プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

さくら嫌い。

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桜のしたに人あまたつどひ居ぬ

なにをして遊ぶならむ。

われも桜の木の下に立ちてみたれども

わが心はつめたくして

花びらの散りて落つるにも涙こぼるるのみ。

いとほしや

いま春の日まひるどき

あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。

萩原朔太郎『愛隣詩編』より「桜」)

ソメイヨシノは好きではない。より正確を期すると、ソメイヨシノの美しさに美しさ以外のものを見いだそうとするひとの心根が嫌いである。貧しい精神性を隠すメタファーほどくだらないものはない、と思う。花見酒なぞ、うまかった試しがない。「美しい花がある。花の美しさというものはない」という言葉があったが、物事の向こうに何かがあるという期待は、向こう側どころか目の前の物事にフォーカスを合わせることすら難しくする。貧しいものは貧しいまま見せれば良い。そうすると誰かがそこに美しさを見いだしてくれることもある。ごく稀にだが。

子供の頃、私にとって桜とは、八重桜であった。家の庭にその木があったからである。開花は4月下旬ころで、ソメイヨシノよりピンクがずっと濃く、小ぶりのさざんかくらいのぽってりした花が咲く。樹液がたくさん浸み出し、幹のあちこちで琥珀のように輝いていた。東京オリンピックの頃、建て売り住宅地として売り出された地域で、近所の家数軒にも同じ木があったから、当時、地元の植木屋が八重桜を勧めていたのかもしれない。現在、同じ場所に住んでいるが、我が家を含めて八重桜のある家はない。すでに樹齢を迎えてみな枯れてしまったようだ。あのユーモラスな桜は嫌いではなかった。

そういえば私が通っていた都立高校の校章はむらさきの花であった。白っぽい地味な野の花だが、古代には染料として珍重されていたようだ。校歌にもむらさきの花が歌い込まれていて、新古今だったかの詠み人知らずの歌をベースにした歌詞であった。高校の校歌に恋歌を引用するというのがおもしろいが、アレンジも曲の途中でピアノ低音部の弾むようなブレークが入り、リズムが変化するという校歌らしくない曲であった。校歌や校章になんて少しも愛着はないが、悪くない高校だったな、と今では思う。進学した大学の校章が桜だったので、余計そう思うのかもしれない。

※2007年に書いた日記の加筆修正。