プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

「朝露」と「渚にて」

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冬至が近いというのに、季節外れの朝露の話である。

 

先日、カースティ・マッコールの命日に「They Don’t Know」が自分にとって重要な曲であることを書いた( 追憶のカースティ・マッコール - プログレッシブな日々  )が、同じぐらい自分にとって大きな意味を持つ楽曲の一つに「Morning Dew」がある。僕がこの曲を初めて知ったのは第1期ジェフ・ベック・グループのバージョンを通してだった。ロッド・スチュワートの熱唱が心の深い部分にずしんと響いた。


Jeff Beck - Morning Dew


またこの曲は、グレイトフル・デッドのライブ名演(1977年)もよく知られている。まさにデッドらしいそちらも大いに感動させられる素晴らしいパフォーマンスだ。JBGは一気に盛り上げる曲展開だが、こちらは10分以上かけてじわじわと感動の波が押し寄せる。なぜか公式アルバムに、この秀逸なライブバージョンは収録されていないが、今やYouTubeで容易に公認映像を見ることができる。
Grateful Dead - Morning Dew - 04/27/77 - Capitol Theatre (OFFICIAL)

 

もともとこの「Morning Dew」はボニー・ドブソンというカナダの女性フォーク歌手がオリジナルで、作者として彼女と米SSWのティム・ローズ(補作詞を担当)二人のクレジットがある。歌詞を読むと、簡単な英語ながらその意味はかなり幻想的というか、象徴的で、一筋縄ではいかない。アーティストとバージョンによって歌詞にかなり異同があるので、もっとも核心的な部分を以下に拙訳とともに掲出する。

 

「Morning Dew

Walk me out in the morning dew my honey,

Walk me out in the morning dew today.

I can't walk you out in the morning dew my honey,

I can't walk you out in the morning dew today.

 

I thought I heard a baby cry this morning,

I thought I heard a baby cry this today.

You didn't hear no baby cry this morning,

You didn't hear no baby cry today.

 

Where have all the people gone my honey,

Where have all the people gone today.

There's no need for you to be worrying about all those people,

You never see those people anyway.

 

(和訳)

ねえあなた わたしを朝露の中に連れ出して

わたしを朝露の中に連れ出して 今日という日に

いや 僕は君を 連れ出せそうにない

今日 僕は君を 連れ出せそうにない 

 

今朝わたし 赤子の泣き声を聞いたわ

わたし 赤子の泣き声を聞いたわ 今日 
いや、今朝、君に赤子の泣き声は聞こえない

今日という日、君に赤子の泣き声は聞こえるわけがない

 

ねえあなた みんな何処に行ってしまったの?

今日はみんな、何処に行ってしまったの?

みんなのことを心配する必要はなくなった
だって もうみんな いなくなってしまったのだから

 

 歌詞全体は「2センテンス+2センテンス」の恋人同士と思われる問答というシンプルな構成だ。いわゆるサビもない同じメロディーの繰り返し。上の訳文は、前半は女性、後半は男性と解釈している。後述するこの歌詞の由来(インスパイア元)を踏まえても、たぶんこの解釈は間違っていないだろうと思われる。

女性が発する願いや問いに、男性がことごとく不吉な答を返す。パッと読んだだけでは解釈は難しいが、朝露の比喩はわが国の和歌でもはかない命の例えで使われているので、僕は死の匂いを嗅いだ。

そして何年か前、ようやくこの歌詞が作られた背景を知った。東西冷戦が始深刻化した1957年に発表されたネヴィル・シュートによるSF小説渚にて〈On the Beach〉』とその映画化作品が、この曲のインスパイア元であることがわかったのだ。この作品は、近未来である1964年、第三次世界大戦で多数の水爆が投下された北半球が放射能汚染で壊滅し、やがて放射能が広がっていく南半球オーストラリアの人々が被爆していく(死に向かう)様を捉えた物語で、大きな枠組みとしてはラブストーリーでもある。つまりここで描かれている情景は、核爆弾が使われたあとの誰も生きてはいない世界である。まさに想像通りだった。

渚にて【新版】 人類最後の日 (創元SF文庫)

 

 ちなみに、ジェフ・ベック・グループのバージョンは、2段目の歌詞にある赤子(baby)を、なぜか若者(young man)に変えて歌っている。ロッド・スチュワートは、この曲に込められた悲劇性を一気に畳みかけるような、切迫感あふれる、しかししっかりコントロールされた素晴らしいヴォーカルを聴かせる。それに呼応(というか対抗)するベックのギター、背後から饒舌に盛り上げるロン・ウッドのベース、いずれもロック史に残したい名演だと思う。
グレイトフル・デッドのバージョンはさらに歌詞を付け加えられており、エンディングの「I guess it doesn't matter anyway」というリフレインが印象的だ。


今やYouTubeで作者であるボニー・ドブソンやティム・ローズによるバージョンも聞ける。
ボニーのバージョンは、淡々とした歌声が死の世界から無人となった現世への問いかけのように響く。リンク先動画は後年のリメイクバージョンだ。


bonnie dobson - morning dew



一方、ティムのバージョンを聴くと、これがジェフ・ベック・グループのアレンジの原型であることもわかる。確かティムはジェフのお気に入り歌手の一人だったと思う。


Tim Rose - Morning Dew



どのバージョンもアプローチは異なるが、同じぐらいの強度で私の心に突き刺さってくる。演奏や歌のクオリティを越えて、この「Morning Dew」という曲自体が自分に強く訴えかけてくるように思えてならない。自己分析的なことを言えば、私が常に心のどこかで感じている破滅の予感とこの曲が共鳴しているんだろう。いつまでも消えない朝露のように、歌詞の意味を越えて。