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プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

身近な死。

 


真空管アンプで聴く『レッド・ツェッペリン/天国への階段』

  まもなく6月も終わり。今年も半分が過ぎ去った。実に早いものだ。そして年々、確実に早く感じるようになる。
 毎年7月になると小学校4年生の時に出会った身近な死を思い出す。それは、サッカー部の先輩で、亡くなった当時、まだ中学1年生だった。その先輩は公団団地の5階に住んでいた私の家の真下にあたる4階に住んでいた。窓を開けっ放しの夏場など、お互い親から怒られていると丸聞こえで、からかい合ったりしたことを思い出す。

先輩が中学進学後も登校時間が同じで毎朝、団地の階段で行き会って挨拶を交わしていた。その日もいつもどおり挨拶してお互いの学校に向かった。夕刻、いつものように道草を思い切り食って帰宅した私に母は先輩の死を告げた。体育の時間、プールで心臓マヒを起こしたということだった。得意のクロールでゴール寸前のところだったという。その日以来、真下の部屋からご両親のあげる線香の香りが、毎日、立ち上ってきた。でも、私はその死を信じることができなかった。1年半後、父の転勤でその団地を去るまでずっと。

先輩からはサッカーだけでなく、宇宙や生き物のこと、国連とは何か、自衛隊とは何か、国家財政の仕組みなど、いろんなことを教えてもらった。今考えても先輩はずいぶん物知りな子供だったと思う。亡くなったのは1971年7月、夏休み直前のことだった。その夏が過ぎ去り、秋も深まった頃、町ではレッドツェッペリンの『天国への階段』が流れていたはずだ。

そんなわけで僕にとって、夏という季節は、秋や冬より悲しくなる季節なのである。

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