釣り開始30分前まで、僕は「プログレ」を聴いている。(『フライの雑誌』 第64号〈2004年2月〉掲載)
先日、机の引き出しを整理していたら古いUSBメモリが出てきたので、中を見てみるといろいろ釣り絡みのデータが入っている。その中にその昔『フライの雑誌』に寄稿した元原稿も入っていた。確か「釣りをしない時間」というテーマでエッセイを募集していたのに送った原稿だと思う。読んでみたら、われながらけっこう面白い。雑誌に掲載された原稿は小見出しとかが入っているが、編集部に送ったそのままの原稿を以下にコピペした。
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(タイトル) 釣り開始30分前まで、僕は「プログレ」を聴いている。
(本文)
問題は、フライパターンやリーダーの長さではない。どのような音楽を携えて釣り場に向かうか、である。
と大上段に書き始めてみましたが、僕の場合、選ぶ音楽は往々にして「プログレ」です。
プログレとはプログレッシブ(=進歩的な)ロックの略。1960年代後半から70年代初頭にかけて英国を中心に盛り上がったこのムーブメントが目指したのは、「既存のロック音楽のフォーマットにこだわらず、あらゆる音楽の融合・再構築を図りつつ、新しい音楽を創造する」ことだったのではないかと思われます。
一般的にフライフィッシャーマンが愛好する音楽といえば、アーシー&アコースティックなサウンドでしょう。ムーグやメロトロンの電子音がけたたましく鳴り響き、クラシックだか、ジャズだか、民族音楽だかわからない不自然なプログレサウンドを「どこがいいの?」とおっしゃる方も多いかもしれません。
通い慣れた釣り場で味わう楽しみがあるように、音楽にも親しみやすいメロディーやリズムに酔う楽しさも確かにあります。しかし、新しいフィールドやターゲットを開拓する興奮を求めずして、どうして釣り人といえましょう! 少年時代、僕が音楽に期待していたのは「聞いたこともないようなスゴイ音を聴いてみたい」ということでした。それは「見たこともないようなスゴイ魚を釣りたい」と同じくとても素朴な欲望です。そしてそんな僕の心をもっともワクワクさせてくれたのが、ピンクフロイド、イエス、キングクリムゾンといったプログレバンドだったのです。
今の僕がそうした10代のノスタルジーとともにプログレを楽しんでいることも否定できません。が、プログレの名曲群に息づく創造への意志は、時を超えて僕の魂を揺さぶり続けています。初めての釣り場に向かう車中、期待と不安がないまぜとなった心に効く良薬としてもプログレに勝るものはありません。退屈な深夜の高速走行も、EL&P『タルカス』やルネッサンス『シェラザード夜話』をかければ極彩色のファンタジーロードとなります。白々と夜が明けていく川沿いの山道で聴きたいのは、イエスの『危機』。ずばり川の流れと鳥の囀りの効果音で始まり、テーマを繰り返しながら劇的に変転していく曲想は、次々と新たな光景と出会いつつ未知の渓を遡っていく釣り人の道行きそのものといえましょう。そして、釣れなかった釣り人の傷ついた心は、キャメル『スノーグース』やムーディーブルース『童夢』が優しく癒してくれます……こんなに素晴らしいプログレですが、「どうしてもダメ」という人も少なくありません。
友人のA君もその一人です。
とある管理釣り場で、一緒に丸1日気合いを入れて釣りをした帰り道、車中でキングクリムゾンをかけていたら、「す、すいません、どうもこの曲、僕には合わないみたい……気持ち悪くなっちゃった」と蒼い顔をして言うではありませんか。ちょうど林道を走行中だったので、A君が酔ったのは車の揺れせいではないかとも疑ったのですが、激しい変拍子と怒濤のメロトロンサウンドが彼の三半規管に悪影響を及ぼした可能性も高そうです。僕はすぐにカーステレオをFMに切り替えました。「音楽の力って、本当にスゴイですね。参りました」。最新ヒット曲の爽やかなサウンドに包まれ、生気を取り戻しつつあるA君の言葉を聞きながら、僕にとっては薬となるプログレ・サウンドが、猛毒でもあることを思い知らされました。さだまさしからボブ・マーリーまでを幅広く愛するA君の音楽的体力を持ってしても、プログレ界の極北に位置する暗黒サウンドの毒気には耐えられなかったようです。さすがクリムゾン!
でも、このままA君にプログレが「気持ち悪くなる音楽」と誤解されるのも癪です。そこで僕は現在、プログレアレルギー向け「耳と心にやさしいプログレ・セレクション」の作成を計画しています。多くのプログレバンドは英国の伝統音楽をルーツの一つにしていますので、実は車中BGMに最適な牧歌的な曲も少なくありません。そんな曲をMD80分の範囲で選曲・構成してみようというわけです。次回、彼と釣りに行くとき、さりげなくカーステレオにそのMDをセットしてみましょう。A君が「これ何ですか?良い曲ですね」といえば、私の勝ち。彼がまたしても顔面蒼白になったのなら……白旗ならぬ、コンビニの白いビニール袋をそっと差し出すまでです。