プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

アガサ・クリスティ『パディントン発4時50分』再々再読

 

パディントン発4時50分 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

パディントン発4時50分 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 

先週、僕が好きな『パディントン発4時50分』のテレビドラマが放映されていたので、それほど期待しないで見てみた。放映されたドラマは予想以上に酷いものだった。


この小説の名探偵はミス・マープル。しかしこの老婆は冒頭部と最後の解決部分にしか登場しない。その代わりルーシー・アイレスバロウという32歳の家政婦がマープルの分身のように動き、ストーリーの大きな鍵を握る。このルーシー嬢はオックスフォード大学で数学を専攻し首席で卒業したにもかかわらず、会社仕事より家事が好き…という理由で家政婦になった。掃除や料理、老人の世話まで完璧にこなすスーパー家政婦として高いギャラを取っている。当然ながら上流階級の間で引っ張りダコとなり、一つの家庭で3週間以上働かないという規定で多くのお屋敷を渡り歩いている。

原作の主人公と言っても差し支えないこのルーシー嬢をドラマでは元AKBの学芸会レベルの演技でまかなってしまった。しかもマープル役には、田舎の老婆ではなく、元警視庁で現在は危機管理のエキスパートという壮年バリバリ、しかも大仰な演技が持ち味の天海由希ってどういうこと? 事件の目撃者役の草笛光子にマープルやらせればいいじゃん。元AKBの演技力のなさに合わせて脚本もへなへな。このドラマを見て決して原作を判断してほしくない惨憺たる出来だった。

ガックリした僕は、口直しで原作を引っ張り出してきて再読した(リンク先は新訳で僕のは古い訳)。やっぱり面白い。魅力的なルーシー・アイレスバロウと殺人が起こっているのに彼女に言い寄る男たち…。この小説、実は特にトリックらしいトリックはないのだが、初めて読んだ人はこの言い寄る男たちを含めて誰が犯人なのだか、最後までわからないだろう。再読した僕はもちろんわかって読んだわけだが、それでも面白い。クリスティーのミステリーは、大衆小説として水準が高いからだ。そしてこの小説最大のミステリー(謎)は、最後の一行にある。それはルーシーが誰と結ばれたか?という読者への問いかけである。最後の一文による問いかけなので答は明示されない。僕の中では答えは出ているが、読む人によって正解は分かれるだろう。同好の士でそこら辺を議論するのも楽しい。