プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

「決定版 大東亜戦争(上 下)」を読む

 
今月に入ってから読んでいる新刊「決定版 大東亜戦争」。敗戦後、じつに76年を経て日本人がイデオロギーを排して自らの戦争を検証した1冊(上下だから2冊か)で、書名通りの力もこもった叙述に圧倒される。日本の視点だけでなく、米国や中国からみた大東亜戦争についても詳述され、新しい知見もかなり得られた。著者の一人・戸部良一さんは、日本軍の作戦行動から日本の組織の問題を抽出した名著「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」の著者の一人でもある。こちらもあらためて併読している。
ミッドウエイ、ガダルカナル以降は物量で日本軍を圧倒していたかのように思える米国も、ヨーロッパ戦線との兼ね合いでかなり煩悶し、内部対立を生じながら厳しい戦いを戦っていたことがよく分かった。決して肯定はしないが核兵器使用への道もそこらへんにあるのだろう。重慶政府の蒋介石の(はずれてばかりいる)思惑とそのふるまいも興味深い。
一方、日本では開戦直後から重光葵外相と外務省が和平への可能性を模索するも、陸海軍の抵抗と重光自身の「大東亜」観の限界から結局は頓挫し、無様な敗戦を迎える。ミズーリ号艦上で無条件降伏の調印をした重光の思い、いかばかりか。