プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

志村けんの死が意外となんだかボディーブロー

f:id:indoorffm:20200331182503j:plain

 

志村けん(敬称略)の死はある程度予期していたので、特に意外ではなかった。
新型コロナウイルスによる肺炎で入院し、人工呼吸器を付けられている…と聞いた時点で死ぬ確立は高いなと思った。ヘビースモーカーだったし(四年前に肺炎をきっかけにやめたらしい)、大酒飲みなので肝臓や血圧も怪しい。

しかし、まずネットニュースで訃報に接して重いボディブローを喰らったようなショックを感じた。おかげでその日にやろうとしていた仕事の7割程度しか捗らなかった(言い訳ではない...と思う)。

一言で言えば、かつて世話になった親族や仕事の同僚が急にこの世から消えたような喪失感を感じた。最近、志村が出演するような番組は滅多に見ることはなかったし、深夜にたまに目にした彼が演じる下品なおじさんにも正直飽きていたのに。訃報と共に今まで忘れていたヘンなおじさんが幼き日の思い出と共に急激にクローズアップされた。ドリフの番組は今の時代では捉えにくい子どもたちの共通言語みたいなものであったので、好むと好まざるにかかわらず、どこかわれわれ世代の血肉となってしまっている。

 

さらに言えば僕はもともとドリフターズにおける志村の前任者・荒井注のファンであり、「八時ダヨ!全員集合」で荒井の後釜としていかにも若僧然とした志村が登場してガッカリしたことを覚えている。当時のドリフのスターと言えば加藤茶だったが、やさぐれてちょっと斜に構えた荒井の「なんだばかやろう!」と呟く芸が大好きだったのだ。その荒井・志村交代劇の放送日が訃報が伝えられた3月30日(1974年)と知り、またショックを受けた。単なる偶然だが、めまいがした。

 

僕が志村の凄さに圧倒されたのは加藤茶との「ヒゲダンス」だった。ファンキーなBGMをバックにした無言コント。お腹がよじれるほど笑わせてもらった。動きとリズムだけでこれだけ面白いということが新鮮だった。すでに好きだったロック音楽への没入の速度を一層速めた要因になった。「東村山音頭」でのジェームス・ブラウンのパロディも面白かった。ああいう説明する必要のない馬鹿馬鹿しさは大好きだ。

しかしその後、僕は「ひょうきん族」などのニューウェーブ勢の笑いを好むようになった。よりパンキッシュな話術のリズムが当時の自分の感性にフィットしたし、やがてドリフがすっかりオールドウェーブに見えるようになっていた。

その後、特に深くドリフや志村けんに傾倒することはなかった。しかしたまに見かける志村に「やっぱりこの人さすがだな」と思う事はしばしばあった。バカ殿やヘンなおじさんの演じる彼の芸の「型」は、正直、下手な伝統芸能演者よりよっぽど洗練されていると思った。しかしその中身はあくまで下品でバカっぽい。そのことに全力投球したのが志村の芸なのだろう。そのベースにはバスター・キートンがあり、R&B音楽があるのだが、志村自身がそれを誇ることはなかった。出てくものはおっぱいであり、ちんちんである。

故人のご冥福を心からお祈りいたします。