プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

『風林火山』のページをめくりながら、亡くなった橋本治のことを思った

風林火山 (新潮文庫)追悼総特集 橋本治: 橋本治とは何だったのか? (文藝別冊)

 

  掃除をしていたら本棚から井上靖風林火山」が落ちてきた。掃除の手を止め、ぱらぱらとめくってみる。大好きな小説である。しかし、特に時代小説、という感じを受けずに読んでいる。武田信玄山本勘助、そして由布姫の、共犯関係のような、三角関係のような微妙さが何とも言えず良い。文庫版解説を吉田健一が書いていて、これも実に良い。

この小説が発表された当時、一般に余り注意を惹かなかったのは、それが『小説新潮』のような、面白さで読ませるのが目的の雑誌に連載された為でもあると考えられる。小説というものに就いてどんなことが言われていても、素朴に面白いものは文学として扱われないがの実情であって、映画までが芸術になった今日、小説が面白くてもよさそうなものであるが、それがまだ常識になるところまでいっていないのは、一つには、面白くては頭を使わないからという理由もあるに違いない。頭を使わないから高級ではなくて、従って文学ではないのである。下手な小説ならば、確かに頭を使う。実は、使ってみたところで始まらないのであるが、読者はそれで少しは頭がよくなった気がするのかもしれない。
井上靖風林火山新潮文庫版解説 吉田健一

 これは昭和33年に書かれた文章だが、読者に頭を使わせることで得意になっている筆者とそこに劣等感を抱えながらぶら下がる読者群は、だいぶ減ったとはいえまだ健在。なので、吉田氏の辛辣な文章はほとんど半世紀以上のタイムラグを感じさせない。たとえば今年1月に亡くなった橋本治などは、こうした文学界の見えざる差別構造の中で闘ってきた文学者と言えるんじゃないかな。若き橋本治山田風太郎有吉佐和子山崎豊子について書いた文章は私はこの闘いの記録のように思える。10代だった僕には橋本が何と闘っているのか良くわからなかったけど、今なら良くわかる。そして橋本の文章はこれまでの日本文学のどの作品よりも読者に「頭を使わせる」逆説的なパワーを湛えていた。こんな逆説を一人で実行できる文学者は夏目漱石ぐらいだろう。

 大河ドラマ風林火山』の放映直前に武田信玄役の市川亀治郎(現・猿之助)に話を聞く機会を得た。おそらくテレビドラマには初出演だったはずだが、そこには気負いはなく、みずからの伝統芸能の鍛錬がどのようなジャンルででも通用するはずであることを淡々と話した。さすが澤瀉屋 と感心しながら,僕は橋本治のことを考えていた。杉並のアイスクリーム屋の息子でしかない彼が、文芸・評論の幅広いジャンルで類を見ない業績を残し、70年代以降の文筆業界に風林火山を巻き起こした営為を思う。様々な喜びとともに塗炭の苦しみに満ちていたであろうその生涯を思う。一人で信玄も、勘助も、さらには由布姫も務めちゃったような激烈な人生だったと思う。
 目の前が霞むのはどうしようもない。