プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

男はつらいよ!

 

おかしな男 渥美清 (ちくま文庫)

おかしな男 渥美清 (ちくま文庫)

1961年の夏、小さな雑誌の編集長をしながらテレビやラジオに出ていたぼくはNHKのドラマで全国区の人気者になりつつあった渥美清と初めて会った。芝居や映画をよく観る勉強家であり、見巧者の彼と喜劇マニアのぼくは親しく話すようになる。誰からも愛された、映画「男はつらいよ」の“寅さん”になる前の若き日の姿を愛情こめて綴る。対談渥美清と僕たち(小沢昭一)も収録。

 

 今度の日曜日は娘の誕生日でちょうど20歳になる。本来の出産予定日は7月28日頃だったのだが、8月に入ってもまるで出てくる気配がなく、結局、帝王切開になってしまった。現在の女王様キャラはそのせいかもしれない。


なんせ自分にとって初めての子どもだ。午前中の手術で生まれるというので、その日は仕事を休み、朝刊と『安吾新日本風土記』の文庫本を持って朝早くから病院の待合室に詰めていた。待合室の長椅子でまず開いた朝刊の一面に掲載されていたのが渥美清さんの訃報だった。8月4日に亡くなっているので、丸二日ばかりその死は伏せられていたわけだ。

 

テレビドラマの「泣いてたまるか!」以来、僕は渥美さんが大好きで、映画館で寅さんを観ることはほとんどなかったけど、テレビで放映されるとできるだけ見るようにしていた。そうしているうちに僕は次第に一つの着想にとらわれるようになっていく。

 

その着想とは「寅さんはこの世の人ではないのではないか?」ということである。

そもそも前身のテレビシリーズ「男はつらいよ」の最終回で、寅次郎は奄美大島でハブに噛まれて死ぬ。あまりにあっけない主人公の死に視聴者からのクレームが殺到したことが映画化につながった。すなわち映画「男はつらいよ」は寅次郎の死から始まったともいえるのである。

 葛飾柴又の「とらや」にふらりと姿を現すのは、「フーテンの寅」の亡霊だ。ちょうどお盆に祖先の霊が帰ってきて、数日滞在した後、また冥界に戻っていく…その顛末を描いたのが映画「男はつらいよ」シリーズではないのか?

 

この着想(妄想)に特にコレ!という確証はないのだが、いくつかの傍証はある。たとえば…庶民の仏壇のお供え物である「団子」屋という設定。妹さくら夫婦とおいちゃん&おばちゃんの「とらや」の面々が、毎度不在の寅さんを思うシーンの故人の回想のようなしんみりした雰囲気。また、戻ってきた寅さんが問題を起こすと相談に行くのは決まって菩提寺の御前様(笠智衆)であること。毎回のマドンナへの恋愛感情に性の臭いが希薄で、最終的に成就することがないのも、寅さんが死人であれば十分納得できることだ。寅さんの名字である「車」が江戸浅草の〝非人〟頭が代々名乗った「車善七」からとられているということも想像力を掻き立てる。そう考えると寅さんによる名調子のテキ屋の口上も、何かご詠歌のように響いてくるから不思議だ(俺だけ?)。

 

 末期の寅さん映画では、寅さんより甥の満男(吉岡秀隆)と後藤久美子の関係がクローズアップされ、寅さんが一歩引いて、満男への恋のアドバイザーとなるシーンが多くなるが、あたかも満男の恋の成就によって自分が成仏しようとするために尽力しているようにも思われる。映画では若い二人を結婚させる脚本が書かれていたらしいが、渥美清の死去でその第49作はついに作られずに終わった。

 

渥美清没後20年経って、娘も成人し、いつのまにか自分も「一歩引く」年齢に差し掛かってきた。昔のサラリーマンだったらそろそろ定年なのだが、今はそうもいっていられない。寅さん=渥美清という虚構に殉じた男がくれた数々のヒントをもとに、この命果つるところまで、笑いながら生きていきたい。

男はつらいよ