プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

「モンテ・クリスト伯」から「成城だより」。そして「大岡さん」と「大谷さん」

 

成城だより 上 (講談社文芸文庫)

成城だより 上 (講談社文芸文庫)

 

 

 昨夏に義弟が新型コロナウイルス感染症で亡くなって、諸行無常な気分に陥りながら手に取ったのは、学生時代に読んだ「モンテ・クリスト伯」だった。かつてと異なる訳者だったが、良い訳文だと感じた。そしてこの小説はほんとうに良くできた伝奇物語であり、復習譚であり、愛の物語であり、人物伝である。
 仲間の裏切りによってどん底に陥った船乗りダンテスがスーパー貴族「モンテ・クリスト伯爵」として再生し、着々と復讐を果たしていくこともワクワク面白いのだが、白眉は復讐を進めるダンテスが次第に憂愁にとらわれ、身近な愛すら見ようとせずに、この世から消えようとしている終盤の流れである。いや実は若い頃はぜんぜんそこらへん気にしていなかったのだが、この年になると華麗なる復讐より、憂愁に沈む孤独な男の心情ほうがぐっとくるのだ。でも最後にダンテスは愛を抱きしめながら去っていく。よかったよかった。
 ちびちび読み続けて半年あまり、先週全巻読了して、次に手に取ったのは「成城日記」。晩年の大岡昇平の身辺雑記のようなものだ。これがめっぽう面白い。年取って身体の自由がきかなくなっても、大岡氏の好奇心は縦横無尽。村八分、クラッシュ、ドアーズ、ジミ・ヘンドリックス、アバ、シーナ・イーストンなど洋楽ロックや中島みゆきYMOの音楽を楽しんでいて、坂本龍一がかつての自分を担当した編集者の息子であることを知り驚いたりしている。高野文子岡田史子の漫画に感動し、流行の記号論ゲーテルの不完全性定理に興味津々。世の中の事件や政治状況、世界情勢に対して鋭い見識を見せたかと思うと、身近なそば屋など飲食店や書店をめぐる日常をだらだらと書き記す。高齢で本が読めなくなったと言っているが、まあ、ふつうに考えれば大した読書量である。ジャンルを問わず濫読である。憧れる。

まだ、読みかけなのだが、心してゆっくりこの大作家の日常を味わって読みたいと思う。

実は大岡昇平の大岡家とわが大谷家は少々縁がある。大岡家の実家はもともと和歌山市の花街で茶屋を営んでおり、その近所に私の曾祖父の母親(曾祖父の父親とは離婚)がやはり茶屋を出していた。浮気性と伝えられるその女性が「大谷」姓で、跡継ぎがいなかったため「北条」姓だった私の祖母が養女に入って「大谷」家を継いだ。ちなみに祖母の夫、私の祖父は「中井」姓でこの人は、養子として「大谷」家に入った。

祖父母の長男である伯父は子どもの頃にその茶屋に遊びに行って、白粉の匂いをプンプンさせたそこで働いていた女衆にチヤホヤされたことを覚えていると聞いた。大岡昇平は、新聞記者で著述家でもあったその伯父に当時の自分の実家についても調べてほしいと依頼したが、すでに当時を知りながら生き残っている人たちも少なくて、大したことはわからなかったそうだ。

死ぬ前に1度、その花街跡を訪ねてみたいと思っている。