プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

我が心のローリング・ストーンズ。

 

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おれは激しい嵐と稲光の中で生まれた。

叩き付ける雨の中でママに向かって泣きわめいた。

でも、んなことはどうでもいい。屁みたいな話。

うん、もう気にしちゃいないさ。

ジャンピング・ジャック・フラッシュ、屁っこき野郎。

ローリング・ストーンズ『Jumping Jack Flash』拙訳)

 

 先日の報道でミック・ジャガーの息子が「ストーンズよりキンクスが好き」と言ったのには笑った。一般論として息子は父親を絶賛しにくいものであるし、同じロートルバンドでも、英国的な文学性や市民感覚を含むキンクスの音楽の方が、世代を超えたリスナーが自己投影しやすいということなのかなとも思った。

 今や金太郎飴的な伝統芸能楽団と化したストーンズだが、その長い歴史の中で、何度か時代に向けて激しい閃光を放った時期があった。

 もっともインパクトが大きかったのは、1968~1970年頃だろう。アルバム「ベガーズ・バンケット」「レット・イット・ブリード」、そしてシングル「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」。初代ギタリストのブライアン・ジョーンズ脱退というアクシデントと混乱の最中に形となった楽曲は、音楽を超えたただならぬ存在感を秘めていた。ストーンズに限らずこの時代のロック音楽にはそれ以前ともそれ以後とも違う手触りと不思議な輝き(あるいは闇)がある。「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」に連なるストーンズの諸作は、そうした作品群と時代精神の道標として、ひときわ高く屹立しているように思える。

 一般論としては、ミック・テイラー加入後のスタジオ盤が、ローリングストーンズというグループのロックバンドとしての全盛期だ。僕もこの時期のアルバムをもっとも良く聞いている。1972~1973年はブートレグで聴けるライブがこれまた凄まじい。すっかりバンドに馴染んだテイラーの甘さのあるブルーズ風味のギターが、雑駁でモノクロームストーンズサウンドの中で、極彩色をまとった細身の毒蛇のごとくのたうっている。テイラーとキース・リチャードとの緊張関係が楽曲に悪魔的なサムシングをもたらしていたこの時期がライブバンドとしてのピークだと思われる。特に1973年ブリュッセル公演の「ミッドナイト・ランブラー」の演奏は圧巻の一言。基本的に海賊盤は買わない僕だが、この時期のストーンズに関しては「ブリュッセル・アフェア」「ウェルカム・トゥ・ニューヨーク」などの名盤ブートレグにたまらず手を出した。このうち「ブリュッセル・アフェア」は、数年前に公式発売され、堂々とお天道様の下でクリアな音質で聞けるようになったことが喜ばしい。


 ミック・テイラーは、1990年代初頭に来日し原宿ルイードでライブを行って、僕はその頃やっていたストーンズのコピーバンド仲間と見に行った。キーボードはジェフ・ベックの相棒だったマックス・ミドルトン。まず、テイラーの体型がミドルトンと同じになっていたことに衝撃を受けた。渋いブルース曲やファンキーなスワンプロックなどとともにテイラーは「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」を自らの低音ヴォーカルで歌った。ファンサービスである。なんだかなあ、と思いつつしみじみしちゃったことが懐かしい。しかし流麗なスライドギターはさすがであった。海賊盤で聞いたあの音が目の前で紡ぎ出されていく。今思い返しても、アレは夢だったのか…とぼんやりしてしまう。

屁みたいなストーンズ話はこれでおしまい。


The Rolling Stones ~ Jumpin' Jack Flash. (1968)