プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

「全裸監督」8月のファンタジー

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8月の個人的ハイライトといえば、やはりNetflix「全裸監督」の公開だろう。これは実に良くできたドラマで、十分な資金と時間をかけて、そして何よりスポンサーや世間への過度な忖度さえなければ、日本でもこれだけのレベルのドラマを製作できるのだと、あらためて感じ入った。村西とおる役の山田孝之をはじめ、満島真之介玉山鉄二柄本時生石橋凌リリー・フランキーといったキャスティングが抜群。黒木香を演じた森田望智さんは、それほど顔が似ているわけでもないのに、ドラマが進むにつれて黒木香にしか見えなくなってくる。恐るべき新人だ。その黒木香の母親役の小雪と、歌舞伎町のヤクザ役の國村隼が、それぞれ別の理由でものすごく恐い。恐すぎる。夏の怪談を見た気分だ。もちろん褒め言葉です。

それとあの時代の歌舞伎町をセットで再現した制作陣に脱帽だ。こればかりはCGでごまかすわけにはいかないだろう。


玄人界隈ではほぼ絶賛の声が満ちあふれている「全裸監督」だが、このドラマの存在自体に疑義を呈する向きもある。

 

まず、アダルトビデオ業界は性差別や搾取など、イリーガルな要素がつきまとう世界だということである。前科7犯でもある村西とおるをヒーローとして描いていいのか?というポリティカル・コレクトネス的な話である。しかし、こういう人たちに対しては実際に見てみろよ、というしかない。

「全裸監督」では、主人公村西とおる監督をヒーローとして描いているわけではない。彼独自の常人離れした人間性と周囲との関係のなかで生じてくるイリーガルな問題は作品中でしっかり刻まれている。しかしそれはストーリーのなかに溶かし込まれ、スピーディーに流れていく。結果、村西は現実の村西以上のフィクションとしての完成度が高い村西になっている。これは脚本、演出、そして役者たちの演技力の賜物だろう。そうこの作品は決して実録物ではなく、実在人物をモデルとしたコンセプチュアルなフィクションである。アダルトビデオ業界を描くにあたっての社会的なコンセンサスについて十分に考慮された実によくできたエンターテインメント作品なのだ。
しかしながら、実際に「全裸監督」を見ても「いかがなものか?」という人もいるかもしれない。そういう人は「シン・ゴジラ」みたいな子供だましフィクションでも見ていただくしかないだろう。

 

もう一つ、本作品が「黒木香」本人の許諾を得ないまま制作されたことを批難する向きもある。たしかに同意はあるに越したことはない。しかし私は、本作品は「現在の黒木香」への十分な配慮がされた作品だと感じられた。作中ではその本名はもちろん、出自や家族関係などが改変された完全なフィクションになっている。フィクションとしての「黒木香」へのこだわり、そして黒木への愛に満ちた脚本と演出、共演者の絡み方に私はとても感動した。黒木本人はここらへんをどう感じるだろう?

15年ほど前、黒木香は雑誌記事などがプライバシーおよび肖像権の侵害に当たるとして、出版社などを相手に民事訴訟を起こしている。そのうち数社の案件で黒木の訴えが認められた。引退後の消息・プライバシー侵害に関しては姉や職場といった本人以外への実害があり、その点が裁判官に認められた形だった。では『全裸監督』は黒木の意に染まぬ、プライベートでの実害を伴う映像化だったのか?

そもそも『全裸監督』は、2016年に出版されている『全裸監督 村西とおる伝』(太田出版)という書籍からの映画化であり、黒木の実像がより詳しく描かれたこの原作を本人が訴えたという話は聞かない。また、引退後の黒木香についてインタビューを交えて描いた井田真木子『フォーカスな人たち』(新潮文庫)では、本人だけでなく、村西や家族、さらに黒木が通っていた女子学院高校の教師にまで詳しい話を聞いているが、この本に対して黒木がクレームを入れたということはない。家族や本人に関するかなり際どいプライベートなエピソードが語られているにも関わらずである。
『全裸監督』という映像作品に埋め込まれた現在の黒木香に対する配慮(及び愛)を読み取らず、第三者が勝手に黒木香の気持ちを忖度して、正義感を訴えるご意見はいかがなものか、と思うのだ。


 ドラマ自体が素晴らしいのはもちろんだが、音楽も実にいい。オリジナルのオープニング&エンディングテーマだけでなく、劇伴の選曲センスも素敵というしかない。音楽担当の岩崎太整という方は、山田孝之が主演していた傑作テレビドラマ「dele」の音楽も担当していたと知って納得した。この人のセンスは好きだ。Spotifyでは使用曲のプレイリストが出来ていた。

open.spotify.com


このリストの中で特に印象的だったのは、第7話で使われたクラウデッド・ハウス「Don't Dream It's Over」だ。懲役370年の刑でハワイの刑務所に服役していた村西とおるが、スタッフや黒木香の尽力で釈放され、娑婆の空気を吸った瞬間にギターのイントロが流れる。あの時代の空気を嗅いだ気がした。汚泥と金粉と汗と狂気にまみれたその臭いを知っている人にとってのファンタジーがここにはある。

「全裸監督」、第2シーズンが始まる前にもう一度通しで見返そうと思っている。

 

www.netflix.com

 

 

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今週のお題「残暑を乗り切る」