「それまでとは何もかもが違っていた」〜ビートルズ史観というもの
本日、6月9日はロックの日なんだそそうだ。
もちろんこんな語呂合わせは日本でしか通用しない茶番だし、だから何?ってなものである。
そもそも日本にロックなんてあるの?という立場もあり、私は比較的その立場に近い。
ではロックとは何かと言えば、
1950年代にアメリカ合衆国におけるロックンロールを起源とし、1960年代以降、特にイギリスやアメリカ合衆国で、幅広く多様な様式へと展開したポピュラー音楽のジャンルである。(Wikipedia より)
というのが無難な解説で、「ロックンロール」から「ロック」への進化の分岐点は
1960年代前半の「(第一次)ブリテイッシュ・インヴェイジョン」と言えるのではないだろうか。
いや、もっと端的に言えば「ビートルズの登場」だ。
先週、NHK総合で「アナザーストーリーズ 運命の分岐点『ビートルズ旋風 初来日 熱狂の103時間』」を見た。
番組後半、当時高校生で、武道館公演を見に行ったという宇崎竜堂さんが
「(ビートルズの音楽は)とにかくそれまで(の音楽)と何もかもが違っていた」と、
若干もどかしそうにその衝撃の大きさを語っていたのが印象的だった。
宇崎さんはビートルズから「音楽ってこういうふうにやってもいいのか!」という自由さを感じ取り、その感動によって自ら曲を作り、バンドで演奏する志を固めた。
「ビートルズの音楽はそれまでとは何もかもが違っていた」。
この宇崎さんの言葉は、各国のさまざまなポピュラーミュージシャンのインタビューで多少の言葉を替えて、ビートルズに関して繰り返し語られ続けてきたものだ。
ビートルズの衝撃により、それまで米国西海岸でフォークやカントリー音楽に精を出していたミュージシャンたちがバーズになり、イングランド南西部のドーセットという田舎町で、巧いけど地味なジャズバンドをやっていた連中がキング・クリムゾンになった。
それぞれ、ウエストコーストロック、プログレッシブロックのさきがけといえる存在だ。
「ビートルズの音楽はそれまでとは何もかもが違っていた」。
ミュージシャンだけでなく、いわゆるビートルズ世代のリスナー全般からも聞かれる言葉である。
その違いはビートルズ以前のロックンロールやポップスをあらためて聴いてみればよくわかる。
よくわかるのだが、言葉で説明しようとすると躊躇がある。宇崎さんのもどかしそうな素振りはもっともなことなのだ。
開き直って身近な例えをしてみれば、「OSのバージョンアップでインターフェイスがガラッと変わった感じ」
とでもいえばいいだろうか。
中身のファイルや書類は以前と変わってないのに、その見え方がまったく違っている。
アプリケーションの操作感もすっかり別物になっている。こっちの方がぜんぜん楽しい。そんな感じ。
デビュー当時のビートルズが演奏していたのは、彼らが愛好していたロックンロールやR&Bといった黒人音楽が中心だった。
そのジャンルでビートルズより演奏技術に優れ、グルーブ感にあふれたグループはたくさんいたが、不思議なことにビートルズを聞いてから、それらのグループを聞くとなんだか野暮ったく聞こえる。
僕の場合は、あくまで追体験だが「それまでとは何もかもが違っていた」をやはり感覚として理解することはできた。しかし、リアルタイムでの音楽ファンの衝撃は幼すぎて実感できなかったし、想像するしかない。
結局、それまでの「お約束ごと」「クリシェ」「共同幻想」みたいなものをことごとく打ち破って、表面はニコニコとアイドルの顔をしながら、後年のいかついパンクロックの連中でも果たせなかったポピュラー音楽史上の暴力的ともいえる革命をあっけらかんと果たしたのがビートルズだった。
ジョン・レノンの繊細さに裏打ちされた不遜。ポール・マッカートニーの柔らかな上昇志向。 ジョージ・ハリスンの微笑ましいアマチュア精神。リンゴ・スターの人懐っこいリズム感。どれが欠けても革命は成功しなかっただろう。
もちろん、「ロック」というジャンルを確率した功労者はビートルズだけではないが、そこにボブ・ディランとジミ・ヘンドリクスを加えれば、70年代までのロック史はほぼ整理できるのではないか。
ビートルズを加えたこの三者は同時代的にお互いに影響を与え合ってもいた。
特筆すべき分水嶺として、あとはロックギターのイディオムを開拓したエリック・クラプトンとロックバンドのサウンド表現様式を拡大したレッド・ツエッペリンぐらいを加えれば必要十分だろう。
では、80年代以降、ポピュラー音楽の世界に革命はあったのか? もちろん、あった。
ただしそれは特定ミュージシャンが主体となった革命ではなく、デジタル革命というテクノロジー面の出来事だった。
そして振り返ってみると、かつてのビートルズ革命の背景にもテクノロジーの急激な進化という〝幸運〟 が重要な要因としてあったことにわれわれは気付くのだ。