プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

「私は高校野球というのが実に吐き気がするほど嫌いです」〜伊丹十三『女たちよ!』の思い出

女たちよ! (新潮文庫)

女たちよ! (新潮文庫)

 

 

自分がコピーライター、もしくはライターと呼ばれる仕事をするようになったきっかけはなんだろうと考えると、父親が本好きであったことがまず思い浮かぶ。わが家にはそこらへんの街の本屋より本があったし、団地住まいだった頃は家に入りきれない本を親戚や知り合いや倉庫などに分散して保管していたらしい。

 

そういう「環境」面も無視できないが、読むだけでなく「書く」ことに踏み出したきっかけはやはり自分自身が出会った何人かの文筆家、作家にあるのだろうと思う。北杜夫遠藤周作吉行淳之介といった「第三の新人」世代の作家、一世を風靡した庄司薫村上龍&春樹、橋本治などの名前が思い浮かぶが、決定的だったのは本職が文筆家ではない伊丹十三のエッセイ群だったように思う。

今日(12/20)は伊丹の命日なので、そのことについてメモ的に書いておこう。

『女たちよ!』は『ヨーロッパ退屈日記』でエッセイストとして注目された作者の第2弾である。でも僕はこちらを先に読んだ。1968年、いまから50年前の出版だ。その9年後、高校生の時に読んだこの本に、僕はすっかりやられてしまった。それから彼の著作をすべて読み漁った。当時は文春文庫で出ていたのだ。俳優として出ているテレビ番組もなるべく見るようにした。こういうタイプの人が日本にもいるのか、と思った。

 

俳優であり、グラフィックデザイナーであり、エッセイストであり、映画監督でもあり、英語に堪能、料理も上手。そんな伊丹のエッセイは徹底した「好き嫌い」という名の美意識で貫かれている。いわく「私は高校野球というのが実に吐き気がするほど嫌いです」「日本の西洋料理屋でおいしい野菜サラダを食べたことがない」「日本人に洋服は似合わない」「女と話をするのは(程度が低いので)苦手」などなど。「ですます」と「だ・である」を意図的に混在させる文章技法にも少なからず影響を受けた(ただこれを仕事の場とかでやると、野暮な校正者と喧嘩することにもなりかねないのでなるべくやらないようにしている)。文章は音楽と同様にリズムの自在さが命なのだ。

 

自分のこだわりや好みを語るエッセイは今やいくらでもある。伊丹十三山口瞳はそうしたこだわりエッセイの開祖みたいなものともいえるが、しかし後進たちは「好き嫌い」を実は仲間うちの団結の道具として使っている。それに対して伊丹の「好き嫌い」は相手を一刀両断する真剣だ。ここは決定的な差だろう。『女たちよ!』というタイトルの本ではあるが、ここで伊丹は従来の「オトコ」のあり方に意義を唱えているように思える。自分と同じオトコ、そして自分とは違うオンナに向けて「好き嫌い」の切っ先を突きつけている。「あんた、そんなつまらない生き方で大丈夫?」。そして目だけは終始ニコニコ笑っているのだ。これにシビれた。こういう文章を書く人になりたいな。英国ロック好きの高校生は心からそう思った。そういえば伊丹さんが自宅に留守電を導入したとき、待ち受け音楽に使ったのがレッド・ツエッペリン『胸いっぱいの愛を』だった。

 

「さて、ここでちょっと日本の洋食屋のスパゲティに思いをいたしていただきたい。茹ですぎたスパゲティの水を切って、フライパンに入れ、いろんな具を入れてトマト・ケチャップで炒める。しかも運ばれてきたときにはすでに冷え始めていて湯気も立たぬ。

 これをあなたはスパゲティと呼ぶ勇気があるのか。ある、というなら私はもうあなたとは口をききたくない。」(『女たちよ!』より)

 

日本のスパゲティ界に「アルデンテ」が普及した大きな理由の一つは伊丹さんのおかげではないかな?