プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

「ムーミンパパの思い出」再読

新装版 ムーミンパパの思い出 (講談社文庫)

 

映画「ムーミン谷とウィンターワンダーランド」が公開されたり、仕事場に近い銀座松屋ムーミンのチャリティ・ピンバッジが頒布されていたりと、今冬はなにかとムーミンを意識することが多かった。で、久しぶりに手に取ったのが「ムーミンパパの思い出」。初読は小学校3〜4年だったはずだから、すでに半世紀近く前だ。

この作品はパパが自分の人生を振り返って自伝を書き、その途中経過を息子たちに読み聞かせるという趣向だ。ヘムレンの孤児院を脱出したムーミンパパ(当時はパパじゃないけど)が、発明家フレデリクソンやスニフの父、スナフキンの父らとあちらこちら彷徨し、冒険を企てる一種のビルドゥングス・ロマンと読める。若き日のムーミンパパはとてもロックでヒッピー的な性格で、登場人物たちのフリーセックス的な家族関係もほの見えてなかなか興味深いものがある。本作でスナフキンがミイの弟であることが明かされる。

最後のムーミンママとの出会いは(笑っちゃうほど)衝撃的だし、エンディングの一節は現代の中高年にも刺さるものがある。

「太陽はいま、あがろうとするところです。(中略)あたらしい門のとびらがひらかれます。不可能を可能にすることもできます。そして、もし人がそれに反対するのでなければ、どんなことでもおこりうるのです」

シリーズの中でも再読に耐えうる名作なのは間違いないだろう。
 

葛西善蔵と酒が飲みたい。

葛西善蔵と釣りがしたい―こんがらがったセカイで生きるための62の脇道



先日、むかし部下だった男から電話があった。お互い前後して会社を辞めたので10年以上会っていない。要は、僕と飲みたい、昔迷惑かけたことをいろいろ反省してる…という趣旨なんだが、なぜ今電話してきたかよくわからない。おそらく本人にもわからないのだろう。いくばくかのアルコールの勢いを借りている様子でもある。

酒癖が悪い男で周囲にいろいろ迷惑をかけていた。基本的に賢いし、まじめにやればいい仕事をする。彼による宮台真司さんのインタビュー記事なんてちょっとしたものだった。確か宮台さんもいたく満足されていたはずだ。まあ、しかしメンタルにいろいろ問題を抱えていて、上司としてはハラハラしながら付き合った。ただし向こうがよく懐いてくれたし、僕の言うことは比較的よく聞いた。なんというかまさに破滅型私小説作家の葛西善蔵の再来みたいな男でどこか憎めない。私もたいがいに大人げない人間だが、彼と接していると分別くさいコンサバおじさんになった気分だった。
で、先ほどかかってきた電話の受け答えがまさにその当時の会話を冷凍保存したものを解凍するような不思議な感覚だった。ぜんぜん変わっていない。どこかで野垂れ死にしていても不思議ではない男だったので、元気そうでちょっとうれしかった。ちょっと、だけど。

丘を越えて 〜『嵐が丘』と前世の記憶

 

嵐が丘 (新潮文庫)

嵐が丘 (新潮文庫)

「エレン、あとどれくらいしたら、わたし、あの丘のてっぺんまで行けるようになる? 丘の向こう側にはなにがあるのかなあ──海?」

「違いますよ、キャシー嬢ちゃん」あたしは答えたものです。「これとおなじような丘が連なっているんです」

(エミリ・ブロンテ『嵐が丘鴻巣友季子訳 より)

 

若い頃から、まるで自分のこと(気持ち)が書かれているようだ、と思える小説作品といくつか出会ってきた。が、生まれる前の自分から語りかけられているような小説というのはこの『嵐が丘』しかない。無意識下の前世の記憶を呼び覚まされているような不穏な気持ちのまま、全編を読み通した。何回も。いつの時代かの自分がヒースクリフであったかもしれない恐怖におののきながら。

