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プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

『Roger Waters The Wall』に圧倒される

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 昨日9月29日一日のみの上映(しかも国内4箇所のみ)という「Roger Waters The Wall」を見にいった。FBフレンドからの情報で、当日の昼に上映があるのを知り、仕事を慌てて片付けてから、上映会場であるイオン板橋店に駆けつけた。平日一日のみの上映。う〜ん、まあそんなものなのかなあ…..。客の入りは7割程度で、ほとんど埼玉に近い板橋にもかかわらず、川崎チッタでお見かけしそうな方々ばかりである。


 この映画は2010〜13年にかけて行われた『ザ・ウォール』のツアーの模様を追ったドキュメンタリーだが、ロジャー・ウォーターズがツアーの合間を縫って、戦争で死んだ父と祖父の“聖地巡礼”をするシーンをライブ映像に重ね合わせていく試みがこの映画の重要な創意である。ウォーターズ自ら車のハンドルを握るこのロードムービー的なシークエンスは演出・演技が入っているとはいえ、露出嫌いと言われる彼の素顔に触れることができる貴重なフィルムである。メインのコンサート映像は主にフランスでのステージが使われているようで、時折カンペを見ながらフランス語のMCを喋ったり、ホテルのバーでフランス人バーテン相手にクダをまくウォーターズの姿は冒頭の見所かもしれない。

  この映画のベースとなるのは、ご存じの通りピンク・フロイドのアルバム『ザ・ウォール』(1979)だ。この作品は戦死した父を持つロック・スターの社会的抑圧や孤独感を描き、破滅の予感とともにある人生を照射するきわめて深い陰影を持つ作品で、(にもかかわらず)全米チャートトップを記録するヒット作になった。発売当時、私は高校3年の大学受験生で、放課後はアルバムからのシングルヒット曲「Another Brick in The Wall Part2」の歌詞「we don’t need no education.」「Hey teacher! leave them kids alone.」を口ずさみながらお茶の水にある駿台予備校に通っていた。やる気が出ない日は丸善やシスコやディスクユニオンで時間をつぶしていたことは言うまでもない。ちなみにその年の6月にはUK来日公演を見て(初めての生プログレ体験)魂を吹っ飛ばされた。

 

閑話休題。『ザ・ウォール』の主人公であるロックスターとは、もちろんウォーターズ自身のことである。日本で言えば私小説的な作品であり、映画ではアルバム収録曲全26曲が演奏されている。コンサートシーンは感動的なまでの盛り上がりである。まったくダレない。私は前の方の座席で見ていたので、広大なステージにまず圧倒された。思ったより壁が長い。カメラをぐっと引いてもスクリーンの端から端まで、視線に収まりきらないほどだ。コンサートの進行に伴い築かれる壁によって、やがてミュージシャンの姿は聴衆から隠されてしまう。しかし長大な壁面には記録フィルムやアニメーションなどの視覚情報が目まぐるしく映し出され、見る者を圧倒し、昂揚させる。しばしば映画を見ていると言うことを忘れそうだった。やがて発売されるはずのDVD/ブルーレイを自宅で再生してもこの迫力を十全には味わえないだろう。絶対に映画館で見るべき作品だと思う。

 

 ステージ後半、壁の前にスターリニズムファシズムを想起させる制服姿のミュージシャンが現れるところは、(まあ、率直に言えばピンク・フロイド『アニマルズ』と同様)わりと類型的な表現ではあるが、手練れのミュージシャンたちの技倆によって反戦・反ファシズムの意図が明確かつきわめて音楽的にぐいぐいと伝わってくる。上空に浮かぶ巨大な黒い猪は自分が不在のピンク・フロイドへの揶揄も混じっているのだろう。そしてついにThe Trialの演奏によって、すべてが瓦解する……。こうしたステージの骨子はフロイド時代とそれほど変わらない。しかしテクノロジーの発展と歳月によって練り込まれた演出、そしてもちろんバンドの演奏力の高さが音楽的な説得力を恐ろしいまでに高め、聴衆を激しく扇動する。扇動……そう、これはロックコンサートと言うより、一種の宗教的な儀式ではないかと感じさせる瞬間が幾度もあった。カトリックが多いであろうフランスの若い観客の表情は、何か見えないものを見ているような憑かれた視線で音楽に熱狂する。そもそも音楽は宗教に欠かせないものなのだ。

