プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

『九人と死で十人だ』(カーター・ディクソン)雑感。

 

九人と死で十人だ (創元推理文庫)

九人と死で十人だ (創元推理文庫)

 

参加しているとある書評サイトで、書評を執筆することを前提に献本として本書をいただいた。

カーター・ディクスンによるH・M卿ことヘンリ・メルヴェール卿モノの1作。これまで文庫化されたことがなかったようで、私も今回この作品を初めて知った。意外とおもしろかった。

この時期の他のディクスン作品と同様に第二次大戦下の時代状況がストーリーに大きく反映されている。本作の舞台はニューヨークから大西洋を渡って英国に渡る大型客船。しかし搭乗客は9人だけで、爆撃機と爆薬を輸送することが航海の主目的だ。武器を積んで英国に渡る船は、ナチスドイツのUボートに見つかれば、あえなく魚雷で撃沈されてしまうだろう。この舞台設定だけでサスペンスムードたっぷりといえる。

そしてそんな危険を承知で乗り込んだ9人の搭乗客もワケありな面々が揃う。検事補、医師、トルコ外交官の元夫人、英語が不自由なフランス軍大尉、元外務省勤務の若い貴族、情緒不安定な若い女性、ゴム印製造会社の経営者…ストーリーの進行を担うマックスは傷心を抱えて渡英するジャーナリストで、船長の実弟だ。

マックスは第一の殺人の第一発見者となり、必然的に事件の核心部分に巻き込まれていく。死体に残された指紋は船客と乗務員の誰のものとも合致しない。航海中の船内という閉ざされた状況での凶行にもかかわらず、船に乗っていない犯人による殺人という不可思議な状況が浮かび上がる。乗客の誰かがナチス側のスパイやシンパではないかという不安も増幅される。そして第二の殺人…さらなる殺人の恐怖におびえる船客たち。

船長のたっての要請により、実は密かに乗船していた元英国陸軍情報部部長H・M卿が事件解決に乗り出す。この性格が悪そうで巧まざるユーモア感覚を持つアクの強い名探偵は、ウィンストン・チャーチルがモデルとなっているそうで、なるほど禿頭と低い鼻、苦虫を噛みつぶしたような口元とは、実にチャーチルの大きな特徴だ。

傍若無人なH・M卿は、犯行の状況を整理する中で犯人と思しき人物から殴られ負傷してしまう。後ろから殴られたため犯人の顔を見てはいなかったが、H・Mはマックスにこう言い放つ「「わしには既に殺人犯の正体がわかっておるからな。犯行の動機と手口もだ。(中略)つまり、事件の全貌を解明したのだ」。

トリックは「な〜るほど」と思えるシンプルなもの。犯人も「あるいは?」と思えた人物で事件解決に意外性だけを求めるとやや肩すかしかもしれない。しかし、登場人物の個性と来歴の謎や面白さを楽しみながら読むと、事件に対する趣は深くなるだろう。意外なハッピー・エンディングもなかなか良い感じだ。

カーター・ディクスンディクスン・カーの怪奇趣味や複雑なプロットはここにはないが、巻末解説にもあるとおり、戦争という状況と人間の心模様が犯罪トリックに結びつくストーリー展開は、一種の反戦文学かもしれない。国家の威信と大義のため多くの人が殺される戦時下において、取るに足らない一人の死の意味を徹底的に追求する推理小説とは実に皮肉の効いた代物ではある。そう考えるとタイトルの意味も味わい深い。