閑話休題

子どもの頃から、いくつかの土地に住んだ。それぞれの土地で丘の向こうに憧れ、成長とともに自転車を駆って丘を越え、それはとてもスリリングな体験であったが、向こう側にあったのはやはり丘であった。そうした事どもや丘の向こうの光景などを眠る間際にふと思い出すことがある。胸が夕日を含んだようにあたたかくなり、やがて、悲しみまじりの苦しさを覚える。いや、子ども時代の話とは限らない。

そこで初老男は丘をあきらめ、水の中に釣り糸を垂らすのだ。

高峰秀子著『いっぴきの虫』雑感 〜類い希なる人間観察眼と文才を有する著者による出色の人物批評

いっぴきの虫 (文春文庫)

いっぴきの虫 (文春文庫) 

有吉佐和子松下幸之助東山魁夷杉村春子木村伊兵衛藤山寛美川口松太郎梅原龍三郎……各界の第一人者との対談集。だが、普通の対談とは違う。著者はそれぞれの人物と絶妙な距離感を取りながらも、その懐に飛び込んで通常のインタビュアーではかなわぬ相手の言葉と反応を引き出していく。さりげない会話の中に研ぎ澄まされた刃のような人間観察眼が鈍い光彩を放っている。

結果、単なる対談集を超えた出色の人物批評書となっており、一流の人々の凄みと弱さが見事なまでに文章化されることになった。対話部分と著者による地の文のバランスも人によって異なっていて、そこに巧まざる作意と透徹した批評眼のようなものを感じることが出来る。

ただ本書で最も心を打たれるのは、最初の方に登場する中国の演劇人・趙丹との真心と温情を感じさせる交流だろう。本書あとがきでその中国の友人の死の報せに慟哭する高峰さんの姿が養女の筆によって記されている。ここはほんとうにたまらない。思わずもらい泣きだ。近年、外交問題や爆買い騒動などによって中国人の一般的な印象はあまり良くない。根拠なく日本人を上に見る風潮があるような気がするが、多くの日本人は本書の「趙丹」およびやはり中国人の真心について語る「杉村春子」の章を読んで、ほんものの中国人のこころのあり方についてあらためて考えた方が良いだろう。

また、映画「二十四の瞳」の元子役たちとの交流もひじょうに心温まるものがある。本書でもっとも素の高峰さんを感じるのはオトナになった彼らとの対談においてである。

失われた名盤②『TALK ABOUT THE WEATHER 』 RED LORRY YELLOW LORRY

TALK ABOUT THE WEATHER

TALK ABOUT THE WEATHER   RED LORRY YELLOW LORRY



英国・リーズ出身のゴス/ポジティヴ・パンク・バンドの1stアルバム(1985)。グループ名は「赤いタンクローリー、黄色いタンクローリー」という英語の早口言葉で、日本語で言えば「赤巻紙、黄巻紙」なんだろうかね。

 

神経症的によじれたサイケデリックギター、ゴリゴリ攻める強烈なベースライン、リズムマシンを多用したつんのめる機械ビート、クールでダークなヴォーカル等、最近のクラブでかけてもいいんじゃないかと思えるほど普遍性を感じるサウンド。陰鬱で退廃的で破壊的で痙攣的……言ってしまえばJOY DIVISIONKILLING JOKEの影響下にあるバンドでしょう。

当時、ビジュアル的に地味でもあり同郷の「SISTERS OF MERCY」という大物がいたため、その影に隠れてあまりブレークしませんでしたが、サウンド面ではそれほど引けを取りませんし、ある意味独自のポップセンスを備えたバンドでした。

 

特筆すべきヒット曲があるバンドではありませんが、多くの名曲を残しているのです。僕が一番好きなのはこの曲!

youtu.be

 

 

 

ポール・マッカートニー関西人説

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10年ほど前にビートルズのLet It Beを関西弁に訳してブログに載せたら、ちょっと反響がありまして、それを再掲してみます。ネイティブな方にはやや違和感あるかも。

