プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

『絶滅の人類史〜なぜ「私たち」が生き延びたのか』(更科功 著)雑感

 

絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか (NHK出版新書)

絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか (NHK出版新書)

人間は万物の中で最もすぐれているものとされていた時代にはしばしば「万物の霊長」という言葉が使われた。最近はあまり使う人がいなくなったが、本書を読むとその理由がある程度理解できる。

広い意味での人類は700万年前にチンパンジーとの共通祖先から枝分かれして独自の進化を遂げたが、その理由は必ずしも人類の優秀性を示すわけではなかった。むしろ人類は住み心地の良い森林から押し出された弱者であり、飢餓と肉食獣の脅威におびえる中で生きながらえてきた。

 

決して恵まれた居住環境ではない疎林や草原でどのように生命をつないでいくのか…著者が紹介する最新の人類史の成果とは、そんな苦肉の策の先で偶然と幸運に支えられて紡ぎ出されたストーリーだ。読みながら思わず「よく絶滅しなかったな〜」とその幸運を祝福したくなるぐらいだ。

 

直立二足歩行と脳容量増加の関係、体毛がなくなった理由などの仮説も実に興味深かった。特に男が配偶者や子どもなどに狩猟の獲物を(手に持って)持ち帰るためというまるでマイホームパパみたいな志向によって獲得したのが直立二足歩行….という仮説には驚かされた。まあ、あくまでも仮説ではあるのだが、面白いと思う。

 

人類はホモ・サピエンスだけでなく、数万年前まではネアンデルタール人をはじめ何種類の人類が同時に存在していたという事実も興味深い。そしてホモ・サピエンスの存在がネアンデルタール人の滅亡を招いたという事実は実に重い。我々ホモ・サピエンスより、大きな脳と頑強な肉体を持っていたネアンデルタール人は、こすっからいサピエンスの知恵に追い詰められていった。そしてサピエンスは交雑によってネアンデルタール人の「いいところ」もちゃっかり取り入れて進化していったのだ。

また、インドネシアフローレス島に約5万年前まで生きていた成人の身長が110cmしかないホモ・フロレシエンシスの存在に深く興味を引かれた。日本神話の少彦名や一寸法師をはじめ世界各地の神話や伝説に残る小人のエピソードは、もしかしたら我々以外の人類の存在の記憶に由来しているのでは?と想像の翼が広がる。

 

あくまで一般読者向けに書かれた本なので作者はモノの例えとして鉄道路線やら、相撲の番付やら、燃費やらを使って説明する。そんな著者遊び心が楽しく、わかりやすさにも貢献している。まるでお茶を飲みながら、時にはアルコール入りのグラスを傾けながら、話が上手な人類史専門家から直接話していただいているような読み味だ。

 

かといって軽い読み物かと言えば決してそんなことはない。著者がさりげなく開陳する人類史の重要テーマと最先端の知見について、読後に自分でググりたくなること必至。人類史研究のめざましい進展と、それでもまだまだわからないことが膨大にありそうだと言うことが、愉快そうに語る著者の背景にどーんと広がっている…そんな知的興奮を存分に味わうことが出来る一冊だ。