プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

小澤征爾さんと、音楽について話をする (新潮文庫)  雑感

 

小澤征爾さんと、音楽について話をする (新潮文庫)

単行本発売時から気になっていた本書、書店で文庫を見かけたのでようやく手に取ってみた。

 

タイトル通り村上春樹小澤征爾の対談集である。小澤の師匠カラヤンをはじめグレン・グールドバーンスタインといった深く関わり合った音楽の巨人たち、またベルリン、ウィーン、ボストン、ニューヨーク、そしてサイトウ・キネンなどのオーケストラについて、ベートーベン、ブラームスマーラーなどの作品とともに語られる。

対談の時期は2010年11月から2011年7月にかけてで、この時期、小澤は大がかりな食道癌切除手術からの回復期にあった。それゆえに対談する時間が持てたとも言えるわけだが、いまだ完全に回復しているとは言えないマエストロへの村上の気遣いも随所に感じることができる。対談の中身にはほとんど出てこないが、この期間に起こった東日本大震災が、ふたりの会話に微妙な陰影を投げかけているかもしれない。

 

 

本書を読んで感銘を受けるのは、小澤征爾のマエストロらしからぬあけっぴろげさと「自分は音楽の素人」と言う村上春樹の音楽の聞き手としての真摯さと耳の確かさである。どちらもかねがね感じていたことだけれど、文字として定着したモノを読むとあらためて圧倒される。特に聞き手の村上の音楽知識の深さとその知識を音楽そのものに滑らかにつなげる言葉を紡ぎ出す才能にはホレボレとする。僕はふたりのおかげで長年モヤモヤし続けてきたマーラーの音楽を深く楽しむための大きなヒントをもらったと感じている。

 

ちなみに小澤征爾は「レコード・マニア」が大嫌いだという。クラシックに限らず、音楽マニアの戯言とか音楽評論家の印象批評に辟易している人は少なくないと思うが、そういう人たちがこの本を読むと音楽を感じとる幸せとそれを言語化する喜びについての新たな知見が得られるに違いない。あらゆる日本の音楽評論家と称する人々は、ジャンルにかかわらず本書を熟読玩味すべきだろう。

 

ジャンルにかかわらずと言えば、小澤征爾がシカゴで開催される音楽祭の音楽監督を務めていたとき、治安の良くないライブハウスまで自ら運転して出かけ本場シカゴブルーズを浴びるように聴いていたエピソードはじつに興味深かった。

 

文庫化に際して、単行本には収録されていない「厚木からの長い道のり」という村上の後日談的エッセイが追加収録された。このエッセイにはジャズピアニストの大西順子の引退宣言から、長野県松本市の音楽イベントで小澤征爾(及びサイトウ・キネン・オーケストラ)と「ラプソディー・イン・ブルー」を演奏し〝復活〟するまでの経緯が書かれている。大西順子とマエストロをつないだのは村上である。海外のジャズミュージシャンかから大きな評価を得ていながら、日本の音楽状況とビジネスに苦しみ引退を決意した大西が、本厚木の小さなライブハウスでラストコンサートを開催した。スシ詰め状態のその客席には村上と小澤の姿もあった。最後に完全引退を客に告げるステージの大西に向かって、客席の老いたマエストロは突然立ち上がって「おれは反対だ!」と叫ぶ。突然の事態に仰天する観客。マエストロはそのまま大西順子とサシで引退撤回の話し合いに入る。大西も相当頑固者だったようで、話し合いは日を改めて何回も続いたという。結局、1回だけイベントで「ラプソディー・イン・ブルー」を共演すると言うことになり、クラシックとジャズの垣根(特にリズム面での)を乗り越える困難を経てコンサートを成功させた。その後しばらくして、ビル清掃のアルバイトで生計を立てていたという天才女性ピアニストが、再びステージとレコーディングスタジオに復帰したのはみなさまご存じの通りだ。

 

本書を一度読み終えた後、僕はなんどもこの「厚木からの長い道のり」だけを読み返した。そしてマエストロが「おれは反対だ!」と叫ぶくだりで、胸と目頭が熱くなる。
クラシック、ジャズ、ブルーズ、ポップス、演歌などに関係なく、音楽が人にとってどれだけかけがえのないものか、僕は熱く率直なこのマエストロに教えられた気がしている。
「厚木からの長い道のり」が追加収録されたことで本書は、単行本よりさらに価値が増したと思える。いずれにせよ心から音楽を愛するすべての人に勧めたい1冊だ。