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「それで、ええやないか」

わてにどないせぇっちゅうねん! ってなったら、

聖母マリアはんが来てくれてな、

ええこと、ゆうてくれまんねん。「それで、ええやないか」

ドツボで、目の前まっ暗闇のわしの、まん前に立たはってな、

ええこと、ゆうてくれまんねん。「それで、ええやないか」。

「ええやないか、かめへん、かめへん」

「ええやないか、かめへん、かめへん」

ほんま、ええこと囁いてくれまんねん。

「それで、ええやないか」


(Let It Be 原詞)


When I find myself in times of trouble

Mother Mary comes to me       
    
Speaking words of wisdom Let it be

And in my hour of darkness

She is standing right in front of me

Speaking words of wisdom Let it be

Let it be Let it be

Let it be Let it be

Whisper words of wisdom Let it be

 

 

「日本も、けさから、違う日本になったのだ」

 

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久しぶりに政治の話をする。

 先の衆院選において、何人かの(リベラルな)純文学作家の方々が反アベ政権の立場から発言していて、ことごとく幼稚かつ的外れで呆れた。文学の言葉が現実への影響力を失って久しいが、その自覚がないままに現実を語る言葉の浅薄さにはもにょんとするしかない。
 まあ、文学者に限らないのだが、現政権への批判者の多くが、安倍晋三は好戦的なナショナリストであり、ナチスヒトラーにも匹敵する独裁政治を進めようとしている…という視点での政権批判を行っている。いわゆる「モリ・カケ」問題に関しても、独裁者が友達を優遇するために官僚に忖度を求めたというストーリーにしたいように見受けられるが、森友の夫婦が詐欺師だったり、安倍夫人が相変わらず軽率だったり、官僚は省益のために平気で公文書をなきものにするなどの事実は浮き彫りにされたけど、肝心の首相の疑惑に関しては半年たっても何ら証拠は出てこず、結局は単なる言いがかりであることが明らかになってきた。
 安倍晋三の反対者たちは、彼が独裁者をめざしているわけではなく、彼なりの「平和な民主国家」を築こうとしているということに目を向けた方が良い。そこを出発点にして初めて、現政権への有効な反駁が可能になるだろう。その中で経済・金融政策に関してはなんとか巧く綱渡りを続けており、外交に関してはむしろ加点が多いことに着目すべきだ。意味不明な「独裁者」批判をし続けても、そう言っている本人の身がいつまでも無事であるという矛盾を国民は大いに嗤っている。個人的に安倍晋三は好きな政治家ではないが、現時点では経済と外交における長期政権のメリットというものをしみじみ実感せざるを得ない。

 

まあしかし、私を含めた国民というものも決して当てにはならない。

 

日露戦争で戦争の継続を訴え、日米戦争開戦時に黒船来航以来の胸のつかえがとれたという日本国民。当時の記録や文章を読むと、戦争責任は、多くの普通の庶民にあることがよくわかる。政治家と軍人の優柔不断と手前勝手なファンタジー(どちらも日露戦争時はその終結をもっとも願ったリアリストだったのだが、昭和になると堕落していた)が、そんな国民の情念を後押しした。

33歳の太宰治でさえ、日米開戦の一報を聞き、

 

 強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ、あるいは精霊の息吹を受けて、つめたい花びらを胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、違う日本になったのだ

(太宰治『十二月八日』)

 

 

などと、頬を染めて熱弁しているくらいだ。他は押して知るべし。文学者カナリアとしてはまったく無能である。

  今回の衆院選では、鳴り物入りの小池党=「希望の党」が盛大にこけたために、ミンシン党を解体した前原誠司という人が揶揄の的になっているが、私は前原さんの蛮勇があってこそ、野党のもやもやした閉塞状況打開のキッカケがつくられたと思う。希望の党も、立憲民主党も、このままではグズグズになる可能性が高いけど、「日本も、けさから、違う日本になったのだ」といえる局面を開いた功績は認めてあげたい。たとえ新たな混迷の始まりだとしても、閉塞よりはマシだろう。ただ、前原さん本人はそうした思慮ではないような気もするけど。