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プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

あるロシア人女医の思い出

 

悲しみのマリア 上

悲しみのマリア 上

 
悲しみのマリア 下

悲しみのマリア 下

 

 

本日、ランチで9月に銀座でリニューアルオープンした「渋谷ロゴスキー本店」に行ってみた。ピロシキも、田舎風ボルシチも変わらぬ旨さだった。銀座に来ても店名から創業の地「渋谷」の文字を外さない心意気も素敵だと思う。

美味しいロシア料理を食べながら、思いを馳せたのはうちの近所にある病院の創立者・故武谷ピニロピ先生のことだ。この奇妙な名前の女医さんは、僕の小中学校時代、眼科の校医であった。ちょっとおっかない外人の婆さんという印象があるが、今となっては懐かしい人である。15歳で初めてメガネを作った時の検診もピニロピ先生だったと思う。80代まで現役で診療されていたようだ。病院は現在も地元住民で混み合っている。

このふたつのロシアに由来するスポットはいずれも敗戦の焼け跡から徒手空拳の女性たちによって生まれたという沿革が共通する。ロゴスキーの誕生とあゆみは、 渋谷ロゴスキー物語 | ロシア料理レストラン 渋谷ロゴスキー、が詳しい。

ピニロピ先生の来歴は上記Amazonリンク「悲しみのマリア 上・下」のテーマだが、ごく簡単に以下にまとめておく。この本は先ほど検索して見つけたのだが、昨年出たばかりのようだ。個人的にはNHK朝ドラにすればおもしろいのにと思う。それほど波瀾万丈な人生だが、中途半端にドラマチックに語ってもしょうがないのでここでは要点だけを述べる。

武谷ピニロピ先生は、ロシア革命後の亡命ロシア人(父親はバルチック艦隊勤務経験がある軍人)の家庭に生まれ、戦前に来日され少女時代を会津で暮らした。医学を志し上京。戦中に湯川秀樹の共同研究者だった理論物理学者の武谷三男(参照 武谷三男 - Wikipedia)と結婚。戦後、結核療養所などがあった清瀬に小さな診療所を設立した。一方、武谷三男氏は原水爆禁止運動に関わり、福島原発事故でよく知られるようになった現在の放射線防護体系の基本的な考え方を唱えた人でもある。

 

その後、診療所は産婦人科を含む総合病院となって、地域医療に大いに貢献した。この病院には産科もあり、僕の妹、甥(妹の子)、息子がそこで生まれた。医師は順天堂大学出身の方が多かったように思う。近年は病院が手狭になったためか、各診療科が近隣地域へ独立移転しており、現在はルーツである眼科と内科の病院になっているようだ。

そしてこの8月、ピニロピ先生が亡くなられた。1919年生まれと言うから、もうちょっとで100歳だったのに。惜しい。どうぞ安らかにお眠りください。
「本を読むまでもないが、もうちょっとピニロピ先生について知りたい」という方は、こちらをどうぞ  ↓

武谷ピニロピ物語/武谷ピニロピ サイバー記念館