プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

学問のすゝめ

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昨年の今頃は自分の子どもたちがダブル受験でアタフタしていたが、今年は知り合いの子どもたちの受験の有り様を穏やかな気持ちで眺めている。それぞれの進路を模索する若い人たちの未来が、受験のみで決まるわけではないことは半世紀生きていればわかる。しかし、あるベクトルに向けて歩き出す若い人たちの軽やかな足音を聞くのはやはり心地よいものだ。

 

新しく高校生や大学生になる若い人々に私が言いたいことは、ただ一言「よく学べ」だけだ。もちろん、学び方は人それぞれ。授業に真面目に出ろ、ということではない。胸にわき上がる小さな疑問を虱潰しにしていく作業は、やはり10代後半~20代前半の仕事であろう。そうした「学び」をどれだけやったかで、その後の生きる術というか、人生の趣や見える景色はかなり異なってくると思う。

また、いろいろな人の前で喋る機会をできるだけ多く持った方がいいだろう。最近の大学のカリキュラムを見ると、専攻分野や文系・理系を問わず、ディベートプレゼンテーション能力重視の方向に向かっている。わざわざ1年次の入門科目にそのような演習を設定している例も珍しくない。ただし、そうした口頭発表・討論能力の錬磨を図る授業は、実際の運用および教員、学生のポテンシャルに左右される。やればいいと言うものでもないが、やらないよりはましだろう。3年・4年のゼミも、成立しやすくなる。というか、ゼミが成立しにくくなっているため、窮余の策としてディベートプレゼンテーションの訓練を取り入れているという言い方が正しいかもしれない。私自身 と言えば、自分は「できる」と根拠なく思い込んでいたため、そうしたプレゼンテーションの訓練を学生時代にきちんとやっていなかったばかりか、実は才能もイマイチだったので、社会人になってからかなり苦労した。今も苦労している。 
演説とは英語にて『スピイチ』と云ひ、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思ふ所を人に伝るの法なり(福澤諭吉『学問のすゝめ』十二編) 
  福澤がわざわざこんな説明をしなければならなかったのは、それまで日本に演説という概念と言葉がなかったから。ご立派な武士道の世界では、上役に「へへ〜」「御意」などと言えば全て丸く収まったのだろう。あるいは印籠を見せて黙らせるとか。それはともかく「演説」という訳語を編み出したのは、「身分制度は親の仇」と言った下級藩士出身の福沢諭吉その人である。「演舌」という誤記があり、僕は高校生の頃、英語テストの訳文にこれを使ってしまったことがあって、教師に「字は間違っているけど、なるほど!って感じの誤字だから許す」と笑って許してもらったことがあった。しかし、これはあながち誤記ではなかったのである。福沢諭吉は英語のSpeechに該当する訳語を決めるにあたって、出身藩である旧中津藩で藩士が藩庁に対して非公式に意思を表明するための「演舌書」という書面のことを思い出した。最初はそのまま「演舌」でいこうと考えた福澤だが、「舌」という文字がいかにも下品。そこで「説」という字をあてた。ちなみにディベート→「討論」、コンペティション→「競争」、コピーライト→「版権」も福澤の訳語だ。文学での言文一運動だけでなく、各分野の近代化は言葉の創造プロセスとともにやってくる。それからすでに150年以上経ているわけだが、今、逆に福沢が創造した言葉がむしろ英語返りしているのは、こうした概念を結局近代の日本人がとらえ損なっていたことが明らかとなり、リセット=再起動しようという意志のあらわれかもしれない。

もはや今年高校や大学に入った若い人たちに後事を託すしかないだろう。  現代語訳 学問のすすめ (岩波現代文庫)