プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

新編集で文庫化された坂口安吾「不良少年とキリスト」を読んでみた。

不良少年とキリスト (新潮文庫)

不良少年とキリスト (新潮文庫)

 

新潮社からはもともと「不良少年とキリスト」という戦後すぐに書かれたエッセイを収録した単行本が発刊されており、その中の数編は新潮文庫の「堕落論」に収録されている。本書はその重複分をのぞいた作品に、2018年に発掘された掌編小説『復員』、および1946年に行われた織田作之助太宰治平野謙らとの座談会2編を新たにくわえて再編集された文庫である。主な作品はほかの文庫本や選集で既読だが、書評サイトからの献本でいただいたので、あらためて読んでみた。

 

『復員』は文庫初収録の2ページに満たない逸品。終戦時の絶望のカタチが皮肉なユーモアに包まれながらダイレクトに描写される。

『二合五勺に関する愛国的考察』『詐欺の性格』『ヤミ論語』など、戦後間もなくの混乱した世情を反映したエッセイは現代に生きる私たちには感覚的にわかりにくい点もあるが、歴史的に貴重なエッセイと言えるかもしれない。時折発せられる警句的な台詞にもどきりとさせられる。

『座談会 現代小説を語る』(坂口安吾太宰治織田作之助平野謙)と『座談会 歓楽極まりて哀情多し』(坂口安吾太宰治織田作之助)は、いずれもヨッパライの言いたい放題である。彼ら戦後堕落派が正統な文学とされた志賀直哉一派とどのように切り結んでいたかが、あからさまに放言されている。内容は薄いが、意気軒昂な堕落派の息吹が楽しい。

そして最後に、その座談会の出席者である織田作之助太宰治への哀切と行き場のない怒りが込められた追悼文である『大阪の反逆――織田作之助の死』『不良少年とキリスト【追悼 太宰治】』で締めくくられる。一冊の本として、うまい構成だ。

後者は自身の歯痛の話題から始まって、べらんめえ口調で太宰治をベースとした作家論・文学論をカマし、さらに原子力をめぐる文明論へと怒りにまかせて力尽くで論を発展させる。「学問は、限度の発見だ。私は、そのために戦う」という最後の一文は、福島第一原発事故を経たわれわれ現代人にもずしりと響く。

冥界から安吾を呼び出した荻野アンナさんによる解説も楽しい。