プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

「戸笠池」の思い出

 

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コロナ第3波のニュースが喧しいが、今月はライター取材の仕事が完全復調気味で10数本も入ってしまった。気晴らしに近所の川で釣りをする時間もなかなか作れない。

鬱々としながら、仕事中に検索して見つけたのが「戸笠池」。ぼくが小学生の時に住んでいた名古屋の団地から徒歩3分のところにあった農業用ため池だ(リンク先参照)。

bunbun.hatenablog.com


いまは公園に隣接する池になっているようだが、昭和43年にぼくがこに転居した際は一帯が田んぼで池から細い用水路が流れ出していた。この池と用水路と田んぼがぼくの釣りの原点だ。

名古屋に引っ越して戸笠池や近くを流れる天白川を知ったときは本当にうれしかった。それまで住んでいた東京・清瀬の家の近くの柳瀬川は家庭排水がダイレクトに垂れ流される死の川であったからだ。生命感あふれる水辺に初めての土地への不安に勝って子供の私の心は躍った。

用水路・田んぼでザリガニ、ハヤ、池や天白川ではコイとフナを狙った。コイはなかなかつれなかった。後年、マンガ「釣りキチ三平」でぶっ込み釣りを知るまでは、針一本にミミズをつけて狙っていたからだ。ミミズは池の畔にあった小さな牧場の土を掘ればいくらでもでっかいやつが出てきた。ぶっ込み釣りはぼくにとって一つの釣り革命であった。


 4年後、田んぼがすべて埋め立てられ、そこに巨大なスーパー「ダイエー」が建設された。ちょうど田中角栄の列島改造論の時代だ。悲しかったが、ダイエーに出来た焼きたてパン屋のクロワッサンがおいしかったので、その悲しさは薄らいだ。なにより戸笠池はそのままあったし、ダイエーと家の間にはまだ広い野原の空き地があって、そこは虫取り、たこあげから秘密基地建設まで子供たちの好奇心を受け入れてくれる貴重な遊び場だった。翌年、ぼくは今も住む清瀬の家に再び戻ることになった。

 現在の地図を見るとすでにダイエーはない。跡地は公園になり、遊び場だった空き地にはマンションが立ち並んでいる。池の横を当時はなかった太い幹線道路や地下鉄が通っている。池の向こう側にあったトヨタの研究所は、トヨタが運営する大学キャンパスになっている。毎朝、小学校に通う道でトヨタ研究所の守衛さんに挨拶するのがぼくたちの習わしだった。

 

ぼくが住んでいた団地はほぼそのままのようだ。しかし昭和42年の建設のはずなので老朽化は激しいだろう。戸笠池の周りはまだ緑が多くてブラックバスを狙うつり人もいるらしい。

いま、柳瀬川は下水道整備の甲斐があって、実に生命観あふれる川に復活している。現在の近所の川での釣りには、私のここに書いたような半世紀にわたる思いと水の中に生きる生命への憧憬がこびりついている。釣られる魚にとっては知ったことではないと思うが。