プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

敗戦70周年の年の開戦の日

 

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今年は終戦(敗戦)70周年という区切りがよい年なので、日米開戦の12月8日にはあのバカげた太平洋戦争開戦についてさまざまな論評でメディアが賑わうかと思ったが、そうでもなかった。ひょっとしたら私が知らないところでもりあがっているのかもしれないが、それどころじゃない、というわが国の現況もあるのだろう。今年は終戦の日も“五輪エンブレム”や“戦争法案”の騒動に掻き消されてしまった感じで、70年も経つとさすがに実際に戦時下を体験した証人が少なくなり、風化というものが一段階進むのだろう。 

小学校の頃、父親に連れて行ってもらった映画は、ほぼ100%戦争映画であった。第二次大戦、第一次大戦日露戦争、米国の南北戦争やインディアン掃討など。父の書斎には、文学(趣味)や経済書(仕事)のほかに戦記物や第二次大戦のノンフィクション本もたくさんあって、僕も小学校の時から、それらの本をちょいちょい手に取っていた。その結果、戦争というのは余りにもあっけなく大勢の人が死ぬので、できるだけそんなことにならないようにするのが良いだろうという小学生なりの結論に至った。しかし、各種兵器の格好良さはそれはそれとしてとても魅力的で、タミヤ模型の1/35スケールモデルを通して特にナチス・ドイツのスタイリッシュな戦車や戦闘機にはすっかり魅せられた。それを矛盾と思うのはしゃらくさい大人の知恵だろう。

 

 この日米合作の超大作『トラ・トラ・トラ!』も公開時に映画館で見た。映画館は当時住んでいた名古屋の栄か伏見辺りだと思う。当初、黒澤明が監督をする予定だったのが、途中降板したということは何となく伝え聞いていた。万博の年だから小学校3年の時だ。スペクタクルな真珠湾攻撃シーンは大迫力で、山村聡山本五十六は実に威厳に満ち、南雲中将が東野栄次郎だったのが印象的だった。黄門様の笑顔はまったく見せず、終始苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。映画の中で米国人が殺虫剤を食らったイナゴのようにボコボコ死んでいくのを見ながら、ああはなりたくねえなあ、と子ども心に思った。その秋には三島由紀夫が軍服みたいなのを着て割腹した。過去からの亡霊のようだと思った。実際、そうだったんだろう。ちなみに、この映画は今度の土曜日(12日)にTBS-BSで放映されるようだ。制作途上でトラブルもあった作品だが、最近作られた米映画「パール・ハーバー」などまったく比較にならないほど、見応えのある映画だと思う。下手な人間ドラマを挿入せず、歴史の中に翻弄される人間たちの姿を克明に描くという、ともすれば退屈なまでの律儀さに貫かれた歴史巨編であった。

BS-TBS トラ・トラ・トラ!

 


トラ・トラ・トラ!』の6年後、私が中学3年の夏に『ミッドウェイ』という映画を父と一緒に見た。たぶん池袋の映画館だ。山本五十六三船敏郎であった。映画の中で連合艦隊はボコボコにやられ壊滅した。いろんなことが裏目に出て、故郷を遠く離れた船上で日本兵がボコボコ死んでいった。こんな戦争をしたのは馬鹿野郎どもだ、と中学生なりに憤った。

その翌年、今度は『スター・ウォーズ』第一作を一家で見に行った。確か数寄屋橋の日劇にあった映画館だ。遠い未来の宇宙のことなので僕と妹は面白くてただただコーフンした。父は「こんなもんか...」という顔をしていた。それが父と一緒に見た最後の映画だったと思う。『スター・ウォーズ』では死者のことがそれほど気にならなかった。

父が私に戦争映画ばかり見せたのは、自分の息子に軍人になって欲しいと思ったからではないだろう。戦記物好きという本人の趣味もあっただろうし、昭和元禄にのほほんと生きる息子への彼なりの無言のメッセージも少しはあったのかもしれない。そういう私の息子は、ちょうど私が父と『スター・ウォーズ』を見た年頃であるが、今のところ『進撃の巨人』を通して彼なりの戦争観を醸成しているように思える。