつて受験生だった僕は、福永と辻邦生という実に渋好みな2名の作家が教授陣に並ぶフランス文学科に注目していた。その大学は第二志望だったけれど、第一志望に落ちてもここに行けるのならいいやと思った。見事……第一志望に落ちた。しかし入学先には福永教授はいなかった。僕が夏季講習を受けている間に病死してしまったのだ。61歳没。なんと今年、私は亡き福永先生の没年に達してしまう。

 福永の著書で最初に読んだ『草の花』がどうしても見つからない。誰かに貸したままなのか。古本屋に売ってしまったのか。それともわが家のどこかに埋もれているのか。しょうがないからKindleで電子版を購入。この小説は語り手が東京都下K村(もちろん清瀬村のこと)の結核療養所で知り合った男のエピソードから始まる。重症の結核だったその男はムリな手術を志願して死んでしまう。彼が残した2冊のノートがこの小説のほぼすべてだ。

 一言で言えばBL風味の若き愛の破滅。まず後輩の男との純粋な魂の愛、そして彼の妹への思い、そのいずれにも破れた男の苦悩と彷徨について、「クレーブの奥方」から「肉体の悪魔」にいたるフランス心理小説の伝統を日本語の端正な文章に置き換え、三島由紀夫も激賞したピュアとしか言い様がない青春小説としてまとめ上げた。これは絶対に20代前半までに一度は読みたい作品だが、還暦の私は昔を思い出しながら一気読みしてしまった(個人的には萩尾望都に漫画化して欲しい)。続いて初期短編集の『塔』を読み返し、清瀬での療養中を含め足かけ10年掛けて完成させたという『風土』が未読だったので、この夏に読もうと思っている。『塔』の巻末には、戦争中からの文学仲間で、大学教授としての同僚だったフランス文学者の白井健三郎が思い入れたっぷりに長めの解説を書いている。白井は私のゼミの先生だった。ゼミコンパの時にちょっとだけ福永との交遊の話をうかがったことがある。

 その病気と苦悩に満ちた生涯を思い起こすと粛然とならざるを得ないし、派手な名声こそないが、一度読んだら長く人々の記憶に残るその作品群に、この夏は個人的にあらためてスポットを当てていきたいと思っている。

ちなみに福永は映画「モスラ」の共同原作者(他に中村真一郎堀田善衛)、本格派の推理小説作家(ペンネーム:加田伶太郎)としても知られている。代表作の一つ『廃市』は大林宣彦監督が1983年に映画化した。作家・池澤夏樹は福永の息子であり、その娘の声優・池澤春菜は孫だ。近頃は町の本屋に福永の著書を並んでいるのを滅多に見ないが、今回、Amazonなどで調べてみると福永の著書はだいたい今でも入手可能である。電子本の全集も発行されていた。

 

福永はあの夏死んだのではない。きっとまだ生きている。