プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

あれから23年。

ヒースクリフ! 私よ、キャシーが帰ってきたわ。ああ、とても寒い。この窓から中にいれてちょうだい。

ケイト・ブッシュ嵐が丘』拙訳)

 私は久しぶり(10年とか15年のスパン)にあった人から「ぜんぜん変わってないねえ」と言われるタイプの人間なのだが、自分としてはあるときを契機に少なくとも内側は大きく変わったと思っている。それが1995年、年頭に阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が立て続けに起こったあの年だ。一言で言うとイデアリストからリアリストになった。もっと噛み砕くと「守り」に入った。翌年、初めての子どもができたので、守りはいっそう強化される。守りというと内向きの姿勢とも感じられるが、自分以外の誰かを守るために死ぬこともアリかな、と思えるようになった、ということでもある。少なくとも1995年以前に自分がそんなことを考える様になるとは想像すらできなかった。そしてまた、いざという時のために簡単に死ねないな、とも。それまではいつ死んでも、ま、いいか、であった。そういえば初めて携帯電話を持つようになったのもその年だった。今でも私は携帯電話・スマートフォンは、あくまでも「非常用」だと思っているフシがある。

f:id:indoorffm:20180119190302j:plain