読書について
夥しい書籍が──数百枚の重い粘土板が、文字どもの凄まじい呪の声と共にこの讒謗者の上に落ちかかり、彼は無慙にも圧死した。(中島敦『文字禍』)
何度、本なんかもう読むまいと思ったことか。
他人の思考経路に付き合ったり、法螺話に相づち打ったり、
読書歴とは、なにバカやってきたんだろう...という個人史だ。
ことし成人式を迎えた娘が彼女の新たな歴史を築こうとしているのを見守りながら、
気分がどうも落ち着かない。
9歳の頃、私の本棚にあった倉橋由美子のエッセイ集を10日くらいかけて読了した。
倉橋訳の「星の王子さま」でこの作者に関心を持つ様になったようだ。
意味わかってんだろうか? わかるわけがない。
おそらく達意の文章のリズムで読み切ったのだろう。
その後、中学生以降はアニメとマンガに没入していくが、
僕の本棚からしばしば三島由紀夫や村上春樹を持ち出しているし、
最近は青空文庫で昔の小説を読んでいるようである。
何しろ時間のフィルタを通した名作揃いで、おまけにタダだもんね。
普通の親は子どもの読書を喜ぶのだろう。が、私は全面的には喜べない。
新聞社などでも活字文化興隆をめざせ的なイベントをやっているが、どうなんだそれって?
活字文化衰退が読書人口減少に起因するというのは、データ的には間違っていて、
実は、日本の子どもは有史以来、もっとも本を読んでいるというのが現実でもある。
【参考】 出版学会(活字離れ)資料
・不読率が最も低いのは20代
・読書離れ」は高齢層に顕著
・「不読」の主役は、「若者」ではない
・電子書籍を含めると「不読率」は全年齢で急減している
というのが調査結果の要旨だ。
若者の言語能力の低下ということも言われている。
なるほど、そういうこともあるかもしれない。
しかし、読書も一つの体験に過ぎないわけだから、
常にポジティブな効果が生じるわけではない。
その思考様式が喜劇的なまでにスクエアな自称〝読書人〟は少なくないものだ。
そして出版不況の実体は、そうした自称〝読書人が増えた、
ということではないかと思う。
クリエイティブな才能の受け皿は時代によって変遷する。
20世紀前半までそれは出版文学界隈だったが、
後半は映像芸術やアニメーション、ファッションデザインなど産業芸術となり、
さらに21世紀にかけてゲームやプログラミングなどの情報技術に移行した。
出版社や文筆家、読書人の活字文化衰退を嘆く言説に触れると
「精神の墓場」という言葉が浮かんでくる。
神さまの祝福がいつもきみにあるといい
きみのねがいごとがすべて実現するといい
きみがすることがいつも誰かのためになればいい
星までとどく階段をつくればいい。
そして、一段一段のぼっていき
きみがいつまでも若ければいいのに
いつまでも若くあれ いつまでも若く
(ボブ・ディラン「Foever Young」拙訳)
成人式を迎えた娘に、私はこの曲を贈りたい。