Der Steppenwolf
その日は、いつもの日々が過ぎるように、過ぎ去った。私は自分流の単純小心な生活技術で一日を口説き落とし、じわじわと絞め殺した。数時間仕事をし、古い本をひっくりかえしてみ、二時間にわたって、老境に入る人間につきものの苦痛を味わった。
(ヘルマン・ヘッセ『荒野のおおかみ』 高橋健二訳より)
古い本をひっくりかえしていたら、このような一節にであってどきりとする。文庫本の奥付を見ると、昭和52年とあった。当時私は16歳。今、息子と同じ16歳くらいのオトコを見ると、なんて他愛がないのだろうと思うが、一方で彼らが携える闇雲な情熱のようなものがすっかり自分から消え去っていることに愕然とする。ところが16歳くらいのオンナを見ると、そこには未来のオバサンの光景が二重写しとなり、彼女らがそんな年齢で、そんなに年老いてしまった自分を心の底に抱える理由について考え、実はオバサンは開き直った少女なのだと思いつく。年を重ねることはたしかに痛みをともなうものだが、一方でまた、解けないと思い込んでいたパズルがいつのまにか解けていたという妙な達成感のようなものも味わうことができるようである。
ワイルドで行こう。