 

 バンドはウォーターズに加え、ヘヴィなデイブ・キルミンスター、ブルージーなスノウィ・ホワイト、テクニカルなG・E・スミス(元ホール&オーツ)の3人のギタリストが次々にギターとベースを持ち替えながら、きわめてフレキシブルかつ完成度の高いサウンドを聴かせてくれる。しかし、ギルモアとタイプが近いホワイト以外の二人はそれぞれの個性を発揮するわけではなく、あくまでも原曲(ギルモアの演奏)を尊重したプレイを心がけている。さらにドラマーもニック・メイソン的なタイム感をしっかりと再現、キーボードのジョン・カリンもリック・ライト的なオルガンサウンドを響かせるなど、フロイド・ファンにはきわめて喜ばしいバンドサウンドが聴ける。26曲2時間余り。繰り返すがまったくダレない。あっという間に終わってしまったというのが実感である。


 ウォーターズが1歳の頃、第二次大戦のイタリア戦線で父が戦死した。まだ30歳そこそこの若さだった。さらに祖父はウォーターズの父がたった2歳の時、第一次大戦で戦死していた。欧州を戦場にした2度の世界大戦が戦勝国にも与えた深刻なダメージを象徴するようなウォーターズ家の運命である。
 祖父の墓標を子どもたちを連れて、ウォーターズ自ら車を運転して訪ねる。そのシーンで、もっとも若い息子が唐突に「第二次大戦の日本軍兵士に追われる夢を見た」と語る場面があった。ウォーターズ自身の「追われる夢」のエピソードに続いて語られる発言なので話の脈絡はあるし、しょせん夢なんだから気にかける必要はないのかもしれないが「日本軍兵士」という具体性がなにやら妙な感じがした。その発言を映画に採用したウォーターズの感受性というか、第二次大戦における日本が欧米の国々にとってどれだけ苦々しい存在であったか、欧州人の本音を垣間見た気がした….と言ったらうがちすぎだろうか? しかし第一次大戦後に国際社会が進めようとした軍縮の機運に思いっきり冷や水を浴びせかけたのが日本とドイツであることは間違いない。やがて、ウォーターズから父を奪った第二次大戦が勃発した。

 

 映画のプロローグとエピローグには、父が戦死したイタリア・アンツィオにある戦死者墓苑でウォーターズがトランペットを吹くシーンがそれぞれ挿入される。Outside the Wall。そのメロディはウォーターズと父との対話のように響く。まだ人生が始まったばかりの30歳で戦場に散り遺体も見つかっていない父と、功成り名を遂げ70歳を過ぎた現在も世界に向けて不機嫌にメッセージを発信し続けている息子。時を超えたその魂の交歓はこの映画の大きな核であり、ウォーターズの反戦思想が彼個人に根ざしたきわめて個人的かつリアルなものであることが実感される。上映前に配られたレジメに記されていたウォーターズのメッセージには、多くの戦禍の犠牲者とともに、今まさに苦難の壁にぶち当たっているシリア難民へ思いを馳せることが記されていた。ピンク・フロイド時代から基本的な骨子は揺るがないウォーターズによる『ザ・ウォール』だが、そこに込められた思い、演奏を捧げる犠牲者は日々アップデートされているようだ。世紀を超えて増え続ける死者のポートレートとプロフィールで構成されるエンディングはそのことを端的に示唆している。

 “苦々しい日本人”として、そうしたエンディング・シークエンスをどのように受け止めればいいのか、私はちょっと言葉にならない思いを抱いている。ちなみに前述のウォーターズのメッセージ中、以下の言葉が大きなフォントの太文字で示されていた。

Ashes or Diamonds(灰であっても ダイヤモンドであっても)

Foe or Friend (敵であっても 友であっても)
We are all equal in the end (結局、最後はみな同じことなのさ)

 

  すべての死者に以て瞑すべし。


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たった一日一上映限り...というのは単にビジネス的な理由だけなのだろうか?
再上映希望!