有楽町の元パンパンと敬虔なクリスチャン女性記者と父
年末になると思い出す父のエピソードがある。今年はある有名な報道カメラマンのセクハラ騒ぎもあって余計にそのエピソードを思うことになった。
4年前に84歳で死んだ父は、元朝日新聞社経済記者で、40代前半からは編集委員という肩書で自分が関心を持つテーマで署名記事を書く仕事をしていた。主に追っていたテーマは国鉄民営化や林業問題、エネルギー問題などだ。そんな本筋の記事以外にも、時折肩の力を抜いた世相を論じるコラム記事も書いていてけっこう本人も楽しみにしていたらしい。
僕が大学に入学した年、そんなコラム記事が今で言う「炎上」したことがあった。そのコラムタイトルは「売春観光に思う」。当時社会問題になっていた日本人の東南アジアでの買春ツアーを取り上げたもので、戦後の“パンパン”が米軍人相手の売春でドルを稼いで経済復興に貢献した過去に思いを馳せつつ、金持ちになった日本人がアジアにとどまらず世界各国で買春するようになった「一国の経済力の消長の反映」について戦中派としての感慨を記した文章だ。このコラム欄に関しては編集局長から「少々羽目を外してもよい」と言われていたそうで、冒頭近くからこんな一節を記している。
「ご婦人がいかに柳眉を逆立てて国際売春を糾弾しようとも、富んだ国と貧しい国があり、富んだ国に男が、貧しい国に女がいる限り、国際売春は決して絶えることはないだろう」
また、こんなことも書いている
「彼女ら(引用者注:パンパンのこと)は日本に貢献した。日本人は感謝のために彼女らが多数出没した東京・有楽町あたりに碑を建てるべきかもしれぬ」
コラム発表後、父のもとに読者からの投書が殺到した。そのほとんどが「柳眉を逆立て」たご婦人からのもので「買われる女たちの痛みをよそに経済原則を振り回す男の冷酷さ」を糾弾するものだった。読者だけでなく、社内の女性編集委員が父のコラムを厳しく批判する記事を書いた。曰く「おぞましき性侵略を『経済力の消長の反映』と正当化するのは強者の論理」だと。女性編集委員の糾弾の矛先は父の記事を面白がって読んだ朝日の男性記者たちにも向けられ、その余波で何人かの記者が「少々羽目を外し」交代で執筆していたそのコラム欄が廃止されてしまった。父は自分はともかく他のライターの仕事を奪ったことを後悔した。まじめな女性をからかうものではない。女性編集委員は敬虔なクリスチャンでもあったそうだ。
そんな騒ぎは晩秋のころで、あまり愉快な気分で年の瀬を迎えられなかった父のもとに、突然一通の現金書留が送られてきた。中に2万円が入っていた。しばらくして記者クラブの父のデスクの電話が鳴った。現金書留の送り主である女性だった。
「二万円を受け取っていただけたでしょうか」
「これ何ですか」
「お礼なんです。あなたは有楽町に立っていた私たちのことをほめてくださった。うれしく思います」
「いや、新聞記者は読者からお金をいただくわけには参りません。お返ししますから.....」
「でもその住所も、私の名前もウソでございます。私をお探しなさいますな。私には近く結婚する娘がいます。では、さようなら」
「ちょっと待ってください」
(がちゃんと電話を切られる)
父は2万円入りの現金書留を編集局長のところに持って行く。同期入社でもある編集局長はうなづきながら話を聞き「そのお金はもらっておこう」と自分のデスクの引き出しにしまいこんだ。父は有楽町に出て自腹で楽しい酒を飲んだ。その後、引き出しの2万円は新聞社主催の年末のチャリティー募金に匿名で寄付されたということだ。
ここで話が終わればほっこりとした冬の美談だが、まだ続きがある。
7年後、父は日本記者クラブ賞を受賞した。授賞式のスピーチで、かつて国際売春のコラム記事で同僚女性編集委員にきびしく筆誅をくらったことをとりあげ「私は国際売春の是非を論じたものでなく、放っておけばそうなるという人間のサガを指摘しただけなのです」といらんことを言ってしまった。
さらに知床原生林伐採問題や売上税(消費税)導入問題でも世論に逆らった論陣を張って反対意見が殺到したことを振り返り「つくづく『正義の味方、月光仮面のような勇ましい記事を一度は書いてみたい」などとますますいらん皮肉を言ってしまった。おそらく大阪人的なサービス精神と反骨心が入っていると思う(ちなみに知床露原生林問題で伐採賛成派の父は、やはり同僚編集委員で伐採反対運動にかかわっていた本多勝一氏にその著書の中で名指しで厳しく批判された)。父のスピーチ内容を知った女性編集委員はもちろん激高し、その結果、ある雑誌にこんな寄稿をした。
「『富める国の男が貧しい国の女を買いに行くのは経済法則だ』と同じ新聞で私に公然と反論を書いた経済部ベテラン記者に社内の男性たちは喝采を送り、彼はその後日本記者クラブ賞まで受賞するという出世ぶりなのだ。(中略)女たらしで有名な記者は論説委員になりTVで活躍しており、アフリカで女を買いまくった記者は週刊誌編集長になり、女には目のない元特派員は部長になり、特派員時代は女遊びでKCIAやKGBにマークされた記者もおり、政治家の同行記者団が大使館あっせんで赤線地帯に出入りしたり、『娼婦は素晴らしい。君たちエリート女などとは違う』と酒が入ると説教する社会部名文記者……」等々。
「経済部ベテラン記者」はもちろん父のことで「女たらしで有名な記者」は亡くなった筑紫哲也さんのことだ。この寄稿は他の週刊誌にも取り上げられ、個人名を特定されて朝日記者のエロっぷりを揶揄されてしまう。父は自分の不用意な発言でまたもや同僚にとばっちりがいってしまったことを後悔する羽目になった。以来、しばしば酒席で面白がって「国際売春記者」と父を呼ぶ人がいたという。故人の名誉のために言っておくと国際買春の経験は(たぶん)ない。「まじめなクリスチャンの女性を怒らせてはあかんよ」。ある晩、ビールでいい気持になって私にこう言った父の目の奥はやはり笑っていた。