プログレッシブな日々

混沌こそ我が墓碑銘。快楽の漸進的横滑り。

丘を越えて 〜『嵐が丘』と前世の記憶

 

嵐が丘 (新潮文庫)

嵐が丘 (新潮文庫)

「エレン、あとどれくらいしたら、わたし、あの丘のてっぺんまで行けるようになる? 丘の向こう側にはなにがあるのかなあ──海?」

「違いますよ、キャシー嬢ちゃん」あたしは答えたものです。「これとおなじような丘が連なっているんです」

(エミリ・ブロンテ『嵐が丘鴻巣友季子訳 より)

 

若い頃から、まるで自分のこと(気持ち)が書かれているようだ、と思える小説作品といくつか出会ってきた。が、生まれる前の自分から語りかけられているような小説というのはこの『嵐が丘』しかない。無意識下の前世の記憶を呼び覚まされているような不穏な気持ちのまま、全編を読み通した。何回も。いつの時代かの自分がヒースクリフであったかもしれない恐怖におののきながら。

閑話休題

子どもの頃から、いくつかの土地に住んだ。それぞれの土地で丘の向こうに憧れ、成長とともに自転車を駆って丘を越え、それはとてもスリリングな体験であったが、向こう側にあったのはやはり丘であった。そうした事どもや丘の向こうの光景などを眠る間際にふと思い出すことがある。胸が夕日を含んだようにあたたかくなり、やがて、悲しみまじりの苦しさを覚える。いや、子ども時代の話とは限らない。

そこで初老男は丘をあきらめ、水の中に釣り糸を垂らすのだ。