プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

私とプロ野球と長嶋茂雄

野球を見始めた頃の私。

 

昨日、長嶋茂雄が亡くなった。

両親はほとんど野球に興味がなかったので、私が野球を見る端緒を作ってくれたのは父方の祖父だった。和歌山生まれでずっと大阪で生活していた祖父だが、生粋のジャイアンツファンで長嶋贔屓だった。祖父は10代の頃、サンフランシスコに移民していた親戚を頼って渡米し、しばらく自動車工場で仕事をしていた。その時にメジャーリーグ・ベースボールと出会う。帰国後、野球を見ることができなくなってしばらく寂しい思いをしていたが、やがて昭和初年頃に日本にもプロ野球が生まれ、現在のジャイアンツ、タイガース、ドラゴンズなどが次々に設立される。そして祖父は滞米中にMLBで応援していた「ジャイアンツ」のファンになったわけだ。
戦後、シベリアから帰還した祖父は戦後の荒廃の中でプロ野球が数少ない楽しみだったろうと思う。テレビ観戦で祖父は膝の上に乗せた私に長嶋の素晴らしさを力説した。それにしても息子2人がそろって読売新聞のライバル企業に就職したことを祖父はどう思っていたのか。いや、もしかしたらそれもあって、私にだけ「ジャイアンツ」「長嶋・王」の素晴らしさをことさら熱心に語っていたのかもしれない。そして10代の頃に触れたMLBの輝きを長嶋の姿に二重映ししていたのかもしれない。

 

2004年ごろだったか、私は亡くなる数年前の藤田元司ジャイアンツ監督から話を聞く機会があった。愛媛のケンカ番長だった藤田氏は野球と出会い、そのスポーツに打ち込むようになり、やがて東京六大学野球のスターになる。当時はプロ野球より六大学野球の方がだんぜん人気があり、藤田氏も大学卒業後プロには行かずに社会人野球に進む。「大学時代に誘われてプロの練習を見に行ったら、みんなダラダラやっていて『こんな奴らと一緒に野球できるか!』と腹が立った(笑)。二日酔いの選手もいて、ふざけるな!と思ったよ」と藤田氏は苦笑いしながら話してくれた。それでも大学の先輩でジャイアンツ監督だった水原茂の熱心な誘いに折れてプロ入りし、翌年入ってきた後輩が長嶋茂雄だった。「私が相手にヒットを打たれた途端、斜め後ろから罵声が聞こえる。振り向くとサードベースから新人の長嶋がスゴイ顔で私をにらんでいるんですよ」。藤田氏は楽しそうに思い出を語った。プロ野球が国民的ポピュラリティーを獲得したのはそうした長嶋のそれまでのプロにはなかったヒリヒリした真剣さと底抜けの快活さのおかげだった……というのが藤田氏の見解だ。「だから長嶋には感謝してる」。長らくプロ野球を見続けていた祖父にもそのあたりの経緯を聞いておけば良かった。

 

長嶋・王を擁した読売ジャイアンツの「V9 」というのは、ほぼ私の幼稚園~小学校時代に重なっている。小学校1年の時に父の転勤で東京から名古屋の公団住宅に引っ越した。50棟ぐらいある大規模な団地で、その広大な敷地の中央部にはなんとバックネット付きの野球場があった。だからその団地の子供たちは学校から帰ってくるとそのグラウンドで野球ばかりしていた。その団地は転勤族が多かったため、地元ドラゴンズファンより、ジャイアンツ、タイガースファンの方が多かった。

私たち子どもにとって野球は「スポーツ」などではなく、缶蹴りやメンコやビー玉、昆虫採集と同じ「娯楽」だった。当然、うまい下手はあるけどそんなことは大した問題ではなかったと思う。日曜日には団地の地区対抗で試合をしたりして、その際はいつもの普段着ではなくユニフォームを着用した。私は親にジャイアンツの背番号3のユニフォームを買ってもらったが、チームに同じ背番号・ユニフォームの選手がほかに2人いた。


小学校3年になって、私は「スポーツ」をやろうと思って学校のサッカー部に入った。野球部もあったけど、野球はいつでもできる「娯楽」なのであえて部活動でやるまでもないと思っていたのだった。ちなみにその小学校の野球部にいたカーブを投げられる2年後輩が、後に西武ライオンズのエース、ホークス監督となった工藤公康だ。大人になってからそのことを知り仰天した。昨年、工藤さんの講演を聞く機会があり「少年時代は家が貧乏で野球の本・雑誌を買えなかったため、本屋の立ち読みでカーブをマスターした」と聞いてさらに仰天した。

さて、小学校6年生の時、やはり父の転勤で私は再び東京に戻ってきた。そしてその翌年、ジャイアンツはドラゴンズに僅差でV10を阻まれ、長嶋茂雄が引退を決めた。中学生だったけど引退試合を見ながら「一つの時代が終わる」音を聞いたような気分がした(同じような気分は1980年12月9日(日本時間)にも味わった)。監督になった長嶋の最初のシーズンはなんと「最下位」。やはり夢は終わったのだと実感した。

今は長嶋引退から5年後にウチから近い所沢に引っ越してきたライオンズファン(クラブ会員)なので、現在のジャイアンツにはそれほど思い入れはないし、交流戦ではボコボコにしてやりたいと思っている。