プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

カナリア殺人事件【新訳版】を読んでみた。

カナリア殺人事件【新訳版】 (創元推理文庫)

カナリア殺人事件【新訳版】 (創元推理文庫)

カナリア〟と呼ばれ、数々の浮き名を流す美人女優が自宅で殺され、交際していたことがある5人の男たちに容疑がかかるが、いずれも犯人逮捕の決め手に欠ける。そこで前作「ベンスン殺人事件」を見事解決に導いた名探偵ファイロ・ヴァンスが登場し、マーカム地方検事とのコンビで真犯人に迫っていく。

ホームズに対するワトソンのように、この小説はヴァン・ダインという作者と同名のパートナーが名探偵とともに行動し、その事件解決を物語としてまとめる….という体裁となっている。しかし、ワトソンとは異なり、ヴァン・ダインは作中でほとんど存在が消えている。むしろマーカム地方検事がワトソン役を果たしているといえよう。

1920年代の作品ということもあってか、事件解決までのストーリー展開は今となっては少々まどろっこしい。アガサ・クリスティの同時代の作品に比べてもストーリーテリングは巧みとは言えないだろう。しかもファイロ・ヴァンスが嫌みったらしいデイレッタンティズム男なので、よけいまどろっこしさが増す。しかし、それがこの作品の重要な味ともなっているので、一概に否定はできない。そこらへんが本作およびヴァン・ダイン作品の評価が分かれるところだろう。

容疑者のうちもっとも怪しいごろつきの陳述は不可思議で、ファイロ・ヴァンスは事件現場にいながらも犯行は行っていない…というかなり不自然な状況を示唆する。そんな彼が殺され、容疑者が4人となったところから、事件は急展開。最後は容疑者を招いたポーカーによる心理探偵法により犯人が明らかにされる。このシーンは江戸川乱歩の「心理試験」(1925)を思い出させる。「心理」が当時のミステリ界のトレンドだったのだろうか。作品の核となるアリバイのトリックはなかなか大時代的。正直言っていまとなっては大したことのないトリックだが、「カナリア」のイメージに重なり個人的には楽しく読めた。

この新訳はかなり読みやすい。おかげで旧訳に比べファイロ・ヴァンスがやや軽い男になっている印象がした。それがいいのか悪いのかわからないが、読みやすいことは確かだ。また、衒学的なファイロ・ヴァンス登場作品には欠かせない注釈も日本人読者への配慮が行き届いておりなかなか良い。

名作の誉れ高い「グリーン家殺人事件」「僧正殺人事件」に隠れがちな本作だが、ストーリーの明確さ、新訳の読みやすさもあり、ヴァン・ダイン初心者にはまず本作を勧めたい。