タイプについて。
個人というものを出発点に考えていくと、我々は知らず知らずのうちにひとつのタイプを創りあげてしまうことになる。一方タイプというところから考えていくと今度は何も創りだせない──まったく何ひとつ。
(スコット・フィッツジェラルド『リッチ・ボーイ(金持ちの青年)』村上春樹訳)
近頃「好きな女性のタイプは?」と聞かれることも滅多になくなった。
放言だが、女の人はタイプを創り上げて、それに感動したり、
失望したりするのが好きだなあとよく思う。
明らかにトンデモ科学である血液型性格判断みたいなものも
そうした志向にうまく合致して〝一般化〟を果たしたのだろう。
私は、特定の個人からあまりタイプというものを意識することはない。
むしろ、いつまでたってもタイプというものを理解できないことが
私の人間理解上の大きな弱みになっているような気がしている。
実際、私がこれまで好きになった女性は
とてもタイプなどでくくれない多様性があり、常に一期一会であった。
その出会いから何かを創り出せたかどうかは、また別問題として。