プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

「二十歳の原点」の高野悦子さん(と村上春樹)が今年70歳になったことに気付く

二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)

 

ふと、「二十歳の原点」の高野悦子さんが今年70歳になったことに気付く。

1969年に20歳で(おそらく)鉄道自殺をした立命館大学生・高野悦子さんの日記をまとめた二十歳の原点」。いわゆる政治の季節における煩悶と挫折、そして自死への道のりを未熟ささえ魅力となる清冽な筆致で記した女子学生の日記。二十歳の原点・ノート」「二十歳の原点・序章」との三部作として発表され、当時、大ベストセラーになり、映画化もされた。

僕の年齢以上だと10代後半で通過儀礼のように読む本だった。10代の僕も貪り読んでもはやこの世にいない高野悦子さんに心のいくばくかを奪われた。

いまでも新潮文庫版として流通しているし、新装版の単行本も出ている。現在の読者層とこの本の読まれ方はどうなのだろう。Amazonのレビューを見てみると、ほとんど僕より年上の人たちによって懐古調で書かれており、あまり参考にならない。ウチの子どもたちも読んでいないが、勧めて読ませるようなものでもないだろう。だいたい娘などもうとっくに20歳を過ぎてしまった。

 

高野悦子は1949年の生まれなので、生きていれば、今年70歳になる。同じ年に生まれたのが村上春樹だ(どちらも1月生まれ)。高野悦子は栃木県から京都の大学へ、村上春樹兵庫県から東京の大学へ、二人の人生は東海道でクロスした。村上作品に登場するある種の女性に高野悦子の影を読み取る読者は少なくないと思う。『風の歌を聴け』の大学の図書館で知り合った仏文科の学生とか、『羊をめぐる冒険』の誰とでも寝る女の子とか、『ノルウエィの森』の直子とか、主人公の僕と結ばれながら死を選ぶ女性たちだ(誰とでも寝る女の子は事故死だが)。あるいは『海辺のカフカ』の佐伯さんは死を選ばなかった高野悦子かもしれない(そのかわり恋人を学生運動で亡くした)。

日記の最後に題名がない詩(下記)が記されていて、この詩が自死を暗示するものと読まれた。今読むと彼女が死を選んだのは、政治運動の挫折が主原因ではなく、時代の雰囲気と男女関係の裂け目に嵌ってしまったという印象を持つ。若い頃は逆の印象だったのだが。

旅に出よう

テントとシュラフの入ったザックをしょい

ポケットには1箱の煙草と笛をもち

旅に出よう 

 

出発の日は雨がよい

霧のようにやわらかい春の雨の日がよい

萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら

 

そして富士の山にあるという

原始林の中にゆこう

ゆっくりとあせることなく 

 

大きな杉の古木にきたら 一層暗いその根本に腰をおろして休もう

そして独占の機械工場で作られた1箱の煙草を取り出して

暗い古樹の下で1本の煙草を喫おう 

 

近代社会の臭いのする その煙を 古木よ おまえは何と感じるか

 

原始林の中にあるという湖をさがそう

そしてその岸辺にたたずんで

1本の煙草を喫おう

煙をすべて吐き出して

ザックのかたわらで静かに休もう

原始林を暗やみが包みこむ頃になったら

湖に小舟をうかべよう 

 

衣服を脱ぎすて

すべらかな肌をやみにつつみ

左手に笛をもって

湖の水面を暗やみの中に漂いながら

笛をふこう 

 

小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中

中天より涼風を肌に流させながら

静かに眠ろう

 

そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう

 

 

ちなみに映画化された「二十歳の原点」のサウンドトラックを担当したのが若き日の四人囃子だ。サントラ盤には「四人囃子から高野悦子さん江」というメッセージソング(?)が収録されており、短いながらもこれがなかなか良い曲だった。メンバーはまだ高校卒業して間もない頃だと思うが、随分成熟したサウンドで驚かされる。以前はネットに音源がアップされていたのだが、既に削除されているようだ。Amazonの下記ページで30秒だけ試聴できる(他の収録曲も)。

 

二十歳の原点(+2)(紙ジャケット仕様)

二十歳の原点(+2)(紙ジャケット仕様)