プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

梅原猛『海人と天皇 ~日本とは何か~』再読

 

海人と天皇〈上〉―日本とは何か (新潮文庫)

 先日亡くなった梅原猛は、イマジネーション豊かな古代史への視線で歴史のタブーに挑んできた。聖徳太子柿本人麻呂の怨霊を古代史に持ち込んだその力業は歴史学的には問題が多いのだが、古代史の文脈にそれまでになかった視点を提供した偉業には違いない。『海人と天皇』は、今日に続く象徴天皇制というテーマに切り込んだ梅原古代史の総決算的な著作である。昔、図書館で借りて読んだが、彼の訃報の直後にAmazonでポチって古本を取り寄せた。

 

 梅原によれば、象徴天皇制律令国家の成立にはじまる。本来、律令は皇帝が中央集権的独裁権力をふるうための中国(隋・唐)の制度である。平安時代摂関政治院政による天皇の名目化は、律令制の乱れの結果と語られてきた。しかし、梅原はそれは違うと考える。日本の律令制は中国の制度を忠実に移入したのではなく、天皇権力を骨抜きにする改変が加えられていた。そしてそこから日本的な権力分散の制度の仕組みがスタートしたと梅原は考える。仕組みの設計者は女帝の時代の演出者・藤原不比等。本書では不比等の死後まで及ぶ六人の女帝それぞれの役割と背景を検証し、不比等の“娘”と記録に残る聖武帝の母・宮子が、実は紀州の海人の娘だったという道成寺に伝わる伝説に基づいた大胆な仮説によって、その数奇な生涯をあぶりだしていく。

  宮子の死後には、不比等の力業に押しつぶされたような息子の聖武帝と孫娘の孝謙・称徳帝によるエピローグというにはあまりにドラマチックな後日談が用意されている。道鏡事件にも独自の見解を表明し、孝謙・称徳帝の密通の汚名を濯がんとする梅原の愛に満ちた営為には頭が下がる。それが歴史学的に正しいかといえば、やはり大きな疑問符はつく。しかし、説としては実に魅力的だ。「古代史なんてどうせ正確なところはわかりっこないんだからそれでいいじゃいか」という気にさせられるのだ。

 

 天皇を名目上の絶対者とする藤原不比等が創案した政治権力メカニズムは、平安時代摂関政治院政として確立され、武家政権における皇室・公家権力の棚上げ、そして近代の明治憲法や現行の日本国憲法の象徴天皇でも踏襲されている。付け加えれば武家政権でも北条氏執権政治や室町の管領政治、江戸時代の老中合議制などによって、実質的に将軍権力の棚上げと権力分散がおこなわれていたように、日本的権力の伝統様式といってもいいくらいだ。現在の安倍晋三首相はそういうことを無意識下に理解して、傀儡としての自分を上手く演じているように思える。そしてメカニズム創案者・藤原不比等は父親の鎌足以上に史料からその素顔が見えてこない人物だが、その不鮮明な行跡こそが裏権力に徹する彼の強い意志の証拠と考えることはあながち間違いではないように思える。

私には「万世一系」などという軽薄な絵空事より、世紀を超えた「傀儡権力メカニズム」の方が日本という国の“凄み”を表していると思うのだが、いかがだろうか?

 

海人と天皇〈上〉―日本とは何か (新潮文庫)

海人と天皇〈上〉―日本とは何か (新潮文庫)

 

 

海人と天皇〈下〉―日本とは何か (新潮文庫)

海人と天皇〈下〉―日本とは何か (新潮文庫)